ミエルの居心地のいい場所

乳がんが気付かせてくれた事【心地よい場所を沢山もっていればきっと大丈夫!】そんな場所を毎日探しています。只今バラに夢中☆

この国のゆくえ (詩)

2005年08月10日 16時15分36秒 | (詩)
生と死が隣り合わせだった時代
愛する人を守るため
愛する人の住む祖国を守るため
はかなくも散っていった尊き命
今この時代の平和の礎となっていることを
決して忘れてはならない

愛する人達の命を守るため
潔く命を投げ出したあの時代
命の重さは今と 少しも変わるはずはない

なのに命のきらめきは
あの頃の方が
はるかに輝いていたのではないだろうか?

今の時代普通に生きていると
【死】というものは他人事
自分が死ぬ事など考える事も無く
世界一の長寿国となった今 
誰もが長生きできると考えている
ただ なんとなく・・・

あの頃みなが求めたもの
家族が一緒にいられること
恋愛 職業 思想の自由

戦争に負けた悔しさを糧に
この国はどこまでも成長し
【平和】を手に入れた

しかし経済や物質に支えられた平和は
心を失くし 生きる事への執着を忘れさせ
【死】も遠ざけていった

求めたものは手に入れてはみたが
大切なものを 私達は
どこかへ置き忘れてしまったのではないか?

あの時代 命を懸けて守ったこの国は
いったい何処へゆくのだろう?
 
あの時代 命を捧げた人達は
60年後のこの国を 
どんな想いで見つめているのだろう?


               素材提供:STAR DUST
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
思想の自由
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13 コメント

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【ベストブログランキング 】 (ミエル)
2005-08-10 16:17:18


皆様、

毎日応援クリック、ありがとうございます。

お陰様で幸せの輪が少しずつ拡がっていっています。



これからも皆様の心と心が繋がる記事を書いてゆこうと思います。



読んで良かったなーと思われる方は、クリックをお願いします。



http://www09.bestblogrank.zmapple.com/cgi-bin/5/ranklink.cgi?id=miel3214



どうぞよろしく!

こんにちは! (pumita)
2005-08-10 17:59:26
読んでいて、少し せつなくなりました



「死」を意識していた あの時代、大切なものが、ちゃんと見えていたのかもしれません。

今は、欲しい物は お金を払えば手に入る時代。

自分にとって、それが本当に大切なものなのか…

すごく悩んで辛いこと。それは、命に係わることなのか…

もう一度、考えていきたいですね

私の両親は (ししこ)
2005-08-10 21:23:47
この時期になると、繰り返し繰り返し戦争体験を話し出します。



母の実家の織物工場が終戦前日に焼夷弾で焼かれて、まじめに働いて小作人たちに貸していた土地も、農地解放で取り上げられてしまって、無一文になった祖父は、足利から浅草までリヤカーを引いて商品を仕入れては売って生計を立てたそうです。



旧制中学の学生だった父は、中島飛行機の関連工場で、空襲を避けながら働いていたそうです。飛行機から落とされた爆弾は、まるで電信柱が落ちるように、空気に縦線を描いて地面に突き刺さるのだそうです。



いつだったか美術館で、爆弾投下をもじってコンドームがふわふわと横に並んで飛ばされている絵を見たときに、知らないということは、不幸なことだと感じた。



毎年繰り返される戦中戦後の話を聞かされながら、両親の病はいつ癒えるのだろうかと思います。心を病んだ親に育ててもらった私たちも、わずかに戦後という病の後遺症に苦しみ続けているのかもしれませんね。



相田みつを (ボレロ)
2005-08-10 21:35:48
相田みつをのある書の前で切なく体の中から嗚咽していました。彼の戦争で亡くした二人の〈あんちゃん〉に関する内容です。
痛み (もも)
2005-08-11 09:19:08
 おはようございます。

 それなりに未だに、ご家族の中に痛みがあるのが戦争なのですよね!読んでいてすごく辛く・悲しくなりました。



 私の父も、広島の「えだじま」(日本海軍の基地}で広島の原爆を見ました。また、母も満州の引き上げ船の中から長崎の原爆を見ました。それだけに戦争への記憶が辛く・特に母は外地での生活が裕福だっただけに、日本での生活の貧しさに苦しんだようです。



 また、現在、私のお友達も国連の戦争被害地への仕事をしている関係で、いまもその後遺症で苦しんでいる人の話を良くしてくれます。本当に日本人は平和ボケと言われるくらいの生活を送っています。それが良いのか・どうかは解りませんが・・!考えさせられます!



 本当に「平和」が来るのはいつなのかな〜と・・!
プミちゃんへ (ミエル)
2005-08-11 13:34:33
物が溢れ情報が溢れ、選択の自由を与えられ、

それが果たして幸せなのか?

今の自分が『幸せ』だとはっきりと言える人はどの位いるのでしょうね?

