入れ替えの
効く物は皆
個ではなく
認識出来ぬ
その他の物だ
リベラリズムにおける公正とは「立場入れ替え可能性の確保」を意味するそうだ。
つまりリベラリズムは根幹から間違っている。
人は一人一人違う。
違うからこそ他人は尊い。
同じ物に尊さはない。
入れ替え可能を公正とすることはその否定である。
私は私の欲する物を求める。
私が求めるのは私が欲するからである。
他人が欲するからではない。
他人が欲するから自分も欲するという行動を私はよこしまであるとみる。
他人が欲する物を私は尊重したいと思う。
私の物を、私に与えられた物を他人が欲したら私は怒る。
私の物ではなくあなたの物を求めろと怒る。
ただ怒る。
私が分けた物を他人が喜んだら私も喜ぶ。
他人が分けた物が私にとって喜ばしい物だったら感謝する。
だが他人になろうとは、なりたいとは思わない。
私は私である。
私の好きは私の好きであり、私の嫌いは私の嫌いである。
私の罪は私の罪であり、私の負けは私の負けである。
私は私であることを正しいとする。
他人でありたいとするのは邪悪である。
私があなた方を入れ替えると書いたらあなた方はどうするか。
あなた方が欲するのはそれだろうか。
効く物は皆
個ではなく
認識出来ぬ
その他の物だ
リベラリズムにおける公正とは「立場入れ替え可能性の確保」を意味するそうだ。
つまりリベラリズムは根幹から間違っている。
人は一人一人違う。
違うからこそ他人は尊い。
同じ物に尊さはない。
入れ替え可能を公正とすることはその否定である。
私は私の欲する物を求める。
私が求めるのは私が欲するからである。
他人が欲するからではない。
他人が欲するから自分も欲するという行動を私はよこしまであるとみる。
他人が欲する物を私は尊重したいと思う。
私の物を、私に与えられた物を他人が欲したら私は怒る。
私の物ではなくあなたの物を求めろと怒る。
ただ怒る。
私が分けた物を他人が喜んだら私も喜ぶ。
他人が分けた物が私にとって喜ばしい物だったら感謝する。
だが他人になろうとは、なりたいとは思わない。
私は私である。
私の好きは私の好きであり、私の嫌いは私の嫌いである。
私の罪は私の罪であり、私の負けは私の負けである。
私は私であることを正しいとする。
他人でありたいとするのは邪悪である。
私があなた方を入れ替えると書いたらあなた方はどうするか。
あなた方が欲するのはそれだろうか。