狸喰うモノ牛愛でるモノ

思う我はどこにある

評価型の人というものは素性が悪い

2011-12-15 16:00:38 | Weblog
Q界をドラマ派と職人派とに分けて捉える。
ドラマ派のトップがいわゆるQ界のドン。
最近あったゴタゴタはドラマ派の内紛でそうなった理由は昨シーズン
ドラマ派が大きく動き箍が緩んだからではないかと見たり。

サイレンを鳴らして救急車が来たとする。
一般的な日本人は道を空ける。 これを当然とする。
これは急ぐ必要が有るのだという判断から鳴らされているサイレンに
対しその必要性故に道を空けているのであって救急車が偉いから道を
空けているのではない。 救急は極端な例だ。 だがこうした優先の
判断は日常のあちこちにある。 この時評価型の人はこう見る。
その人が偉いから優先されているのだと。
子供に対し大人がタバコを吸う、偉い人だから許される、だからタバコを
吸うのが偉い人なのだという評価。

沖縄報道を評価型人間の世界に当てはめて見る。
かつてはマルクス教、今日のそこにはリベラル教の原理に則っている
かどうかという基準があり、その原則に沿っていれば偉く反していれば
悪の側だという評価が為されると。 報道姿勢が反米、反権力なら正義
といった類のもの。 そうした姿勢が彼らの身内の不品行を隠蔽して
いるのだとしても問題視はされない。 事実は伝わらない。 でも報道
姿勢としては正しいとされる。 ジャーナリズムとはそういうものなのか。
私の目にはそう映る。

「偉いジャーナリズム」その周辺に対する干渉が暴対法、反応が椿事件。
20年前の日本はそういう社会だった。 20年経って変わったのかどうか。
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