みどりの一期一会

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教育勅語 復権など許されない/教育勅語の学校教材活用 負の歴史しか学べない/水仙いろいろ。

2017-04-05 22:08:46 | ほん/新聞/ニュース
今年度の事業を相談する「む・しネット」のスタッフ会を
講師二人の自宅で開催しました。

関西と愛知からはるばるおいしいお土産を持って来てくださったので、
まずは、コーヒーを淹れて、プリンとラスクを食べながら、おいしい会議。



今年度の講座の打合せもサクサクとすすみました。


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ちょっと遅めのお昼ご飯をたべて、庭を散策。

モクレンはほぼ満開、花桃にはちょっと早かったのですが、
足元の水仙や草花がいろいろ咲いていました。
  

  

   

シバザクラ


  



  
スノードロップ


モクレンの写真はたくさん撮ったので、整理してからまたアップしますね。


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後半は、学校の道徳教育の教材になりそうな「教育勅語」の問題。
安倍政権になってから、戦争の足音が近づいてくるような気がする。 

  社説:教育勅語 復権など許されない
2017年4月5日 中日新聞 

 戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。個人より国家を優先させる思想である。復権を許せば、末路は危うい。

 教育勅語について、政府は「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない」との答弁書を閣議決定した。菅義偉官房長官はさらに踏み込み、道徳教材としての使用も容認する考えを記者会見で示した。

 政府のこうした言動を深く憂慮する。

 国会議員の質問主意書への答弁書とはいえ、政府が個別の教材の位置づけを明示することは、教育に対する介入に等しい。ましてや、国民を戦争へ駆り立てた教育勅語の取り扱いである。肯定的な姿勢は国内外の疑念を招く。

 教育勅語は一八九〇年、明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。自由民権運動や欧化主義と儒教主義や皇国主義との対立を収め、教育の基本理念を定める狙いがあった。

 学校での朗読が強制され、神聖化が進んだ。天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。

 親孝行や夫婦の和、博愛といった徳目は一見、現代にも通じるものがある。だからだろう、安倍政権を支持する保守層には、教育勅語を評価する向きが少なくない。

 しかし、その徳目はすべて「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以(もつ)て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に帰結する。国家が非常事態に陥った時には天皇のために身命を賭すことが、不変の真理であると国民に植え付けたわけだ。

 だからこそ、教育勅語は戦後の一九四八年に衆院で排除の、参院で失効の決議がされた。閣議決定はこれをたがえるものである。

 もちろん、かつての天皇制や教育の仕組みを学ぶ歴史教育のための資料としては有効だろう。

 それでも、とりわけ道徳教育では持ち出すべきではない。国民主権や基本的人権の尊重といった現行憲法の理念に根差してはいないからだ。「憲法や教育基本法に反しない形」で、教材として使うのはおよそ不可能である。

 小中学校の道徳の時間は、特別の教科に格上げされるが、個々の徳目に惑わされてはならない。それこそが教育勅語の教訓だろう。

 自民党は復古的な憲法改正草案を掲げる。戦前の価値観を志向するような閣僚ぞろいの安倍政権が唱える教育観には警戒したい。


  社説:教育勅語の学校教材活用 負の歴史しか学べない
毎日新聞2017年4月5日

 教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする答弁書を安倍内閣が閣議で決めた。菅義偉官房長官は教育勅語を道徳教育に使うことも「否定できない」と述べた。


 戦前の教育規範だった教育勅語は国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし、戦後、国会の決議で失効した。この経過を踏まえれば、こうした言動は看過できない。

 答弁書は「教育の唯一の根本とするような指導は不適切」だが、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を示した。

 憲法などに反しない活用法とはいったい何を指すのか。

 1948年、教育勅語について衆院は基本的人権を損なうとして憲法に照らし排除の宣言を、参院は教育基本法制定により失効の確認をそれぞれ決議した。にもかかわらず憲法や教育基本法に反しない活用法ならよい、というのは理解に苦しむ。

 政府が道徳での活用を否定しない態度はとりわけ問題だ。教育勅語は親孝行など12の徳目を示しているが、菅長官は「適切な配慮の下」でなら「懸念は生じない」と言う。

 だが、親孝行など道徳的な教えは教育勅語を持ち出すまでもないことだ。教育勅語の核心はこうした徳目を実行することで「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。

 それがどう使われたかの歴史的文脈を無視するような姿勢は、新憲法により天皇中心の国家観を否定し、国民主権となった戦後の日本の歩みに逆行しているかのようだ。

 「適切な配慮」の定義もあいまいだ。解釈が広がるおそれがあり、教材としてお墨付きを与えることにつながりかねない。

 教育勅語を巡っては、学校法人「森友学園」の幼稚園が園児に唱和させ、稲田朋美防衛相が国会で「核の部分は取り戻すべきだ」と再評価する発言を繰り返し問題となった。

 政府として活用する考えはないというが、ならばなぜ全否定をためらうのか。憲法や教育基本法に抵触せず、適切に活用するとすれば、教育勅語が軍国主義教育を助長していった負の歴史の教訓と反省を説く教育以外にはないのではないか。  



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