愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

関ヶ原古戦場(9) 岐阜県

2017年05月12日 14時32分11秒 | 岐阜県
福島正則陣所跡
松尾山から降りたら、関ヶ原の南の方面を歩くことになります。まずは福島正則の陣所跡です。

福島正則陣所跡

案内板に残念ながら松尾山に発砲したとは書いてありませんでした。代わりに宇喜多秀家に向けて宣戦布告の意味で発砲したようです。

藤堂高虎・京極高知陣所跡
すぐ近くに藤堂高虎・京極高知陣所跡がありました。

藤堂高虎・京極高知陣所跡

ここにも藤堂陣や京極陣が松尾山に発砲したとは書いてありません。どうも、先に書いた話(家康が寝返りを促すため福島・藤堂・京極らに松尾山に向けて発砲させた)は私独自のもののようです。

西首塚
さて、そこから北の方に進み、国道21位号線を越えると西首塚という史跡がありました。

西首塚

西首塚の元は、関ヶ原の戦いの勝者である徳川家康が地元の武将竹中重門に戦死者の処理を命じ、竹中重門は西と東の2つ戦死者を弔う首塚をつくったそうです。西首塚は昭和6年に国指定されたそうです。関ヶ原の戦いでの戦死者は、ネットで約8千という数字も出ていますが、詳しい数字は分からないとしています。1万人ぐらいはいたのではないでしょうか。私もお参りしました。

さて、次に本多忠勝の陣所跡に行きたかったのですが、道を1本間違えてしまい、行きつくことはできませんでした。時間もかなり経過していて体も弱ってきましたので、そのままにしておくことにしました。

松平忠吉・井伊直政の陣所跡
いよいよ一巡して元の資料館に近づいてきました。東軍の先方隊松平忠吉・井伊直政の陣所跡が見えてきました。

井伊直政・松平忠吉陣所跡

東首塚
このすぐ隣に東首塚がありました。昭和6年に国に指定され、その時には「周囲5間(約9メートル)高さ5尺(約1.5メートル)の円塚」だったそうです。さらに東塚には大変立派な門が設置されていました。

東首塚の中心にあった「スダジイの古木」

東首塚の門

東首塚でもお参りし、ようやく元の資料館に戻ることができました。

以上を持ちまして関ヶ原古戦場めぐりは一応区切りとします。まだ東の南宮山方面が残っていますが、次回ということにします。家康の床几場(11時5分)から最後東首塚(16時16分)まで5時間余りを歩き、その間に松尾山(200メートル)の山登りもしたので、くたくたでした。
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