懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

タケノコ

2016年04月21日 | 日記
地方都市に住んでいるとタケノコは買った事がない。
早春の高い頃のタケノコは回ってこないが沢山出回るころには次々ともらってくる。
タケノコは歳をとると大好物になった。煮物やタケノコご飯、酢の物や天ぷらが好きだ。
煮物はワカメかベーコンと煮付けるとおいしい。
元気だったころはワカメも蕨も採に行っていた。
ワカメは潮の速い瀬戸内海ならばどこでも採れる。
瀬戸大橋の下へ干潮時に行けば採れる。30分でゴミ袋に一杯とれる。

タケノコは今年も八回頂いた。
私は家に籠りっぱなしで人との交流がないので頂く事はない。
みんな家内のつながりでもらってくる。
タケノコの出どころを聞くと二人はタケノコ山をもっている。
自宅の前で売っているが夕方に売れ残りがでればくれる。
二人は親戚にタケノコ山がありおすそわけがうちに回ってくる。
もう一人は早島町の町有林に掘りに行く倉敷の人間が掘りに行くそうだ。
山菜取りなどが大好きなおばさんである。
家内も近所に登山といいながらスコップ持参でタケノコを掘って帰った。

放置タケノコ山のタケノコも含めて我が家の食卓に上り春が味わえる。
いらない時に三本もくれる事があるが決して断らず有り難くいただく。
自分のところには沢山あるのでいらないなどと言うと二度とくれなくなる。
他の野菜もくれなくなる。これも生きる術か

日本茅葺紀行 NO,286 代掻き田を撮る

2016年04月21日 | 日本茅葺紀行
五月に田植えをするところでは田に水を張り代掻きに入っている。
田に水を張り水面に建物や周りの風景が映り込むのが日本の風景である。
稲作をするアジアモンスーンの風景でもある。
一年で数週間しか見られない。田植えが終わると苗が浮き上がるので水を抜くので水張りが見られるのはタイミング次第。
この時に行動しないと見られない。
また行こうと思ってはチャンスを失う。

桜のあとは水田と田植えや新緑だ蓮華畑も茅葺民家の横にあればよいが
季節季節を追いかけて山野をめぐるのが老後の楽しみだ。

昭和の遺物たち 辻堂 その1

2016年04月20日 | 昭和の遺物たち写真展
今回と次回は辻堂をおおくりします。
我々のところでは道路脇や辻に建っているお堂を辻堂とよんでいます。
信仰的な意味合いもあり阿弥陀堂や大師堂と呼ばれています。
歩行者の休憩のところでもあったので休堂とかお茶をするので茶堂とも呼ばれています。
四国巡礼の途中にも瓦屋根のものが建っている。お接待の場所でもあった。

備中備後には沢山残っていたようで一つ一つ探して本にまとめられた人もいる。
以前は茅葺も残っていたが茅の管理が難しくなると撤去されるケースが多い。
若い人は何のためにいるのかと思っている人も多い。
私が撮影した辻堂もほとんど解体撤去された。半鐘なども撤去されたところが多い。

私は出会ったときにこんなものはいずれ撤去されると思い撮影した。
私の撮影の基準は曖昧なものであるが1.15年後には消えて無くなるもの 2.人々の生活の中に溶け込んだ風景 庶民の歴史が刻み込まれた風景を主体にしている。
文化財としの価値は問わない。




岡山の茅葺民家 旧勝山町の茅葺民家

2016年04月19日 | 茅葺き民家
1岡山県内の地方道を一本一本走った。行き止まりになっている脇道に時代から取り残された地域があった。もう20年早く訪れたらもっと素晴らしい民家に出会えたであろう。
時代が昭和のままだった。
典型的な限界集落であった。高齢の住民が一人二人なくなれば集落は消滅するであろう。
二度と人口が増える要因はないように思う。
勝山町も集落の姿を記録しているのであろうか

稲はまだ植えられている。
ひとの少なくなった田舎は蛇の天下である。
長靴を履き恐る恐る畦道を歩く。

茅葺民家  兵庫県三木市吉川町

2016年04月18日 | 茅葺き民家
吉川町の山際の茅葺民家、里山を背後に持ち日本の田舎の風景である。
この家はもうトタンを覆ってしまった。
生垣で家の生活が見えないようにしている。
茅葺民家は私にとっては文化財であり民家遺産である。
鉄道も私の鉄道遺産と勝手に決めてまとめている。

災害の多い日本、地震、豪雨、台風、落雷、火災でも姿を消している。
地震は日本で生きる者の宿命
生きることは楽しみ嬉しさばかり享受するのではなく苦しみや辛い事も受けなければならない。
ある人がいっていた高齢まで生きられるのは幸運の連続であった、
病気や交通事故、自然災害や経済的貧困にも遭わず生き延びてきたこれは幸運の連続だった。

世の中なにがあるか分からない。熊本城や阿蘇神社をきれいに記録撮影している人がいる。
城や神社仏閣をくまなく歩いて撮影しているのであろう。
生涯の目標に訪ね歩いている人は素晴らしい。