幸せになる為に平和を手に入れたのですから、

幸せを感じなくてはいけませんよね。
ししこちゃんへ (ミエル)
2005-08-11 13:54:33
戦争の記憶は決して消える事も癒される事も無いのでしょうね。

私達の親世代は、子供時代や思春期の一番輝く時代を戦争に奪われてしまいました。

だから子供にはそんな思いをさせたくないと、

その一心で私達を育て、社会を変えようと、

一生懸命働いて【平和】を手に入れてくれたのですね。

その想いに報い、活かす事が大切なのだと思います。

ボレロさんへ (ミエル)
2005-08-11 14:03:17
美術館に行って良い出会いがあったのですね。



相田みつをさんのお兄さんは、優しくって、面倒見のいいお兄さん方だったと聞いています。

頼り切っていた愛するお兄さん達を奪った戦争に対する想いが、

きっとその書には込められていたのでしょうね。

どんな書なのか、今度教えて下さいね。

ももさんへ (ミエル)
2005-08-11 14:49:33
悲しい思いをさせてしまってごめんなさい。

ご両親にとっての広島は、辛すぎる記憶なのですよね。

お父様は海軍にいらっしゃったのですか?

主人は海上自衛隊出身なので、江田島には数多くの思い出があります。

日本人なら一度は江田島を訪れたほうがいいというので、

3年前に旧海軍兵学校の江田島参考館を訪れました。

特攻隊にまつわる資料が展示されているのですが、あまりにも重くて、身動きできないほどの衝撃を受けました。

20歳以下の子供達が、立派な遺書を残して逝ってしまった事が現実だったんだと、身を持って感じてしまいました。

今の平和がどんなにありがたい事かと、考えさせられました。

今の幸せを思いっきり楽しみたいと思います。



Unknown (ユカリ)
2005-08-22 17:08:46
「素敵な輪、そして和」からきました。



この春、はじめてサイパン島を家族で訪れました。

本当は昨年7月の夏休み旅行だったのですが、乳癌発覚、手術、抗がん剤治療で無期延期の旅行が実現し、ただただ家族で旅行にこれた事がうれしくて舞い上がっていました。

その地で多くの悲しみが深い海に眠っている事にも気が付かずに・・・。



そしてこの夏また訪れる事となりました。

多くの戦没者の方々のお陰で今の平和があり、旅として、この美しい海に訪れることが出来る事に感謝し、今もなお海辺に残る戦争のつめあとに安らかなる眠りを願い祈りました。



戦争体験も無く、豊かな日本に生まれ育った私にとって戦争は遠い昔の話で他人事でした。祖父母も早くに亡くしているので話さえ聞く機会がありませんでした。

けれど、勝手ではありますが病気を通して初めて「命」を考え、今、戦争は決して遠い昔の話でも他人事でもない事に気が付きました。

けれどその事を経験の無い母親が子供達に伝えるにはリアリティーに欠けていて難しいです。



今の日本、平和です。

戦争、貧困で命を脅かされる事はなくなりました。

でも、その代りかの様な、残虐な事件、予期せぬ大事故、病気、異常気象、テロ犯罪・・・。



平和を感謝しつつ、子供たちの未来を託すには一抹の不安がよぎります。



ユカリさんへ (ミエル)
2005-08-23 12:56:04
サイパンに再び行かれた時、心から感謝と平和を祈る事ができたのですね。

愛する人達の命を、戦争に奪われることだけは避けなくてはなりませんね。

これから戦争を語る世代がだんだんいなくなってきます。そしてだれも語らなくなった時、又、同じ過ちを起こしてしまいそうな気がします。

子供達や、その又子供達の未来が平和であるよう、今の大人達ができる事を考える必要がありますよね。

今の時代を作ったのは、ちょっと前の大人達なのです。

そして、未来を作るのは今の子供達なんです。
命をかけて愛する人を守る決意と信念 (沖縄の安里)
2006-06-07 00:41:58
ミエルさんすばらしい詩をご紹介下さって本当にありがとうございました。

とても感銘を受けました。



ミエルさんの物事の本質を見極める目とそれを自らの思いや願いを込めて文章や詩に表現する筆力には本当に頭が下がります。

自分にないそのような感性と表現力をとてもうらやましく思います。

感性や表現力というよりミエルさんのすばらしい人柄そのものの発露といった方がいいかもしれません。



当時の青年や乙女たちは、確かに物は豊かではなかったかも知れませんが、愛する人々を想い、愛する人々の住む祖国を想う心は何よりも強く、自らの心の光、自らの信念につき従う決意は並々ならぬものがありました。

たとえ命を失おうとも愛する人々のためにすべてを捧げる潔い心の強さを持っていました。



だからこそ彼らの心や命は輝いていたのでしょうね。

彼らはとても幸せだったのかも知れません。



今の日本に足りないものは、まさに彼らが内に秘めていたものかも知れません。



すばらしい詩を本当にありがとうございました。

沖縄の安里さんへ (ミエル)
2006-06-07 13:48:55
あまりにも褒めて頂いて、恐縮しています。

こちらこそありがとうございます。



この詩はとても重たいテーマなので、投稿する事をちょっと躊躇しました。

でも、やはり目をつぶって知らん顔していたくないと思いました。

いつも抱えているわけではなくて、

どうしても忘れてしまうこと、

できれば忘れていたいけれど、

やっぱり忘れてはいけないからー



そんな葛藤の中で皆さんにメッセージとして伝えたのです。

今また、やはり書いて良かったと胸を張って言えると思います。

そう思わせていただいた安里さんに感謝いたします。



【幸せの基準】は人によって、環境や時代によって変わってきます。

少なくともあの時代の中では、

命を賭けて守るべきものがあった彼らは、

安里さんのおっしゃるように、幸せだったのだと私も思います。

守るものがあると、人は強くなれますものね。

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