緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言4

2016年12月28日 15時39分23秒 | 日記





























4      ニュー・ヴィジョン



「ジョン・メイスフィールド氏の言葉に”この地上において大学ほど美しいものはない”ということばがある。
 彼の言葉は今日でも真実である。しかし、彼は建物やキャンパスの緑、蔦でおおわれた塀などの美しさを語っていたのではない。彼が大学の美をほめたたえたのは、彼も語っているように、大学とは”無知を憎む人間が知識を得るために努力し、真実を見たものがそれを他に知らしめようと努力する場所”だからだ。
 故に私はこの場と時を借りて往々にして無知が支配し、真実が押し潰されているある事柄について語りたい。それはこの地上で最も重要な事柄ー世界平和である。
 どのような平和を私は言っているのか?どのような平和をわれわれは探求しているのか? それはアメリカの武力によって押しつけられるパックス・アメリカーナではない。
 そして、墓場の平和でもなければ、奴隷の安全性でもない。私がいっているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせるような平和であり、すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立てさせ得る平和である。
 それは日本人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、われわれの時代だけでなくすべての時代の平和である。
 今日、何千億ドルという金が軍事費に使われ、それによって平和が維持されている。しかし、核兵器の無駄な蓄積、破壊するだけで何ものも創造しない核兵器の蓄積だけが平和を保障する唯一の、しかも最も効果的な方法なのだろうか。決してそうではないはずだ。 平和とは理性的な人間の理性的なゴールであらねばならない。平和の追求は戦争の遂行ほど劇的なものではなく、往々にして無関心という壁にぶち当たる。しかし、これほど重要かつ緊急を要する事柄はない。
 ある人々は言う。北朝鮮や中国の指導者たちがより啓蒙された考え方を持たぬ限り、世界平和や軍縮について語るのは無駄なことである、と。中国の指導者たちが啓蒙されることを私は望んでいる。そのための手助けをわれわれはできるし、せねばならない。しかし、同時に、国家としてまた個人として、われわれもまたわれわれ自身の態度について改めて考えねばならない。中国側の態度と同じようにわが方の態度もまた重要だからだ。
 まず第一に平和に対するわれわれの態度を見てみよう。あまりにも多くの人々が平和は不可能かつ非現実的と考えている。しかし、それは危険な敗北者的思考と言わねばなるまい。なぜならそれは人間の力の無力さを表し、人類は自分たちでコントロールできない力によって抑えられており、戦争は避けられず、結局は滅亡するという結論に導くからだ。 この見方を受け入れる必要はまったくない。われわれの問題はわれわれ人間がつくりだしたものなのだ。それ故に人間が解決でき得るものなのだ。人間は限りなく大きくなれるものである。人間の運命に関して人間が解けない問題は、ひとつとしてあり得ない。これまでにも人間の理性と精神力は一見不可能と思える数々の問題を解き明かしてきた。ここで再びできないという理由はない。
 私は一部の幻想家や狂信者の夢みる絶対かつ無限の観念を含んだ平和について語っているのではない。希望や夢を私は否定しない。しかし、それらを基に平和を構築しようとすれば、待っているのは落胆と懐疑でしかない。
 より現実的で手の届く範囲の平和に焦点をしぼろうではないか。真の平和とは、多くの国々による具体的な活動によってもたらされるものである。それはダイナミックで、決して停止せず、あらゆる時代の挑戦に耐え得るよう常に変化しなければならない。なぜなら平和とは諸々の問題を解くプロセスであるからだ。
 そのような平和がきても、互いの利益の対立や紛争は絶えることはないかもしれない。 世界平和は地域社会の平和同様、人々にその隣人を愛するよう要求はしない。しかし、互いに忍耐と寛容の心をもって一緒に生きることを要求する。国家間の敵愾心は個人間のそれと同じように永遠に続かないことを歴史は教えている。
 平和は決して非現実的なものではないし、戦争は決して必然的なものでもない。
 第二に中国に対するわれわれの態度を見直そうではないか。かの国の指導者たちが、彼らの宣伝機関によって書かれていることを頭から信じているのは悲しむべきことである。アメリカが戦争を仕掛ける準備をしているとか、アメリカ帝国主義が侵略戦争によってヨーロッパや他の資本主義国家を経済的、政治的に属国化しようとしているなど根も葉もないことを彼らは信じている。
 昔の諺にあるように”悪者は誰も追いかけてもいないのに逃げる”のだ。しかし、彼らのプロパガンダを読んでわれわれと彼らの間にある溝の深さを知ると悲しみさえ感じる。これは我々日本人にとっても警告である。われわれは北朝鮮と同じワナにはまってはならない。
 日本人としてわれわれは個人の自由と尊厳を奪う共産主義に対して深い嫌悪感を抱いている。
 しかし、中国国民がこれまでに成し遂げた事柄、科学や宇宙、経済的成長、文化や数々の勇気ある行為に対しては心から賞賛の拍手を送る。
 そして忘れてはならないのは、日本人と中国人のどちらが共に戦争を忌み嫌い、両国ともこれまで何度も戦ったことがある、という事実である。
 互いに相違点が存在することは認めよう。しかし、同時に互いの共通の利益にも目をむけ、相違点の解決にも努力しよう。
 そして、もし今相違点を克服できないとしても、少なくとも多様性を認めるような世界を作る努力は成せる。なぜなら、最終的にはわれわれの最も基礎的な共通点は、皆この小さな惑星に住み、皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思っている。そして、皆死んでいく身ということであるからだ」


