緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

大河小説 東日本大震災「震災から6年数ヶ月」未曾有の大震災の真実1

2017年12月03日 08時36分51秒 | 日記






























小説 東日本大震災から8年 最大のドキュメント
  『大河小説 東日本大震災』 
~東日本大震災の真実!あの震災はいかにしてなったか?<上杉史観>~
 <復興か?東北地方衰退か?震災をたたかったひとたち!>

              ~耐え難きを耐え忍び難きを忍び~

                  
               <HIGASHINIHONDAISHINSAI>
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  UESUGI KAGETORA上杉(長尾)景虎
         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


     ーwith history the final judge of our deeds,let us go
      forth to lead the land we love asking his blessing and
      his help,but knowing that here on earth god'S work must
      truly be our own.ー   JFK

  ”歴史をわれわれの究極の審判とみなし、神の恵みと助けをもとめながらも、
  この地上では神のみざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ  愛する祖国を導き、前進していこうではないか”
                     ジョン・F・ケネデイ
                      1917~1963

 「身内を亡くしたり、家を流されたりしたことは、誰にも言えないし、聞けない。他人をおもんぱかっているわけ。それを絆なんて言ってほしくないけどね。単なる日常が書いてあると読まれてもしょうがないが、そこは読者を信じました。」
        小説『空にみずうみ』より 仙台在住作家 佐伯一麦(かずみ・男)氏


          あらすじ
  この物語は2011年3月11日、東北地方一帯を襲った未曾有の大震災の記録である。
  この物語『大型時代小説 東日本大震災』は半分実話と半分はフィクションです。人物名・名称・団体名・軍隊名等は一部フィクションが混ざっています。改めてご理解ください。                                    

おわり

この作品は引用が多くなりましたので引用元に印税の数%を払い、引用料としてお許し願えればと思います。それでも駄目だ、というなら印税のすべてを国境なき医師団にすべて寄付しますので引用をお許しください。けして盗用ではないのです。どうかよろしくお願いします。UESUGI KAGETORA上杉(長尾)景虎   臥竜


***東日本大震災<ウィキペディアからの引用>
東北地方太平洋沖地震 > 東日本大震災
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい 英:the Great East Japan Earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。発生した日付から3.11(さんてんいちいち)と略称することもある。
概要[編集]

