美呆村

美呆の日記

「ことばの、ことばたるところへ」~詩作と言語造形の夏~のこと

2016-09-09 | 詩について

詩作をした林。 


前記のブログの前に、ずいぶん時間が開いていたのだとビックリした。
きっとご心配をおかけしたのではと思っています。
だいじょうぶです、家族みんな、とても元気です。



ところで、今回は、サマープログラムの3週目担当した
「ことばの、ことばたるところへ」~詩作と言語造形の夏~
のことを書きたいと思います。

関西から、関東から、道内から、参加者があり、
多すぎることのない人数で、森の中で、またはオイリュトミーホールの中で
講義を進めることができ、その豊かさが、今も、じんわりと、
温かな思い出として、肌によみがえってくる。

4日間のうち、午前中の半分の時間を、詩作の時間として使わせていただいたのだが、
ひびきの村の中の、林の中で、詩作を行った。

この週は、毎日、本当に良いお天気で、林の中も、明るい光が差し込んで、
緑や、木々の肌の色が鮮明だった。

わたしはまず、自分が詩を書くようになったいきさつをお話しした。
23歳のころ、東京で暮らしていたとき、肺に穴が開く病をし、演劇の公演中であったために
処置が遅れ、死にかけてしまったこと。
そのときから、からだが一変して、弱くなってしまったこと。(現在はだいぶ強いけれども)
食べられないものが出てきたり、空気の良くない外を、目を開けていられなくなっていたこと、
電車もあまりのれない、車の排気ガスでくらくらしてしまう。

都会で暮らしてゆくのに、そうした中で、自分を保つために、自然と行っていたことが、
どうやら、詩を生み出すことにつながっていた、ということをお話しした。
以下のようなことを行った。


植物にこころの中で「あいさつ」をしながら歩く。
できるだけ目を閉じて歩く。景色の像を瞼に焼き付けながら、目を閉じ、歩いてゆく。
立ちどまり、ある植物をじっと見つめ、その色や感触などをよく味わい尽くす。
植物をじっと見つめ、息を吐きながら、植物の、音無き空間(静寂)を見つめる。
その静寂の空間に、声をかける。そこにこだまする声の、こころの空間が、詩を描くキャンバスとなる。
また、自分の心の内側に目を向け、「温もり」の中へ降りてゆく。自分の課題とするこころや、熱や、
涙のようなものへ。
その温もりが、胸を満たしているのを感じつつ、
その温もりの中で、ことばを紡いでゆく。像を受け取ったり、ことばを受け取ったり、
または、目に映るものから、描いてゆく。



細かく書き出してゆくと、たくさん有るのだが、大まかに書いてみた。
そのようなステップを一つひとつ踏まえつつ、
内なることば、自分のことば、
自分を導きさえすることば・・・
そのようなことばを、みなさんが、それぞれに、創造してくださった。

この時間に感じたことは、だんだんと深まってゆく、時の深まり、そして、
場を満たしている、こころの空間の広がりだった。
内なるものに目を向けるとき、そこに広がるものが何たるかというものを
まざまざと感じることができた。
そして、みなさん、はじまる前までは、詩を作るということにハードルの高さを
感じていたのに、一日が終わってみると、だれも、ハードルを感じなかったそう。
ごく自然に、詩、なるもの、そのような香り立つことばを
たどっていかれたのだと思う。

これは、ある意味で、瞑想の時間であったと思う。
わたしは、瞑想指導はしていないし、直接的にするつもりもないけれど、
クリエイティブに何かを作るということは、必ず、瞑想に立ち入らなければならないことも感じている。
それは、ある部分では、こころを豊かにするものが、内なるものに立ち入ることでのみ、立ち現れるからだと
わたしは思っている。
芸術行為が、地上からなくならない大きな一つの理由は、そこにあるのだと思う。


詩作の時間を経て、言語造形の諏訪先生へバトンタッチ。
諏訪先生のご指導のもと、みなさんの詩が、どんどん、形をもって
羽ばたいてゆきました。

言語造形と詩を生み出すことは、まったく違うことのように思われるかもしれないけれども、
わたしの中ではつながっている。

詩は、わたしが、詩という精神の世界で鳴りひびいている、声を、聴きとること。
それも、創造的に聴き取ること。自らの意志によって、自らの世界を作り出すように、聴き取ること。
そしてそれを、文字に書き残す。
詩の鳴りひびく精神の世界にわたしがゆくために、わたしの精神も潤う。そして、より真なるわたしが、
明らかに見えだしてくる。そのようなものだと思う。

