「××になりたい」にご注意

2017-05-16 15:05:58 | Weblog
インディージョーンズの、3だったか、2は確かシャンハイでの銃撃戦から始まったから3のはずだ。 ググったら3だった。 セリフは、what we are looking for, is facts,だったと思う。 これ重要なのね。 不特定多数の人間が共有するもの、共有できるものがfact、事実。 中国韓国と日本との間でいわゆる「歴史問題」が起こり続けるのもこれによるもので、一般の中国人韓国人らは「事実」と「願望」の区別がついていない。 正確には、まったくついていないワケではないが、常時区別をつける事を社会から要求されていない、そういう常識の中で生きている。 「え、それってすぐに破綻するんじゃない?」と思われるだろうか。 うんその通り、破綻する、ただしすぐとは限らない。 ある程度目端の利く権力者が社会を管理している、管理出来ている間は破綻が先延ばしになる。 中国人韓国人らが日本人に怒る理由もこの辺で、つまり「自分たちこそが管理者なのに日本人は従わない」としていると。 じゃあ構図は破綻する側が破綻しない側を管理しようとしているのか、というと、その通り。 BBC、アメリカ国務省筋、国連人権なんちゃらも同様。 絶賛破綻中。
共産党やら労働党やらは人民たちに、社会主義より先に事実と願望の区別を教えなければならなかったのかというと、結果論としてはそうなる、が答えであるが、彼ら自身それが出来ていなかったのだからそもそも無理と。 今からやるとなるとどの様な方法が考えられるか、となるが、
1. 「願望と事実は違う」と広く教える
2. そう教えられた人がウソマツ破綻を目にする
3. 「ウソマツ放置を続けると現実無視が常態化する」という認識が共有される
4. 事実指摘が正しいという常識が一般化する

こんなところだろうか。 氷河期世代にとって1がゲーム機戦争、2が民主党政権時代、といった感じになると。 ある意味、既になされているただし、共有も一般化もされていない。

日本人はハンドル名に拘る。 いや全員がそう、というワケではないのだが、ゲーム内のプレイヤー名などで捻った名前を用いる人を多く見る。 そうなっているポジティブな理由は、下ネタだろうがなんだろうが笑わせる、少し不思議に思わせた後の発見で喜ばせるといったもので、ネガティブな理由としては、そうじゃない人間は幼稚だという認識が広くあり、それを避けたいという見栄からだ、というもの。 ちょっとした「ジョークの精神」がハンドル名に出ているんだな。 「外人たちもそれやってて拾えてないだけじゃないか」という指摘もあるだろう、だがどうだろう、英語圏の、日本人的感覚で言う所の「イタい名前」なんかは見て取れるのだが。
さて今回のこの文章、「ジョークの精神」の指摘だな、は先日「これが邪悪なのだ」と否定したホスピタリティ精神論に該当するだろうか。 私は「該当しない」とする、というのも、現時点では「こう見える」といった違いの指摘であり、強制性を持たせようとしてはいない。 もっと言うと、仮に遊びの場が「ジョークの精神」で溢れているのが好ましいとしても、その実現手段として精神論を用いるのは下策だと思っている。 正直、そういうのは場を支配したい人間がやるのだろう、と見下している。

バレーボールの。 日本の学校の、部活動だろう、を指導する場の動画がネットに流されてちょっとした話題になっている。 動画自体はまだ見ていない。 見ずに書く、反応は、「指導だ」というものと「虐待だ」というもので半々か。 おそらく「指導だ」と主張する人たちの声の方が大きい。 文字だけど。 文字の大きさではなく語調と、一人当たりの発言投稿数。 中間意見の「昔はセーフだったが今はアウト」というのも多数。 で、思うわけだ。 昔もアウトだったとしたら?と。
今も昔も実はアウト。 例として挙げよう、「飲酒運転をする方が常識だった」「万引きなんてみんなやってる」「いじめも社会の一部だ皆そうやって社会性を身につける」こんな感じか。
話を戻そう、動画を見て「これは虐待だ」とする側の主張。
・顔面を狙っている
・へばっているところにさらにぶつけている
・指導者がストレス発散でやってそう

といったところ。 逆の、「指導だ」の側の主張。
・こんなの普通
・ボールから逃げないようにしている

といったところか。 私は「虐待だ」派。 動画まだ見てないけど。 プロスポーツ全般について思っている事がある。 こうした、縦社会型虐待指導を受けていない子たちの方が、技術は上。 勝手な見解を続けよう虐待指導で身につくのはルールを利用して、あるいはさらに、審判の目の届かないところでルール違反を犯し、競技者同士競技を楽しむという前提を壊して他人を下にしようとする傾向。 もちろん、「それもまた技術なのだ」と喜んで見ている人も多いだろう。 つまりだ。 「指導だ」としている人たちは、どこかで楽しんでいる。 他人が虐待される、蔑ろにされる場面を傍から見るのを。

小さい子が「××になりたい」と言うのを微笑ましく見守る。 職業願望。 まあよくある場面なのだろう。 ではこんなのはどうか。
「僕は王様になって奴隷たちをこき使いたい」。
小さい子にハーレム願望は無いと思う。 一般には。 だが「ボスになってブイブイいわせたい」というのはあるだろう。 職業願望全般にそういうものがあるのだとしたら? 書いちゃおう、「職業願望全般そういうもの、金銭欲も結局はそう、だが職業願望とされるもの全般がそうというわけではない」。 どういう事?と疑問に思われるだろうか。 例えばだ。 絵を描いていたい、といったものがあったとしよう。 絵を描くのが好きで将来も続けたいと思っていると。 これは必ずしも職業願望ではない、当人としては営利非営利の区別がない、もっと言うと、絵描きという地位に対する拘りもこの時点では無い、が、社会では職業願望の一種として扱われる。 ここに何があるか。 「金に非ずば人に非ず」という、「お前も俺たちと同様に奴隷になれ」という強要なんだな。 ご用心。
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