上杉景虎です。今回はわが東北の復興計画書の草案を献上します。




話を少し過去に戻す。未曾有の大震災『東日本大震災』の物語をここから展開したい。
***


物語は西暦2011年(平23成年)3月1日晴れの神奈川県横須賀の近くの住宅から始まる。
主人公の名は鈴木崇(すずき・たかし)で眉目秀麗な色男で、二十一歳である。
背は高い方ではないがきりりとした眉をした痩せた体に、短い髪型で、防衛大学生らしく、浅黒い肌である。このひとこそこの物語の主人公である。
父親の鈴木弘3等陸佐はすでに先の阪神淡路大震災で殉職している。リビングというか仏壇には父親の遺影がある。
母の名は、ゆき子、といい、病弱で、ほぼ寝たきり状態である。
崇には三歳年下の妹がいる。
名を鈴木海荷(うみか)という。十五歳。
美人な方であると思われる。兄に比べて少しおっとりしている性格で当時は当然ながらミニスカートに見せブラ姿で、芸能人風に髪を上で櫛結いしている。家事全般があまり得意ではないが、母親の、ゆき子、が、病気である以上、おさんどんは海荷がやらざる得ない。
海荷は洗濯は好きだが、料理や裁縫が苦手で、いつも同じような関東風料理ばかりつくる。
だから、長男の崇は「また同じ料理かい?」と文句を吐いたわけだ(笑)。
一家の収入は父親の生命保険と防衛大学生である鈴木崇の僅かな勤労奉仕とバイト代だけであるが、極貧というほどでもない。
けっこう敷地にこぎれいな畑をつくり、晴耕雨読とまではいかないがなんとか食糧に困ることはない。次男の鈴木実は工科学校(昔でいう陸軍幼年学校)に行っている。全寮制で、中学生から自衛隊のスペシャリストを目指している。
親戚には酪農をやっている人種もいる。
だが、時代は戦後の平和ぼけ、のバブル経済崩壊後である。
海荷は高校生だったが、母親が病気であり、おさんどんは海荷がせねばならない。
一家は早朝の朝ご飯の時間帯である。
「お兄ちゃん、文句言うんだったら兄ちゃんが朝飯つくり!」
「ぼくは文句をいっているんじゃない。でも、カレーは此れで一週間毎日じゃないか。もっと料理のレパートリーを増やさないといけない訳よ、じゃないと海荷はちゃんとしたところに嫁にいけんよぉ?」
「余計なお世話よ、兄ちゃん。崇兄ちゃんは防衛大学生でいいけど、実兄ちゃん(次男)は工科学校なんよ。崇にいよりたいへんやわ。それよりお母さんに御粥食べさせてやって。親戚のおばあにパイナップルも頂いたから、それも…」
「はいはい。」崇は言った。「でもぉ、お兄ちゃんも防衛大学生でね、今度、僕等も卒業して自衛隊の現場で行くわけよ」
「え?ああ、大島仁(ひとし)ちゃん?そういえば卒業したら3等陸尉(少尉)だって…」
「ああ、ぼくも防衛大卒なら学歴で3等陸尉(少尉)。今日の朝に出陣式が大島の家の前である訳。LINEで連絡取ってあるからね」
「あの大島の兄ちゃん、左脚が悪いのに防衛大学卒とかで、自衛隊かぁ」
「ああ、ぼくもだなあ。自衛隊だもの。すぐに赤紙がくるよ、ぼくのところにも」
「兄ちゃんもちばりゃんとねえ。日の丸と天皇陛下の為に戦わんといかんもんねえ」
母は咳をしながら「これ海荷、食べながら喋っちゃ駄目、行儀悪りいよう」と叱る。
「そうだぞ、海荷」
兄の崇は冗談交じりに海荷を叱る。むくれる海荷。母と兄はそれがおかしくて笑う。
