おぉきに。

気が向いたら読書感想を書き、ねこに癒され、ありがとうと言える日々を過ごしたい。

『はるかな空の東』

2017-06-09 20:18:05 | 本の話・読書感想
(P[む]1-16)はるかな空の東 (ポプラ文庫ピュアフル)
村山 早紀
ポプラ社


『はるかな空の東』 村山早紀 著(ポプラ文庫ピュアフル)
 ……ああ、ああ…分かります……子供の頃に読みたかった本だこれ……。
 年齢的にありえないんですけど、それこそ魔法でもなんでも使って、子供の頃のわたしに、この本をプレゼントしたい。今の大人のわたしから。
 そして、「将来、この本を書いた先生と、こんぴゅーたーでお話しして、名前と顔を覚えてもらって、書いたものを褒めてもらって、先生を大好きになるねんで!」って暗号書いたメモを本に挟んでおいて、うっかりぼんやりな子供のわたしがいつそのメモに気付いていつ解読できるか、……ちょっと水晶玉か水鏡持ってきてー!



「自分とそっくりで、ガサツでウルサイおばちゃんが、この本をくれたので読みました。
とてもよかったです。私はトオヤ姫がいちばん好きです。だれよりも強いまほうが使えて、女王になって、世界を救いました。片目は見えないけれど、長い髪がいいです。妹のナルにやさしくて、とおくはなれていても心配しています。
そしてナルも元気いっぱいで明るくて友だちになりたいです。そしてハヤミやミオやクリスタライア(注/何度も書き直して消しゴムかけすぎてクシャクシャになってる)と旅がしてみたいです。



ううう、もう限界……子供の頃の自分が書くとしたらどんな感想文かなあと想像して書いてみたんですが……紋章のことくらいまで書けるかと思ったけど、苦しい(汗)

ナルちゃんが主人公格なんですが、子供の頃のわたしならたぶん、予言された千年の王で強大な魔力を持つトオヤ姫に心惹かれたと思います。
集中力散漫で、勉強ができるわけじゃないし、リーダーシップもないし、何一つ取柄もなくて、とにかくあまりにも凡人すぎて生きてることすらぼんやりだったわたしは、小学四年の時に初めて親の目を盗んでマンガを読んで読み耽りました。
それまで、親が買い与えてくれた昔話絵本やイソップアンデルセンあたりの童話、偉人の伝記ばかりを、親の居るところで読まなければならなかったんですが、ある日ちかくの本屋さんでコミックス棚の前に立ったことで、少女漫画の世界を知りました。
それから、何にも変わらない平々凡々な毎日を、お姫様のドレスや魔法や、そういう妄想世界を楽しむことで、ぼんやり生きてました。
トオヤ姫は理想のお姫様タイプなんですよね、だから。
(余談ですが、小学生当時のわたしが一番好きだったのは、ベルばらのマリー・アントワネットでした。若い頃の。宮廷の誰よりも豪華で綺麗なドレスに憧れたんです。オスカル様に守ってほしかったの。オスカル様になりたいとは思わなかったなあ)

お姫様になりたかった当時のわたしは、ナルちゃんをどう思っただろう……。今のわたしなら可愛くて健気でピュアな女の子だと思うんですが、お姫様らしくないところがピンとこなかったかもしれない……人の心の機微に疎くて単細胞すぎるわたしはナルちゃんの苦悩や優しさは汲み取れなかったと思うです……書いてて恥ずかしいわ……。