言語造形は、テキストのことばに、一つひとつ、畏敬の念をもって、近づくこと。
息を吐ききりながら、からだをぞんぶんに使いながら、全身で、ことばになってゆくこと。
そのことを通して、詩人が聴いたであろう、詩の世界で鳴りひびく、声を、聴き取ること。
その声をつかみ、ひとつになり、語ること。

そして同じように、わたしの精神は潤い、真なるわたしへとつながってゆく。

このことが、詩作と言語造形なのだと思う。

諏訪先生が、ご自身のブログで、この講座のことを書いてくださっています。
よろしければこちらをご覧ください。
わたしの言語造形公演のことも載っています。



講義の時間以外にも、昼食のあとや、キャンプファイヤーのときにも、
諏訪先生の導きのもと、語り合う会、詩を見せ合う(ささやく)会、
などして、本当に親密な、味わい深い、夢のような時間を過ごした。

このような機会を作ってくださった、ひびきの村の運営のみなさんに
ここの場でお礼を申し上げたい。

今回、諏訪先生との初めての、詩作と言語造形のコラボレーションだったが、
このような会を、またぜひ大阪でも、やっていきましょうという話になった。

実は昨年の夏は、埼玉県の秩父のギャラリーで、お菓子教室と言語造形を開催させていただいたのだが、
お菓子作りをとおして、詩作の時と同じことをしながら、お菓子を作ってゆくことをした。
詩を作ることと、モノづくりをすること、その内なるものへの認識行為が、
わたしを豊かにしてゆくことにつながる。
そして、モノづくりにおいては、日々作るものに、枯れることなく、豊かな精神の潤いを宿してゆく。


人と、深くつながってゆくこと、
それぞれが、真のわたしをみいだしてゆくこと、
そこから立ち上がってくる豊かさをみいだすこと、
それが、わたしが今後もずっと行ってゆきたいこと。








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サマープログラムが終わって

2016-09-09 | 詩について
今年もサマープログラムが終わった。
はじまったということばを、文章にしたためる間もなく
はじまり、
そして、二年目のサマープログラムだった。


今年は、ファームの担当として、野菜を届けたり、
昼下がりの時間、ティータイムに、スイーツ(生菓子)を提供したりするだけでなく、
4週間の内の三週目は、講師として参加させていただき、深い
充実した夏をすごした。

サマープログラムが終了した日、片づけをしながら、
ある方が、
「のりへいさん、一皮むけた感じですね」
と声をかけてくださった。

ある稔りが、または、希望が、
育ち、内を満たしてゆくものが、他者にも感覚されたのだと思う。
その方は、(ひびきの村で働く方はみなそうだけれども)
生きて在るということを、とても真摯に考える方であったので、
それは、うれしい一言だった。

今年、サマープログラム中の食事で使う野菜を、ほとんどすべて、自分で育てているファームの野菜で
まかなうことができた。
毎日30人~40人の毎食の食事の野菜をすべて。
野菜を育ててゆくことに、自信をもてた。
たしかに、実や葉が、小ぶりであったりする。
でも、そこから得られる豊かさは、また別のもの。

その実りから、食べてゆくことができる、というのは
ほんとうに、かけがえのない自然とのつながりだと思う。
そして、土とともに時を過ごす畑の中で、わたしは、なにかを手放すことができる。
そうして得られるものこそが、わたしが望んでいた、畑の中の豊かさ、美呆であったと
再認識した。

実は、ファームの農場敷地が広いため、また手広く畝を広げすぎたため、
手が回らなかったり、ほかの仕事の兼ね合いなどで、
悩んでいた時期が長くあった。
バイオダイナミック農法をどこまで実践するかということも。

5月から7月にかけては、そうした様々な悩みがあったがゆえに、
何が大切なのか、より、
問われねばならぬ自身の問題を感じた月日だった。
逆に、それがあったからこそ、自らを、より明らかにできたのかもしれない。