「なによ?もう!お兄ちゃん達より、実兄ちゃんの方が大卒の学歴こそないけどプロフェッショナルなんだからね!」
鈴木崇の親友の大島仁は同じ防衛大学で二十二歳、ある。
ふたりはあわただしく朝食を済ませると、近所の大島仁の家に急いだ。
もう「万歳!万歳!」とやっている。
「大島仁くんの御武運と御出征とご卒業を祈り、ばんざーい!万歳―!」
辺りのひとやおっさんやおばあたちが日の丸を振る。…立派になった!敵をやっつけるんだぞ!
大島仁は鈴木崇よりは一歳年上だが、同じ防衛大学生だった。
生まれつき左脚が悪い体質だったが、痩身でこちらも眉目秀麗で、黒縁眼鏡が印象的な男である。防衛大の制服をきちんと着て、周囲に礼をしている。
「おう!仁!遅れたで、すまんちゃ!」
崇と海荷は走り込んでセーフだった。
「おお!同じく防衛大卒業生の鈴木崇くんだ!ばんざーい!ばんざーい!」
「崇!海荷ちゃん!俺もいよいよお国の役にたてるさー」
「どうも、どうも。大島、進路は決まってんのか?」
大島仁は「決まった!どうも陸上自衛隊らしいんだわ。だけど、どうも仙台駐屯地の防衛省直属の自衛隊特殊工作部隊らしんだが」
「特殊工作部隊?なんねそれ?」
「SEELDZ(シールズ)、防衛省の高杉晋作の“奇兵隊”みたいなもんさー」
「ああ、奇兵隊(笑)よく百六十年も前の話ばするっとねえ仁(笑)さすが日本史歴史学専攻だねえ?(笑)」
「馬鹿だな。SEELDZは警察庁のSATより凄いんだぜ」
「だれよりもさーっと(SAT)ね」
鈴木崇は冗談を言った。大島仁も笑う。海荷は頬を赤らめながら“プレゼント”を渡した。
「ありがとう、海荷ちゃん。」
大島仁は白い歯をみせて笑った。
「俺の心配は親と妹の亜衣のことだよ」
「そうか。心配ないよ。あいちゃん(大島亜衣)、工科学校で今度卒業するんだろう?それにのう、仁……実はなあ、俺も“赤紙”なんだ。大島。しかも僕もSEELDZだ」
亜衣とは、大島仁の可愛がっている高校生の可愛い顔の妹である。
噂をすれば亜衣から兄・仁の元のスマホに電話があった。
「あんちゃん!亜衣だよ。」
「亜衣―!あんちゃん防衛大卒で仙台駐屯地に行くのさ。お前も工科学校卒業だよな?」
「うん」
「おめでとう!」
 大島仁3等陸尉(少尉)は妹に告げた。
鈴木崇は隠しておいた赤紙をはじめて大島仁にみせた。「え?おい!大丈夫かあー?鈴木?」
「ぼくも自衛隊・防衛省直属特殊部隊!SEELDZ兵隊さまよ!少尉(3等陸尉)!死んだおやじの仇をとる!七生報國さ(七回生まれ変わっても日本國を守る)!僕も仙台駐屯地らしいぜ」
「え?お兄ちゃん?え?そんなあ」海荷は驚くより呆れた。なんて勝手な兄だろう。
「鈴木崇。大島仁。」
その男の声でやっとふたりは恩師の狛江研一(こまえ・けんいち防衛大学教授・1等陸佐(大佐)五十三歳)の存在に気付いた。「あ!先生!」
「あ!じゃない」まるでタレントの北大路欣也さんみたいなおじさんの風体のひとである。
これで防衛大学の名物教授というからおそれいる。立派な制服姿だ。
「君たちねえ、死んじゃいかんよ。生きねばねえ。人間生きてなんぼさ」
「それは…そうですが先生、あまり大声ではいわないほうが…」
「そうですよ。非国民扱いを受けますよ、1佐」
鈴木崇と大島仁はひそひそ声でいった。
「だまらっしゃい!命あっての宝物じゃぞ。死んだ人間に何も出来ないのだから」先生は訊く耳をもたない。