「今、初めて平和への道が開かれたかもしれないのだ。未来が何をもたらすのかは誰も知る故もない。闘争努力を柔らげる時がきたのかどうかは、誰も確信をもって語れない。しかし、もしわれわれが今、希望をもって行動に移すあらゆる努力を払わなければ、歴史とわれわれの良心はわれわれをきびしく裁くであろう。今が始める時だ。中国の古い諺によれば、
”一里の旅も一歩から始まる。”
 わが同胞日本国民よ、その第一歩を踏み出そうではないか。バブル崩壊の影から一歩後退し、平和の道を探求しようではないか。そして、その旅が一里かそれ以上になろうとも、われわれが今この地でこの時に第一歩を踏み出したと歴史に記さしめようではないか」
「われわれは基本的に道徳的問題に直面している。古くは聖書で語られ、日本国憲法でも明らかにされている。
 問題の核心はあらゆる日本人が平等の権利と平等の機会を与えられるかということだ。もし日本にいる人が皮膚の色が違うということだけで公共学校に入ることができないとしたら、彼を代表する人間を選挙で投票できないとしたら、要するに皮膚の色が違うというだけでわれわれ皆が欲している自由で意義深い生活が送れないとしたら、われわれの中で誰が皮膚の色を変えてあえて彼の立場に身を置きそれに甘んじるという者がいようか。 リンカーン大統領が奴隷解放を行ってからすでに二〇〇年が過ぎた。しかし、彼らの子孫、彼らの孫だちはまだ完全に自由ではない。彼らはまた不正義の鎖から自由になっていない。彼らは未だ社会的、経済的抑圧から自由になっていない。そしてこの国は何を主張し、どんな立派な行動をとろうと全部の国民が自由にならない限り決して自由な国家にはならない」

「リンカーンという偉大な人物が黒人を解放してから二〇〇年たつが、未だ黒人は”物質的繁栄という海のど真ん中にある孤独な貧困の島に住んでいる”。
 公民権活動家に対して質問するひとがいる。
”あなたがたは一体いつになったら満足するのか”
 われわれは黒人や外国人が警察の暴力の犠牲者であるかぎり満足できない。
 われわれはホテルやモーテルで疲れた体を癒すための一夜の休息を得られない限り満足できない。
 われわれは黒人や外国人の移動性が小さなスラムから大きなスラムに移るだけという状況が続く限り満足できない。
 私は夢見ている。四人の小さな私の子供達が、彼らの皮膚の色ではなく、その性格から判断される国に住める日がくることを。
 私は夢見ている。
 これがわれわれの希望である。この信念をもって私は南部へ帰る。この信念をもって、われわれは絶望という山から希望の石を取り出すことができるのだ。この信念をもってわれわれは、あつれきの不調和音を美しい兄弟愛のシンフォニーにかえることができるのだ。 この信念をもついつか自由になれる日がくるのを信じてわれわれは、共に働き、共に祈り、共に戦い抜き、共に拘留所に入り、共に自由のために立ち上がろう。そして自由が得られた日、われわれすべての神の子は新しい意味を持って”“わが祖国、甘い自由の地、汝のために歌わん。父たちが死んだ地、移民たちの誇りの地、すべての山腹から自由のベルを鳴らそう”と歌えるのだ。
 そしてもしアメリカが日本が真に偉大な国となるならこれは現実とならなければならない。
 だから巨大なニューハンプシャーの丘の上から自由の鐘を鳴らそう。ニューヨークの山々から自由の鐘を鳴らそう。ペンシルバニアのアレゲニー山脈から自由の鐘を鳴らそう。 雪に覆われたコロラドのロッキーから自由の鐘を鳴らそう。カルフォルニアの美しい峰から自由の鐘を鳴らそう。しかし、それだけでなく、ジョージアのストーン・マウンテンからも自由の鐘を鳴らそう。テネシーのルックアウト・マウンテンからも自由の鐘を鳴らそう。
 ミシシッピーのあらゆる丘、あらゆるもぐら塚からも自由の鐘を鳴らそう。
 あらゆる山頂から自由の鐘を鳴らそう。
 われわれが自由の鐘を鳴らす時、あらゆる村、あらゆる集落、あらゆる州、あらゆる市で自由の鐘を鳴らす時、われわれはすべての神の子たちが、黒人も白人も、ユダヤ人も異教徒も、プロテスタントもカトリックも手を取り合って共にあの古い黒人霊歌を歌える日がくることを早めることができるのだ。『やっと自由になった!やっと自由になった!神に感謝す、やっとわれわれは自由になれた!』と」
                               
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