西安は今日も曇天?

西安での生活。今は日本の片田舎で、気持ちは長安に。

石窟見学記 ~四川省安岳と成都②~

2011-04-19 | 旅行
こいつはストーカーなのか?


同行のYさんが

① 発信機をつけられている。
② ケータイを逆探知されている。

という、どちらをとっても恐ろしい説を提案してくれましたが、
実際の手法はもっと現実的なものでした。


まず、石窟のキーワードから候補を絞り、
私の体調からそんなに遠くへは行けないこと、行ったことのない場所に行くであろうこと、
そこから安岳を推定(この時点で尋常ではない)。


安岳にある大きなホテルは限られているので、一件ずつ電話。


しかし、最近では中国も個人情報を重視するようになっており、教えてくれるはずはありません。


そこで彼は、普段から練習している四川なまりで

自分は派出所のものだけど、
○○というふざけた日本人が安岳に滞在しているはずだから、奴を探している。
協力しなければ責任問題になるけど、責任とれるのか?!


とぬかしやがったそうです。


負責任 fu zeren


中国人が最も恐れ、避けて通りたいことです。
ホテル側は恐れおののき、リストを調べ、部屋に電話をまわした…というのが事の真相です。

携帯の電話もメールも取り合わなかった私が彼を追い詰めたのか

この人の常軌を逸した行動はほかにもいろいろあって、
いつか本人(私)が特定できない形で暴露ブログを書きたいと思っています。



さてさて。石窟見学です。

4月8日

安岳から車で1時間の距離にある、石羊鎮の石窟を見に行きます。
この日も400元で小李の車をチャーター。

天気も曇ってはいるけど、なんとかもちそうです。

石羊までの道筋に普州太后・許黄玉の故郷なるものがあります。

許黄玉はバイドゥによると
後漢のとき、当時の四川地方でおきた暴動がきかっけで故郷を追われ、
揚子江をくだり黄海を漂浪し、朝鮮半島にたどりつき、駕洛国の首露王の王妃となった
とあります。

「中韓友好の架け橋」っていう看板もあるけど・・・

韓国の史料によると、許黄玉はインドの王女だったようです。



まずは毘盧洞
入場料15元。
宋代の開鑿で、毘盧洞、幽居洞、観音堂、千仏洞があります。

毘盧洞


保存状態がいい。
観音堂の水月観音像が美しいです。


次に華厳洞
山頂にありますが、山頂まで車でいけます。入場料12元。

これも北宋。
うーん、造形が生々しい・・・
華厳洞と大般若洞の二ヶ所のみですが、写真は厳しく禁止されています。


続いて茗山寺へ。

雨でぬかるんだ山道を2~3㎞ほど、ひたすら車で登って行きます。
悪路です。車もかなり揺れるし汚れます。

茗山寺はまだ開発・整備中で、入場チケットもありません。
なかなか立派で美しい宋代の仏像があるのですが、写真をとっていたら怒られて、
撮るのをやめてもひたすら怒られ続けるので、写真はとれませんでした。

見学のための歩道も作っている途中なので、道なき道を乗り越えながらの見学となりました。
来るのが早すぎた


双龍鎮でお昼ごはんを済ませ、本日最後の目的地孔雀洞へ。

双龍鎮から車で5分です。ここも入場料なし。

孔雀洞のくじゃく


文革でかなりやられたみたいで、孔雀洞以外はおかしなことになっています。
管理をしているおっちゃんは昼間っから白酒のニオイをプンプンさせながら、真っ赤な顔で
ここを代々守り続けていること、文革のときの苦労などを語ってくれました。

孔雀洞わきの長い階段をひたすら登ると、報国寺という寺があります。
そこに金目塔という塔があり。
地元の人たちは「玄奘がインドからもってきた経典をおさめた」と言っていますが・・・うむむ


石羊の石窟をまわるのは、車がないと難しいです。
安岳からチャーターしていかないと、石羊で車を探すのも困難かも。


この日の予定、すべて終了。13:30。



・・・成都に戻れる!!




ホテルに戻り、そそくさと荷物をまとめ、16時ころ安岳を離れました。


安岳の思い出といったら脳裏をよぎるだけで吐き気をもよおす料理だけど、
石窟を見ることができてよかったです。

Yさんに感謝


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (じあじあ)
2011-04-26 12:33:02
旦那きっついなーww
Unknown (じぇんず)
2011-04-28 00:58:21
>じあじあ

こんなの序の口だよww
Unknown (じあじあ)
2011-04-28 08:08:15
次のネタ期待してまっ!!ww