ふたりの教え子がおそれるのは近所の“戦争のおじい”こと伊逹五右衛門(だて・ごえもん)おじいみたいになることである。
もう耄碌で、今でいう認知症(能軟化)で、ボケていて、とにかく「戦争しろ!敵を殺せ!」。
戦争の時代なら、それもいいかも知れない。
戦争世代からみれば「勇気のある気骨もの」に見えるだろう。
だが、このおじい、発言が平和な平成の世で、ある。
白髪の長い髪と髭で、なんとなくジャーナリストの徳富蘇峰みたいな風体だ。もう八十数歳のおじいさん、である。ボケていて、近所を徘徊し、「戦争をしろ!戦争!せんそーう!」とクレイジーに叫ぶ。ボケていると知っている人間ならいいが、時代は平和な世である。
「なんだとこの非国民!」
「非国民!非国民!」
群衆は非国民伊逹五右衛門おじい、に投石したり、罵声を浴びせかける。
鈴木崇や大島仁たちは「このひとは認知症(能軟化)なんです!病気なんです!」と庇うが、庇いきれるものではない。
非国民!と投石の流れ石が額に当たって流血した鈴木崇を介抱したのが、狛江先生の一人娘の綺麗な御嬢さん、狛江晴香(十七歳、仙台大学生)、であった。
まさかふたりに愛や恋心が芽生えるとは当の本人たちも思わない。
だが、朱に交われば赤くなる、である。最近は伊逹五右衛門老人は徘徊が酷くなり、行方不明状態である。
「崇さん、兵隊さんだってねえ?だいじょうぶ?」
「心配ないよ!ぼくはお国の為に戦う!国民の生活と財産と命を守る!」
「……外敵に自衛隊で勝てると思う?」
「……」
「うちのお父さんも言うじゃない?“死んだらおわりだ”って。死んだらおわりじゃない?」
「ならどうしろと?」崇は教授のひとり娘・狛江晴香に食ってかかった。
意味がない。どうせ答えはない。只、死なないで帰ってきて程度だ。
だが、その愛情が『犬死』をためらわせた。
「崇君には生きて戻ってきて欲しいの」
「しかし…」鈴木崇は大学の校舎で泣いた。只々、狛江晴香が愛しかった。
狛江晴香の母親はジェシカという。
スコットランド人である。つまり、晴香はハーフな訳だ。
スコットランド人の母親と日本人の父親のハーフ(混血)。狛江ジェシカは日本からスコットランドに疎開していた。差別や阻害が酷い為だ。日本でさえ……。
大島仁の母親は大島ふみ、という。
鈴木崇の“もうひとりの母親的”存在、である。
確かにそうだったのかも知れない。大島ふみ、は優しい心が澄んだとてもいいひとである。
鈴木崇に、“自衛隊は国を守る必要な暴力装置”と教えてくれたのもこの大島の母親、大島ふみ、であった。
ちなみに鈴木崇は大卒というか学歴があるために一兵卒というより“3等陸尉(少尉)”である。大島仁のほうも防衛省直属の特殊工作部隊SEELDZの指導的な立場にたたされる。
習志野(SKG)からの凄腕が、一騎当千の凄い人間たちが所属するのが防衛省直属の特殊工作部隊、通称、SEELDZ(シールズ)、である。
「とにかく日本国を守るのは僕達と優秀な自衛隊と工兵部隊だ!」
「やろうぜ!」「よっしゃ!」
ふたりは熱くなった。ICBM(大陸間弾道ミサイル)でもサイバー攻撃でも何でもきやがれってんだ!“優秀な防衛”というものをみせてやる!いずれちゃんとした政治家も現れ、“集団的自衛権”も“駆けつけ警護”も出来るようになるさ!

