狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

リベラリズムについて

2009-11-30 17:33:19 | Weblog
入れ替えの
効く物は皆
個ではなく
認識出来ぬ
その他の物だ

リベラリズムにおける公正とは「立場入れ替え可能性の確保」を意味するそうだ。
つまりリベラリズムは根幹から間違っている。

人は一人一人違う。
違うからこそ他人は尊い。
同じ物に尊さはない。
入れ替え可能を公正とすることはその否定である。

私は私の欲する物を求める。
私が求めるのは私が欲するからである。
他人が欲するからではない。
他人が欲するから自分も欲するという行動を私はよこしまであるとみる。
他人が欲する物を私は尊重したいと思う。
私の物を、私に与えられた物を他人が欲したら私は怒る。
私の物ではなくあなたの物を求めろと怒る。
ただ怒る。
私が分けた物を他人が喜んだら私も喜ぶ。
他人が分けた物が私にとって喜ばしい物だったら感謝する。
だが他人になろうとは、なりたいとは思わない。

私は私である。
私の好きは私の好きであり、私の嫌いは私の嫌いである。
私の罪は私の罪であり、私の負けは私の負けである。
私は私であることを正しいとする。
他人でありたいとするのは邪悪である。

私があなた方を入れ替えると書いたらあなた方はどうするか。
あなた方が欲するのはそれだろうか。
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勝利について

2009-11-30 12:26:22 | Weblog
勝ち取った
栄光の価値
いかほどの
何を隠すか
赤い絨毯

オバマ氏は考えたようだ。
他方、大多数のアメリカ人は考えることを放棄している。
考えることを放棄した人たちがオバマ氏に、独裁者であることを求めている。
私はそれを間違っていると考えるのでオバマ氏の人気低下を喜んでいる。

さて昨日私は勝負に負けたわけだがその結果、経験が増えた。
良心と本能、あるいは正しさと常識との葛藤である。
経験は人生の財産であり私はこれを言葉という形で共有することを良しとする。

人には常識があり、常識から少し先の未来を見る。
未来に恐怖する時人は大概抗えない。
例えばこう。
戦場で、敵がいる。
敵、つまりは敵である。 敵なのである。
撃って良いという常識があり、殺されるという恐怖があり、奪われるという未来がある。
そこで人は撃つ。
殺すよりも殺される方が正しいという良心が有りながら殺す方を選ぶ。
相手も人である、相手にも正義があると知りながら、
自分の正義の方が正しいという宣伝にすがりつく。
本当に正しいのかろくに考えもせずに。

ネットで感謝祭を調べた。
勝利を求める人たちの歴史を知った。
あなた方は悪を知っている。
なのに何故あなた方は淫婦に集うのだ?
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