みどりの一期一会

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原発への攻撃、全電源喪失も想定/『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼博著

2011-08-01 20:35:50 | 地震・原発・災害
開沼博さんの著書】『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたのか』が、
日曜日の毎日新聞の「今週の本棚」で紹介されました。
論者は中村達也さん。

これで、朝日新聞、中日新聞、毎日新聞の書評につづけて載りました。

それだけでもすごいことです。

 今週の本棚:中村達也・評 『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ…』=開沼博・著

 ◇『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社・2310円)
 ◇原発を抱擁した「内なる植民地」の記録

 三月一一日を境に、福島はフクシマ(Fukushima)として世界中にその名が知られることとなった。幸福の地を意味する福島が、苦難を背負って重い第一歩を踏み出した。著者は、その福島県生まれの大学院生。すでに三月一一日以前に書き上げた修士論文が元になっているとのことだが、震災後に現れた多くの速成本とは趣を異にしている。〇六年以降、福島の原発地域に足繁(しげ)く通いつめ、現地の人たちの生の声を聞きとり、地元紙を過去にさかのぼって読み込み、いくつもの町史を丹念にたどり、そして県政の担当者にもインタビューを試みた。さながら虫の目のごとくに「原子力ムラ」の時空間を見つめ続けてきた。もしも、あの三月一一日がなければ、一般書の形で多くの人の目に触れることはなかったかもしれない。
 中心テーマは副題にある「原子力ムラはなぜ生まれたのか」。ただし、ここでいう「原子力ムラ」とは、中央の政・官・業・学をめぐる閉鎖的でもたれ合い的なあの共同体のことをいうのではない。著者が「原子力ムラ」と呼ぶのは、原子力発電所とその関連施設が立地する町、村のこと。J・ダワーの『敗北を抱きしめて』になぞらえて、著者は「原子力ムラ」が、原発を「抱擁」することになった、と表現する。一方的に押しつけられたのでもなく、かといって無条件で積極的に受け入れたのでもない複雑で重層的な関係を言い表すために、あえて「抱擁」という語を選んだのである。
 「原子力ムラ」は、かつて「福島のチベット」と呼ばれた貧困と過疎の地であった。生計のために、多くの人たちが出稼ぎを余儀なくされていた。戦前には、陸軍の練習飛行場用に土地が強制買収され、戦後になって、堤康次郎率いる国土計画興業と地元住民に払い下げられた。そんな地域に、国と電力会社が推進する原発誘致の話が持ち上がる。中央・地方(県)・地域がそれぞれの思惑でこの計画に向き合う。六一年、大熊・双葉で原発誘致を決議。六七年、福島第一原発着工。そして七一年に営業運転開始。後に起こる反対運動に比べれば、軋轢(あつれき)はまだしも少なかった。福島第二原発となると様相は、大きく変わる。七二年、双葉地方原発反対同盟結成。反対運動のさなか、八二年に福島第二原発が運転開始。反対同盟の委員長が後に町長に就任、一転して原発容認に変わるという経緯も。そして九一年、双葉町議会は原発増設を決議。
 「福島のチベット」から「原子力ムラ」への転化で何が変わったのか。まずは、財政事情の好転、そして雇用の創出。原発の誘致が決まり建設が始まる頃から電源立地交付金が町の財政をうるおす。次に、原発の運転開始後に入る固定資産税。さらに、発電中の原子炉核燃料価格にリンクして課す核燃料税が県収入として。ちなみに、全国自治体の収支状況を表す財政力指数(=収入/支出)を見ると、「原子力ムラ」が上位を占めているのが分かる。「原子力ムラ」では、住民の三人~四人に一人が原発関連の仕事についている。さらに、原発の定期点検のために他の原発地域からやってくる千人規模の流動労働者。彼らが滞在する間、ホテル・旅館・民宿・飲食店がにぎわう。しかし、そうした町の財政状態がいつまでも続くわけではない。交付金は発電所完成後に大幅に減り、固定資産税は資産の償却に伴って年々減少してゆく。「原子力ムラ」の財政力指数は、しだいに下降線をたどる。そんな時機に原発増設の要請があり、受け入れへと。そして、二〇一一年三月一一日。
 著者は、福島の「原子力ムラ」に託して戦後日本の成長の中で取り残された多くの地域のことを語りたかったにちがいない。日本のどこの地域でもありえたこと、ありうることを。タイトルをあえて福島論ではなく「フクシマ」論としたのもそれゆえであろう。そうした意味での一般化を試みた最初の数章と最後の数章は、しかし、いささか生硬で議論がぎこちない。戦前の外への植民地化に代わって、戦後になって進められた内への植民地化のなかで翻弄(ほんろう)される地方・地域というストーリーである。でも、その生硬さとぎこちなさは、問題を精一杯考え抜こうとする著者の思考の舞台裏をそのまま語っているからなのかもしれない。
 原発問題が収束して、「原子力ムラ」から各地に避難した人々が帰ってきたとき、もはやそこはかつての「原子力ムラ」ではありえない。土地も空気も川も海もコミュニティも、財政基盤も雇用も、もはやかつてとは異なっているだろう。どのような新しいコミュニティを構想し創造してゆくのか。反原発であろうと、脱原発であろうと、卒原発であろうと、あるいは親原発であろうと、まずは「原子力ムラ」の現実を直視することなしには始まらないだろう。「原子力ムラ」の現場にぴったりと寄り添い、虫の目をもってその推移を辛抱強く見続けてきたこの作品は、数ある震災本・原発本の中でも、ひときわ異彩を放っているように思うのである。
毎日新聞 2011年7月31日 東京朝刊