参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P198)
現代では自衛隊(つまり事実上の日本軍)は『自衛隊は軍じゃない』という詭弁から、昔のように戦闘艦とか大佐とか少尉とか大将とか呼ばない。まあ、言葉遊びみたいなものだが、戦闘艦は護衛艦とよび、普通、護衛艦が守るのは空母なはずだが、『自衛隊は軍隊じゃない』という詭弁の元では護衛艦(事実上の戦闘艦)が守るのは商船や貨物船や石油やガスを積んだタンカーである。2015年の安保法案の改訂で、もういいのかも知れないが事実上はタンカーの警護も出来ない。“憲法違反”である、という(笑)
馬鹿馬鹿しい。いつまで自衛隊に“足枷”ばかりつけるつもりなんだろう。
ちなみに陸自(陸上自衛隊)のケースだが、昔の階級でいう大将は「陸将(陸上幕僚長)」、中将は「陸将」、少将は「陸将補」、大佐は「1等陸佐」、中佐は「2等陸佐」、少佐は「3等陸佐」、大尉は「1等陸尉」、中尉は「2等陸尉」、少尉は「3等陸尉」、兵曹長は「准陸尉」、上等兵曹は「陸曹長」……等というようになっている。後はウィキペディアででも調べて欲しい。しかし「大佐」「大尉」「大将」「軍曹」などといえばすぐにわかるが、「3尉」「1佐」などといわれても軍事マニアでもなければまずわからない。
何処までも『自衛隊は軍隊じゃない』という詭弁で動いている。
自衛隊隊員は優秀で愛国心あふれる正義の人が多いだけによけいな『足枷』が立派な職務を妨害する、それこそ『足枷』にならねばいいが……。
参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P197~206、P212~230)
日本の国防を考えるならば、自衛隊は勿論、政府の外交姿勢、国民の覚悟、現在と将来の国際状況など、あらゆる面から論じてみなければならない。漫画家でジャーナリストの小林よしのり氏は月日は遡るが、平成22年3月に呉基地(山口県呉市)や江田島の幹部候補生学校を取材していたという。そのまま引用します。盗作ではなく引用です。出版社は事前に小林氏に引用の許可をお願いします。
呉市は明治以降、海軍と共に発展を遂げてきた。明治22年に呉鎮守府(ちんぶふ)が開庁。さらに戦艦大和などを建造した日本一の海軍工廠(こうしょう)が設置。最盛期には40万人の人口を擁したが、昭和20年には米軍の空襲で軍港、工廠共に壊滅、市街も廃墟と化した。占領下で呉は軍港から貿易港へ、海軍工廠は臨海工業地帯へと転換。そして昭和29年の自衛隊法施行に伴って「海上自衛隊呉地方隊呉地方総監部」が発足した。
戦後一時の中断があったとも言っても、やはり呉は120年にわたる西日本の海の守りの拠点であり、戦前からの歴史のつながりを感じる。
小林よしのり氏の取材には大谷3佐(少佐)という美人の女性幹部をエスコートにつけてきたという。しかも、すごい美人だという。「自衛隊め、わしが漫画で描くからとハニー・トラップを仕掛けてきたか!」小林氏の漫画にはそうある(笑)だが、そのハニー・トラップに引っ掛かったのはわしではない!取材の間中、この美女に鼻の下伸ばしていたのは、軍事ジャーナリストの井上和彦氏だったのだ!という、オチまでついている(笑)
大谷3佐は湾岸戦争に衝撃を受けて大学を中退、丁度、その年、女性に門戸を開いた防衛大学を受験したという、防大の女性第一期生。現在(取材当時)は市谷の防衛省勤務だが、将来は女性初の艦長を目指しているそうだ。(我々と同じバブル世代(笑))
港が近づくと造船工場が見える。IHIMU呉工場、かつては戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠である。建造中の大和を覆っていた大屋根の一部や、天井クレーン、修理ドッグは戦後もずっと使用されてきたという。到着すると港には大きなイルカのような黒い潜水艦と護衛艦もいたという。
埠頭には自衛隊員が整列し、微動だにしない。「自衛隊旗」はかつての我が帝国海軍が用いていた「軍艦旗」(旭日旗)と同じデザインである。今の若者はこのデザインを朝日新聞の社旗と勘違いするかも知れないが、違うんだ!誤解もはなはだしい。中国の軍は共産党を守る専属軍!党のために働き、国民にも銃を向ける!自衛隊は国民を守る「隊」だ!「軍」と言えないところがつらいが…