でね、さっき、子供の頃に戻って書いてみた部分、いつもならぜったいに避ける書き方なんです。
「そして」の多用。

確か小学生の四年か五年まで、我が家では、わたしだけ(妹はまだ小学校低学年でした)日記を書かされたんです。
親の前で。
主に母親、時に父親が横に立っていて、その状態で、その日にあったことを日記として書き出せと。当然、いっしょに親が読んでます。アリス君が講義中に書いてた原稿を横から勝手に読みだして追いついて「その続きはどうなるんだ?」なんて聞いてきた火村君ならよかったのに……(←おーい!)
ハッ…ゴホンゴホン……えー、日記って、親の前で書くものでしたっけ。親が読む前提で書くものでしたっけ。
と、今なら思いますけど。
特に母親が怖くて怖くてしょうがなかったので、逆らうどころか疑問すら持たず、親の前でせっせと日記を書きました。
いつだったかのある日、父親が言ったんです。
「お前の文は、“そして”が多い。一回使ったら、もう使うな」
親に逆らえないわたしはそれ以降、“そして”をなるべく使わないように意識して書くようになりました。“そして”はココ一番、というところ、特別な言葉になりました。
それは今も身に沁みついていて、「そして」は意識して使いどころを選ぶ言葉。

当時は怖くて緊張感ビリビリの中で書いてた日記でしたが、今こうしてみると一応は親に導かれていたんですよね。この習慣が無かったら、そもそも文章や作文を書くこと自体が苦手だったかもしれないし。
「そして」の件でもそう。
両親はちゃんと、娘の人生に道を付けてくれていたんですね。親子間がいろいろ屈折して緊張感で張りつめてても。

ナルちゃんには、ハヤミさんやミオさんたち魔術師、元の世界に戻ってからはサーヤ・クリスタライアさんや親方や大賢者様。友達の沙由里ちゃんとユリアちゃん。優しくて賢くて素晴らしい人達に守られて導かれて、自分の運命を受け止めて。
歌声が人々を癒す、世界を救う。
生涯を旅人となることが、父王の遺伝子だと言うナルちゃん。歌は命になって人生になって、また風になるんですね。

吹き渡る風のように自由に、でもいつも出逢いと別れがついてくる。情をもった人間なら出逢いは嬉しい別れはつらい。歌姫だからいつも乗り越えられるわけじゃない。出逢いと別れの繰り返しの中で、いつも心を澄ませていないと風に乗れない。ナルちゃんの生涯は、恐ろしいほどに厳しいものでした。先代のサーヤさんでさえその心に光と闇を持つ人間であったことをナルちゃんはきっと支えに生きたんだと、美しいラストシーンに思います。
人間としての限界、能力と心の限界、祝福と呪いの境界線。
異世界ファンタジーのストーリーの中に、現実のなかで明日の自分が生きていくための導きがある。

この物語が、子供たちに絶大な人気を誇るのもわかります。

そして、村山先生のルーツは今もこの作品なんだなと感じました。

たそがれ堂やかもめ亭や竜宮ホテルや桜風堂や、その他いろんなシリーズを生み出してこられましたけど、この紋章の物語が先生の中心にあっていつも紋章と歌姫の伝説と魔術師たちが先生のイマジネーションの基底部をがっしりと支えているんですね。

文庫化で書き下ろされた、《朝》。
二十年後の、現在の村山先生の筆致ですね。やっぱり違います。この書き下ろしは、大人の言葉で綴られています。
今の子供たちがこの文庫版を読んだら、この《朝》はどう感じるだろう。本編のほとんどがナルに寄り添いながらの三人称であるのに、《朝》はお母さんになったミオの視線で書かれた世界。子供たちは、少しの時間だけ大人の視線で後日談を読む。そうすることで、本編のあとナルたちが、ファルクラウン王国がどうなったかその運命について、柔らかい心が傷つかずに済むように、という村山先生のお心遣いなんだなと分かる日が来るのは。
その優しさが、また次世代の子供たちに手渡されて読み継がれていくのでしょう。

生きていくうえで後悔してもいい、その後悔を繰り返さないように、未来の自分が少しずつ少しずつ正しい選択をして人生を歩いていけばいい。
一度の後悔を、まるで無かったかのように逆方向に振り切った生き方は不自然です。それこそ心が重くなる。
人生まるまるやり直しがきかないとしても、少しの意識の違いで人は変われる。苦いものを飲み込んで、過去を無かったことにしないで、ただひたすら前を向く。空を見上げる。
風の音が歌声に聞こえたら、風に言葉が見えたら、それが祝福なのかもしれません。

良い物語でありました。

『小説』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« お騒がせいたしました……。 | トップ | にゃーん♪ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。