この本は全国の過疎地の抱える問題を浮き彫りしています。
この本を読んでいると、ゴルフ場や廃棄物処分場やダムを受け入れていった、
海のない山の過疎地も同じだと、つくづく思います。

「原子力ムラ」ではなく、「ゴルフ場ムラ」や「産廃ムラ」。
わたしの地域も例外ではなく、ふりかかる火の粉をはらうために、
わたしたちは、苛烈な反対運動に身を投じました。

「フクシマ」は、都市に住む人には見えないけれど、日本のどこにでもある、と思います。

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同じ日曜日の、朝日新聞のトップは、目の覚めるような記事。
他紙には載ってないので、きっと朝日のスクープなのでしょう。

  原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省

原発への攻撃3つのシナリオと被害予測
 外務省が1984年、日本国内の原発が攻撃を受けた場合の被害予測を極秘に研究していたことがわかった。原子炉や格納容器が破壊された場合に加え、東京電力福島第一原発の事故と同じ全電源喪失も想定。大量の放射性物質が流出して最大1万8千人が急性死亡するという報告書を作成したが、反原発運動の拡大を恐れて公表しなかった。
 欧米諸国は原発テロを想定した研究や訓練を実施しているが、日本政府による原発攻撃シナリオの研究が判明したのは初めて。
 81年にイスラエルがイラクの研究用原子炉施設を爆撃した事件を受け、外務省が財団法人日本国際問題研究所(当時の理事長・中川融元国連大使)に想定される原発への攻撃や被害予測の研究を委託。84年2月にまとめたB5判63ページの報告書を朝日新聞が入手した。
朝日新聞 2011年7月31日


朝日新聞 2011年7月31日

今朝の毎日新聞は「核テロ想定して論議を」の社説。

「原子力の平和利用」なんて、ありえない。

 社説:視点・原発の是非 核テロ想定して論議を=論説委員・布施広

 毎年恒例の国連軍縮会議が長野県松本市で開かれた。国連軍縮部とアジア太平洋平和軍縮センターが主催し、外務省などが協力する会議は23回目。私は08年以降、毎年参加しているが、今回ほど傍聴者の多い会議は初めてだった。原発事故への関心が高い証拠だろう。

 冒頭の基調講演は国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が行い、3日間の会議閉会後は小澤征爾さんがミニ演奏会を開いて大震災の犠牲者を悼んだ。「軍縮」の会議に「原子力の平和利用をめぐる喫緊の課題」という議題が設けられたのも異例のことである。
 世界の核体制が静かに揺れているのだろう。核拡散防止条約(NPT)は米英仏露中の5カ国にのみ核兵器保有を、他の国には原子力の平和利用を認めている。核兵器保有国が最終的に「核兵器のない世界」をめざすのはいい。ただ、福島の原発事故後、NPTのもう一つの柱である「原子力の平和利用」を無条件に容認できるか、という問題が浮上したのだ。
 考えさせられたのは、松本市の菅谷昭市長の発言だ。かつてチェルノブイリ原発事故の汚染地域で医療活動に従事した菅谷氏は土壌の汚染や内部被ばくの恐ろしさを説明し、いまや地球規模でエネルギー政策を考える時期だと強調した。確かに、放射能災害を制御する能力が人類にないなら、「原子力の平和利用」も核兵器開発と同様、大きな危険がつきまとう。
 だが、軍縮会議では「原子炉建設禁止条約」を作ろうという声はとんと聞かれない。それが世界の現実だ。来年ソウルで開かれる第2回核安全保障サミットを担当する韓国外交通商省の白芝娥(ペクジア)局長は「福島の原発事故後も原子力は多くの国で主要なエネルギー源であり続けるだろう」と明言した。
 その白局長も核テロの脅威を強調することを忘れない。米国の同時多発テロは世界の意表を突くテロ行為だった。ノルウェーの乱射事件もそうだ。例えば日本海側の原発がテロリストに乗っ取られたり、ミサイルに被弾したりする事態も想定して原発の是非を論じるべきだと私は思う。原子力政策と外交、安全保障は別々のことではない。
 内閣府原子力委員会の鈴木達治郎委員長代理は、原発問題を論じる組織・機関が国民の信頼を得ることが大切だと説いた。同感である。まずは、やらせ問題を起こした原子力安全・保安院をはじめ関係組織の体質を変えることが肝要だろう。「のど元過ぎれば」は禁物だ。危機はのど元を過ぎてもいない。
毎日新聞 2011年8月1日



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