潜水艦「くろしお」に乗せてくれるという。潜水艦上にはしごで乗り移ると枠や柵があるわけではないので、うっかりすると足をすべらせて海におちてしまいそうで緊張する。
何しろ潜水艦は軍事機密の塊である。カメラは原則持ち込み禁止。漫画の資料用に小学館のカメラマンだけ許可され、撮影できる部分だけ撮らせてもらう。もちろん潜水艦の中に入るのは初めてだ。入り口のハッチから垂直の梯子につかまり、降りていくのだが、わしは皮靴の先の尖ったやつを履いてきたため大変だった。こんな取材をさせてくれるならスニーカーで来たのに。
まずは士官室に通され、簡単な艦の説明を受ける。「くろしお」という潜水艦はこの艦が3代目。初代は自衛隊発足の翌年昭和30年代にアメリカから貸与された艦だった。
当時の潜水艦は水上航行が主で、必要な時に潜航したため、通常の船舶に近い「水上船型」だ。その後、水中抵抗の少ない「涙滴(るいてき)型」、さらに、船体空間を広げた「葉巻型」と改良され、この「くろしお」は葉巻型の潜水艦「おやしお」型の第7番艦として平成16年に就役している。
潜水艦の長所はなんといってもその隠密性にある。隠密裏に作戦遂行ができることもさることながら、どこにいるかわからないという潜在脅威による心理効果が多大であり、潜水艦を発見するには大変な時間、兵力、技術を必要とするため、その分、敵を止めておくことができる。
一方で弱点は防御力で、ただでさえ潜航中の船体は強力な水圧との戦いであり、そこを攻撃された場合は非常に脆弱になるそうだ。
中国海軍は平成20年10月に戦艦4隻で津軽海峡を通過する挑発行為を行い…平成22年4月には潜水艦2隻など計10隻で沖縄本島近海を通過するなど、不穏な動きを見せている。これに警戒して、防衛省は10月20日、現在16隻で運用している潜水艦を20隻超まで増やす方針を固めたという。
だが、新しい艦を増やして補強するわけではない。日本政府によって、毎年、防衛費は削られているから、本来なら耐久年数を迎えて交代する潜水艦をメンテナンスして、5年ほど「延命」させる苦肉の策なのだ。
まだまだ尖閣諸島や南沙諸島の侵略行為を止める気配は、中国側には全然ない。海上自衛隊の存在意義は益々大きくなってきている。
一通り艦内を案内してもらう。発令所では潜望鏡を覗かせてもらい、写真を撮ったが、もちろん写っていい、角度の写真で、壁一面を埋める計器類などは一切撮影不可であった。
艦内は細かい区画に区切られていて、その境界では、くぐり戸のような出入り口を身をかがめて通らなければならない。途中、カプセルホテルよりも窮屈そうな部屋があったが、これが艦長室で、艦内で唯一の個室だという。
そして最も艦首に近い区域…といっても移動しているうちにどちらが艦首でどちらが艦尾かわからなくなっていたが、そこには発射菅室で、魚雷が3発静かに光り輝いていた。
これこそが潜水艦の最大の攻撃力、1発で敵艦を沈められる誘導魚雷である。
しかし、驚いたのは、その魚雷のすぐ脇に、人が寝られるスペースを作ってあったことだ。
中国海軍の「第一列島線」は九州、沖縄、フィリピン、ボルネオに至るラインをすでに作戦区域としている。さらに「第二列島線」は伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至るラインまで進出を狙っている。
ちなみに潜水艦の艦長は旧ソ連では「少将」が当てられていたという。一般的には艦長は「大佐」が上限だ。つまり、潜水艦にはメンタリティ(精神性)の強い者を乗せないと耐えられないということだ。
海自では潜水艦の乗員はかなり適性検査を厳しくして、耐えられる者しか乗せない。潜水艦の中で精神を病んでしまったら、助けられないからだ。
海自では、今や飛行機の搭乗員よりも潜水艦乗員を探す方が大変になってきている。
潜水艦乗員はプライドがものすごく高い。彼らは「我々は怖いものは何もない」というらしい。護衛艦もP-3Cも全く怖くない、という。世間の人はイージス艦に注目するが、あんなものは「高価格標的艦こんごう型」と言うんだと、彼らは言う。つまり、的(マト)に過ぎないとまでいう。ただし、ヘリコプターは怖いという。空中から魚雷攻撃を受けたらひとたまりもない。空中のヘリを攻撃できないからだ。それさえなければ潜水艦員に言わせれば、「世の中には2種類の船しかない。一つは潜水艦、もう一つは潜水艦に沈められる船である」ということになる。