日本茅葺紀行 NO,285 桜の咲く風景

2016年04月17日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府美山町

桜は1年のうちわずか4日5日しか美しく咲いた風景は撮れない。
緯度や標高により1か月は時期をずらして撮れる。
茅葺のあるうちに桜の咲いているうちに撮り続けたい

特に私は家に籠っているのでこんな機会に刺激を求めて外に出ないと認知が恐い。
年に何回か家内に外に連れて行ってもらう。家内には運転も乗り降りやトイレの介助もやってもらうし坂道は家内に撮影をしてもらう。
年に何回かの撮影には生きている限り続けたい。




昭和の遺物たち 水路 その2

2016年04月16日 | 昭和の遺物たち写真展
岡山県南部は干拓地で水路が多い。水路の役割は干拓地の塩分を抜くためと灌漑用水が目的であった。
水路は運搬手段として米や肥料を運ぶのに使われた。今でも木舟がつながれている。
戦後は農村部にも住宅が増えた。
自転車や歩行、車で水路脇を通る。水路に落ちて事故死が増加0している。
年間10名以上がなくなりワースト記録になった年もある。
県も市も水路による事故死防止に取り組み始めた。
全面柵をしたり暗渠にするのは川掃除が出来ないと農業関係者が反対し遅々と進まない。

災害の教科書にハインリッヒの法則がある。100年くらい前に発表された法則だがいまだにこれに代わる理論はでていない。みんな何度も教育された言葉である。
それを水路事故にあてははめると重大事故死が1回発生すれば転落重傷が29回、転落によるトラブルや転落しかかつったトラブルが300回起きている事になる。
これだけの死者を出す背景には何千人の人が危険を感じている。夜に車を走っていて直角に道が曲がっていて標識もガードもなくそのまま走れば水路に落ち込むところも残っている。

この水路は倉敷市中庄付近、山陽線の上から石橋が残っていたので撮影にくる。
岡山県南部の水門水路というテーマで自然のままの水路を四季折々撮っていたら貴重な資料になっていたとおもう。
今は水路マニアや水門マニアもいるようだ。






蒸気機関車 伯備線豪渓

2016年04月15日 | 蒸気機関車
伯備線豪渓へは割と近かかったのでよく行った。
同じ所ばかり同じアンングで撮った写真が多い。カーブを登る列車を下から撮ってみた。
煙は良かったが煙の影で列車が見えない。
豪渓だけでなく伯備線の各駅の停車発車の風景を撮るとか地域の風景(茅葺や石垣、農作業)と列車をとる等すればよかったと思った。
豪渓の上り線は複線化で大きなカーブの線路になった。
蒸気機関車の写真にでてくる山科のカーブのようでもある。
少し登りになっているのと駅をでて間もない場所なので煙を吐いてくれる。
しかし、夏場に行ったら駅をその通過する重連の列車は カープの終わりになると完全燃焼になり煙は消え鉄の塊が迫ってきた。
蒸気機関車の写真は夏場は夏休みと思った。
複線化して間がなかったので線路の砂利や橋脚のコンクリートが新しく落ち着きが無かった。
それでも側壁が石垣でコンクリートでないのがありがたい。
汚れてくれば落ち着くのだがカラーならば気になるがモノクロはなんとか誤魔化せた。
しかし鉄橋には落下防止の安全柵が付き撮影にはうるさい代物だった。
鉄橋は柵や電線などなくすっきりしたものがいい。


岡山の茅葺民家 旧加茂町の茅葺民家

2016年04月14日 | 茅葺き民家
旧加茂町には現役の茅葺職人さんがいて自宅までお邪魔して茅葺民家の所在を教えてもらった。後日所在リストを郵送してくれた。茅葺職人の情報は正確だ。
情報は新鮮さと精度が命である。10年も前の情報は使えない。

人間は何かに情熱を持っている時は怖い物しらずである。
知りたい物があればどこまでも行く。だれにでも会いに行く。

日本人が英会話を喋れないのも恥ずかしさや恥じをかかないようにの心理が影響しているとおもう。歳をとっても恥じと汗はかかないと成果は得られない。
恥じを恐れず頑張れば先が開けたりいいアイデアがうかぶものだ。

加茂町の民家は発見しにくい場所にあった。山に囲まれた奥にあった。
後ろに高台があれば登って撮る。家の周りのゴミゴミしたものが写らなくてよい。


茅葺民家  山形県白鷹町の民家

2016年04月13日 | 茅葺き民家
、白鷹町中山地区が茅葺民家の写真集に載っていた。
写真集には10軒以上の茅葺民家が点在していた。
行きたいと思っても会社勤めで連休を利用しての旅行計画であった。
私が東北の撮影に出かけたのは21世紀に入ってからだった。
白鷹を訪れたのは12年前だった。
明らかに遅いと思ったが遅くても行ったのが正解であった、
その後ここを何度も通過したが茅葺き民家は行く都度減り続けている。

中山地区は山の斜面を切り開き階段状に民家や畑が並ぶ。
東北にしてはき厳しい条件の土地である。
五月だと高いは雪を抱いている。
春の山野草も咲いているしコゴミやフキが見られる。
東北の人はフキは食べないのかと思うほど沢山生えている。
地元の人に聞いてみたら食べない事はないが他のおいしい山菜を食べるので積極的には食べないとの事だった。美山町に行ったらフキを採らないでと書いてあった。
都市部の人間が山に入り山菜を採っていくと文句を言われる。

この中山地区の民家も大きい家だ、養蚕のために兜造りになっている。