おぉきに。

気が向いたら読書感想を書き、ねこに癒され、ありがとうと言える日々を過ごしたい。

『院内カフェ』

2015-09-03 13:38:52 | 本の話・読書感想





『院内カフェ』 中島たい子 著(朝日新聞出版)
 よかった!良い小説を読みました!
 年齢的なせいもあるのかもしれませんが、分かりやすい感動系のお話や、ひたすらイタイ系のお話よりも、こういうじわじわ来る漣のような小説の方が、最近のわたしには合ってるようです(もちろん、ミステリやSFは別にして)
 中島たい子さんの作品は、2012年の第五回京都水無月大賞に選ばれた、『建てて、いい?』をその受賞作ということで初めて知って読んで以来の二作品目ですが、たぶんわたし、この中島さんの文体というか作風が合ってるんだと思う。やりすぎな感じも、どんでん返しのようなショック感もなく、少しずつ日々が積み重なってクライマックスに至る、ごく順当で真っ当な展開。
 自分の人生を見つめなおす岐路にいる人に、ちょうど良い感じだと思います。



最近、医大の付属病院や大きめの総合病院には、大手コンビニとかコーヒーショップとか、入ってますよね。
この小説も、そういう大病院の中の、ロビーにあるカフェの風景から始まります。

うーん、確かに、病院内にあるカフェやコンビニって、「病院」という施設の性質からすると浮いてるというか違和感はあるかな。
入院してるときの食事のメニューは厳密にコントロールされてるのに、院内にあるいわば「外部」のカフェやコンビニはとうぜんコントロール外。
ベッドから出られないほど重篤な患者さんはそりゃ行きませんけど、自分で歩ける患者さんであれば、カフェもコンビニも利用できますよね……。
カフェやコンビニの店員さんは、どんな気持ちで患者さんやその家族を見てるんだろう、と、この本を読み始めてすぐ、そんな視点があることを改めて知りました。

明確な章立てではないですが、最初はカフェの店員の女性視点から始まって、その中で登場したお客さん(患者と家族、医師)に視点が移ります。
先の場面で描かれたシーンでこの人たちはこういう会話をしてたのか、この人はこういう日常と過去を持ってたのか、と。

そして、クライマックス(?)の「手紙」。
今の時代、よほど礼儀を重んじる関係というか、明らかにメールでは失礼だと思うかたくらいしか、手書きの手紙って書きませんよね。年賀状でさえパソコンですし。
わたし、最初は離婚届を渡すのかな、と思って読んでました。
こういう手紙が書ける奥さんっていいなと思った。まず、書きたいことを邪魔しないほどに達筆であることが羨ましい。
頭のいい奥さんで、病気で苦しんでると分かってるご主人に、どこまで感情を抑えて、それでいて肝心な気持ちはしっかり伝わる、そんな手紙書ける人、それこそ作家さんくらいしかいないんじゃないの(笑)
ご主人が奥さんに送った、その返事(返信)も良くて、フィクションとはいえこの夫婦はきっと乗り越えられるね、と安心してしまうくらい、わたし、この作品に感情移入していました。

夫婦のこと、家族のこと、親の介護のこと、自分と社会とのつながりのこと……、いろいろ考えることが多くなる中年以降の人生。
わたしも、自分の親との別れが近いかもしれない年齢です。もうこの先そんなに長い時間、親子でじっくり話したりご飯食べたりはできない。その覚悟を決めなさい、と神様に言われたような出来事も、増えてきました。

いつの間にか、介護してる。いつの間にか病気を患ってる。いつの間にか。

人生って確かに、曲がり角を曲がってパッキリと次の局面に出くわすようなことはあんまり無いですよね。いつの間にか、今日の事態を迎えてる。つながってる。
振り返ってどこからこうなった、とハッキリ思うのが後悔なのかもしれないな、と。
自分の人生を犠牲にして、自分の人生がそばに居る人の人生に巻き込まれて、つまり自分の望んだ人生じゃない場合。
自分の人生の責任を誰かに負わせたいと思ってしまう。

どこから後悔していいかも分からないくらい、今日までの時間と出来事が自然につながっていて、誰のせいでもなくて自分がそう選んできた人生だったと思えたときにやっと、前を向ける。藤森夫妻は死に物狂いで現実と向き合っていて、読んでて苦しかった。

この小説に出てくる患者は「病気」で病院に居る人ばかりですが。
不慮の事故で体の自由が奪われたとしたら。家族はどうすればいいのだろうね……。
実際、義弟をそうして喪った経験から、気持ちの整理のつけ方はまた違うだろうと思いますが、病院にいることで少なくとも家族は覚悟を決めることにはなります。旅立った義弟の魂にも、残された家族にも、病院を出ると次のステージです。

病院という場所は、人生を取り返せるか、取り戻せるか、その岐路で与えられた猶予期間。
ゲームだったらポチっとリセットボタンを押せばいいんですが、人生にそんなボタンありませんしね。そのリセットボタンの代わりが、「病気や大怪我」というストッパー。これがリアルに苦しくて痛いのよね、うん。リセットボタンはちっとも痛くないのに。
ただ、このストッパーは、バーチャルなゲームより素敵で大きなプレゼントを用意してくれてる。それだけは分かる。だから、がんばれる。

相田さんとご主人も、藤森夫妻も、ウルメさんもゲジテントも村上君も、病院という人生の踊り場で、院内のカフェという日常と非日常の境目で、毎日誰かの人生と自分の人生を見つめて、

そのプレゼントが、あのクリスマスのカフェのみんなの笑顔。
良いエンディングでした。

理不尽でつらい人生、いっときは逃げてもいい。でもいつか、自分と向き合うときが来る。
夫婦で向かい合い、家族で向き合い、職場で話し合う。

大きな感動も、派手なサプライズもいらない、平凡で平穏な人生こそが望む幸福。
でも、生きていれば山あり谷あり、理不尽な思いは日々毎日。
平凡で平穏な人生にソフトランディングするために、理不尽に向かい合う、その恐怖にはきっと、それまでに貯めた生き様の強度が必要になる。
だから毎日、丁寧にいきましょう。

夫婦喧嘩で泣きたいときに、読むといいかもしれない(苦笑)
わたしはきっとこれからも、折に触れ読み返す一冊になると思います。


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