静かにいかにひそかに潜水できるか?は溶接技術である。潜水艦員は3K労働(危険、汚い、きつい)だが、しかし1K、つまり「栄光」が加わると言う。5年間かけて技術を身につけ、後進に技術を伝えていく。熟練技術者がいるからこそ日本の潜水艦の高度な技術が維持されている。
わしは潜水艦「くろしお」を取材したが、食堂では椅子の中、テーブルの下など、あらゆる場所が食材の貯蔵所になっている。そして便所には「真水の一滴は、血の一滴!!」と、節水を呼び掛ける張り紙が!士官室で昼食をいただいた。メニューはカツカレー。
「そういえば今日は金曜日だったのか。」
一度海上に出ると曜日感覚がなくなってしまうため、それを維持するため、旧海軍以来、金曜日は必ずカレーである。
「海軍カレー」というのが、商品になっているが、海上自衛隊に共通のカレーのレシピがあるわけではなく、各々の艦船ごとに秘伝があるらしい。
防衛省のひとに聞いたことがある。
「呉で潜水艦の乗せてもらったんだけど、乗組員の中にちょっと太っているのがいたんだよね。潜水艦乗りってストレス溜まって食い過ぎるの?」
するとこう答えた。
「丸いハッチから出られる間は大丈夫です!」
「なるほど!」
潜水艦の食事は1日4食で、カロリーが高めに設定されているらしい。そのうち1食は食べなくてもいいのだが、3交代のローテーションで暮らしているので、基本は4食になる。
水上艦も4食だが、いざ沈没となったときに海の上に放り出されても生き残るためには体力が必要な為であるという。あるP3-Cの搭乗員はこういった。
「教官は教育の時、ご飯は絶対食えと。食わないと落ちた時に、生き残れないと。がぶって酔ってても絶対に食えと。そういう指導をされますね」
潜水艦の居住性も昔よりは向上したらしいが、それでもあらゆるところに制約があり、忍耐を強いられることは見ればわかる。しかも、隠密性が命である潜水艦の乗組員は、いつ出航し、いつ帰るかを家族にも言えないらしい。
江田島で幹部候補生と話す機会があった。
「この中で潜水艦志望という人はいるんですか?」
「はい!乗ってました。」
「あなた、魚雷の横で寝た事ある?」
「はい!夏は冷たくて気持ちいいです!」教室にどっ!と笑いが起こる。
普通の人ならぞっとして肝が冷えるが、彼らは感触として身体が冷える感覚を味わえるらしい。大した肝っ玉だ。
「潜水艦は風呂なんかも満足に入れないでしょ?真水の一滴は血の一滴とか書いてあったし。」
「はい。そうです。」
「体や汗や何やらで臭くないのかな?」
「それも潜水艦の匂いというものですので。」
「ひとの体臭だらけになりそうだなあ」
「はっきり言って臭いです!」教室にまたどっ!と笑いがおこる。
傍にいた軍事ジャーナリストの井上和彦氏が「潜水艦に乗っていた人は匂いでわかりますからね。」傍らの海自幹部も「タクシーの運ちゃんもわかるって言ってました。」
「こんな話を聞いても潜水艦志望は変わらない?」
「はい。やはり潜水艦が一番フロント(最前線)に出ていると思うので。常に潜って緊張状態にあって、そういうところを自分も志願してきたので!」
「ほ~~お、すごいね。」
小林よしのり氏は感心しまくりだったという。
潜水艦の抑止力としての効果は大きい。
四方を海に囲まれた海洋国家・日本を守っているのは、潜水艦だといっても過言ではない。日の当たらぬ深海でストレスに耐え、誰にも知られることなく黙々と任務に励む隊員たちよ、頼むぞ!
呉では掃海艇(そうかいてい)「みやじま」も見学した。
海中の魚雷をかたずける(つまり掃海する)船である。
兎に角、何かと五月蠅い日本国民も災害や特に東日本の未曾有の大災害での活躍で、「自衛隊の実力」がわかった筈である。だが、自衛隊の本来の目的は『災害救助』ではなく、『国防・防衛』である。『暴力装置』としての自衛隊で益々、抑止力として頑張ってもらいたい。
マックスウェバーのいう『暴力装置』とは『軍事力』のことではなく、『抑止力』である。例えば警察や自衛隊が力があるからこそ防衛も治安維持も出来るのであり、親が子供より『暴力装置』が強いからこそ犯罪を犯した時しかれるのだ。
自衛隊員は確かに愛国心も能力も高い。だが、政治家も国民も彼らの行動力がそがれるような態度や集団デモなどをして『足枷』になったら駄目だ。

参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P299~310)
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