狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

経済論と邪神論をそれぞれ

2013-06-12 11:55:48 | Weblog
経済論
経済に対する見方に、ある日突然貨幣が消滅する、というものを挙げる。
ある経済圏で貨幣が消滅するが、そこに居る人たちは引き続きそれまでの
社会活動を継続する。 大工は家を建てる、農家は畑を耕し作物を収穫
し続ける。 鉄道マンは電車を走らせ続ける。 それぞれそれらの「生業」
が終わったら家に帰るなり町で夕飯を摂るなりする。 そこにお金のやり
取は無い。 それだけが無くなった。 主婦はスーパーから野菜を買って
来る代わりに取って来るようになると。 実は短期的には何も変わらない。
長期的にはどうか。 その差が「情報の流れ」である。 それぞれの人が
圏全域の必要性を見、個々に求められる必要性に応じて動く分には貨幣
経済というシステムの必要性は無かったりする。 貨幣経済とはつまり、
個々の人が他人の必要性を見ずに欲で動く、さらには自身の必要性を認識
せず欲に任せて動く、そういうシステムなのである。
人々が欲に任せて動くのではない、そういうシステムは成立し得ないと
言う人も居るだろう。 人間的ではないと。 他方、クエーカー教徒の村
なんかで成立しているものがある。 私はそれがそうなのでは、と見る。

さて邪神論。
邪神は抽象的な概念だと書いた。 人間ってのも抽象的な概念なんだな。
細胞の集まりであり遺伝子が継続再生産されるシステムであり、社会的に
は個々に意思があるとされるものだと。 まったくばらばらな概念である
それらをまとめて人、人間などと呼んでいると。 極端な例だと自分が人
であるというのと隣の人が人であるというのはまったく別の認識で出来て
いたりする。
人の意識は意思の束である。 これこの文章、哲学の分野だわな。 この
「意思」を「霊」に置き換えると途端に宗教臭くなる。 私の説が一般化
してくると悪徳宗教や商法に利用されるようになるんじゃないかと不安に
思わなくもない。
邪神現象、活動かな?のミクロな例として紹介出来そうな、おもしろい話
を拾った。 セクハラジジイの当て馬効果である。 職場などで脂下がっ
たおっさんが女の社員などに性的ハラスメントをすると。 それによって
女が「女」を意識するようになり何やら社内恋愛などが発展するのだそう
な。 この手のおっさんのそれ、まさに邪神の活動である。
今の日本人にとって判りやすそうなマクロな例は沖縄のキチガイサヨク
たちだろう。 私はあれを島流しと呼んでいる。 では沖縄人たちは本土
の邪神を押し付けられた、現状被害者相当の人たちなのか。 ある意味是
だが「自分たちで引き寄せた」という見方も併記する方がより正確だろう。
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