それが、「一皮むけたね」
ということばになって、形になって、現れてきたのだと思う。

今年のサマープログラムは、そのように、過ぎ、稔っていった。





詩集、
そう、詩集。
サマープログラムの始まる前に、小さな詩集を作った。
「夕立と群青」という詩集で、九つの詩篇からなる小冊子。
(写真の左から二番目の群青色の装丁のもの)
自分としては、悩みの時期であったにも関わらず、詩を生み出してゆくということは
それを妨げはしなかった。
黒田三郎という詩人が、三好達治やヴァレリーの例を挙げて、そのような、作品性と
製作時期におけるこころの状況は必ずしも一致しないことを書いている。
ひょっとすると、そのような時期であるからこそ、内に求め、詩を生み出すことができたのかもしれない。

「夕立と群青」
この詩集は、今までになく、一語一語が、明瞭で、鮮明で、温かさがある作品となったように思う。

ちなみに、サマープログラム3週目に
わたしは、「詩作と言語造形」の内、詩作の方の講師を担当したのだが、
今回の詩集は、そのw・sで行った詩作法に、かなり意識的に沿って書いたもの。
もし、ご興味を持たれる方がいらしたら、ご一報ください
まもなく菓子美呆のwebからも購入できるようにしたいと思っています。

また、詩集を取り扱ってくださるお店を募集してます。
もし、取り扱いたいという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
(とても嬉しいです)

「詩作と言語造形」のことは、また別の機会に書きたいと思う。




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スコーンの価格変更のお知らせ

2016-03-11 | お知らせ

猛吹雪の日の、工房前。雪かきして、やっとドアが開けられた。しかし、すぐにまた積もってくる。



スコーンの価格変更のお知らせ


二月が一番寒く、雪が多いときいていた北海道ですが、今年は段違いの暖冬で、
雪も少なく、すでに、日中3度近くまで上がる日も出てきました。…そう、二月の末頃までは。
ご存知の通り、二月末と翌日にかけて、猛吹雪が吹き荒れ、薪小屋の屋根は吹き飛び、
木々の枝は折れ、とび散り、台風と大雪が一度に来たようなひびきの村。
やはり北国ですね。明け方外に出ると、膝のあたりまで雪が積もっていて、歩くのも一苦労。
吹き溜まりができて、ひどいところでは、腰まで埋まるようなところがあり、
吹雪の前に、どこに道があったのかさえわからなくなるほどでした。
今年は雪が少なかったから、春に訪れの前に、最後のひと吹きだったのでしょうか。
二日間の猛吹雪で、一冬分ぐらい積もったのではないかと思われました。

 さて、今日はスコーンの価格変更についてのお知らせです。北海道に移ってしばらくしてから気づいたのですが、
こちらはガス代が非常に高いということがわかりました。
また材料費の高騰により、現行の価格では、難しくなってまいりました。
(北海道に移転の際、クッキーはサイズ変更と価格を変更して調節しておりましたが、スコーンは
そのままのサイズ・価格というのも大きい理由の一つです)
それにともない、4月1日発送分より、スコーンの価格を280円(税込み)に変更させていただくことにいたしました。
スコーンが大好きな方には、大変心苦しいのですが、何卒、ご理解いただけ来ますよう、よろしくお願いいたします。
そのため、3月中に、スコーンに注文が殺到することが考えられますので、
お早めに(3月15日頃)、ご注文いただければと思います。
寒気とゆるみ、気候の変化、季節の移り変わりを感じる今日この頃、
お体崩しませんよう、ご自愛くださいませ。



                                     菓子美呆  稲尾教彦


   
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雨光の成長

2016-02-20 | 日記


水声は8歳の誕生日を迎え、
雨光は2月16日で、二か月になりました。



新生児という感じから、もうずいぶんしっかりした顔だちと
体格です。
顔はぷくぷく、声も、少し大きくなってきました。

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水声の誕生日

2016-02-19 | 日記


2月13日は、長男・水声(水声)の誕生日。
今日で8歳になったね!
さいきん、どんどん、お兄さんになっていっているのを感じるよ。
子どもから、少年になっていってるような・・・

お誕生日おめでとう!

お母さんからは、夜なべして作った、色鉛筆入れ(布の)。
お父さんからは、さいきん一押しの、アップルパイのバースデーケーキ。
長崎のねっこぼっこスタッフから、自然栽培のイチゴがサプライズプレゼント!
美呆特製のレインボークリームを添えて、至福のひと時・・・

うーんたまらん!

とってもおいしい誕生日でした。


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