緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

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【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言1

2016年12月28日 15時35分32秒 | 日記



























    1  挑戦

2011年3月11日に我々日本に襲いかかった400年に一度の「東日本大震災」に関して我々はけして屈しない事とともに、救援して頂ける諸外国には感謝するとともに全力を挙げて立ち向かう所存である。すべての知恵、すべての博愛、すべての力を持ち合いこの「難局」を打開して「我らが日本」が瓦解せぬよう努力し粉骨砕身するべき覚悟である。我々が難局を打開するしかない。誰もがひとりではないということを再確認しよう。頑張るしかない。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」このことを信じようではないか。
「日本の民主主義は、いまや新しい勢力によって脅かされている。それは政官業複合体と呼ばれる力である。政官業複合体の経済力、政治力、そして精神的とまでいえる影響力は、すべての県政府、すべての政府・政治家に浸透している。この複合体が、われわれの自由と民主的政治過程を破壊することを許してはならない。
 政官業複合体は、アメリカの経済近代化競争に打ち勝つため、膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を集めて新しい経済開発を求めてきた。そこで得た成果をもとに、産業が大量に生産する。優秀な大学で実験された家電や車が、大企業によって大量に生産されるわけである。こうして政官業複合体は、大学研究室と産業と政府がガッチリと手を組んで、新たな冷戦という需要を手にして巨大なものとなっていった。
 戦争を無傷で乗りきり、そして莫大な利益をあげた中国産業界にしてみれば「低い人民元を維持すべき!」という意見は当然だ。しかし、黄色いナチス・北朝鮮、黄色いヒトラー・金正恩がまだ存在する。だが、北朝鮮崩壊とはいかないまでも、その一歩手前の状況であればかまわない。わたしが日本国の「外務大臣」となれば中国と日中安全保障条約を結び「円借款早期返還」「ODA全廃」などで北朝鮮への中国のエネルギー給与をやめさせる。イランへの投資もやめさせ、中国には「国際協調」の仲間に入ってもらう。「兵糧攻め」だ。
 またロシアとも日露安全保障条約を結び、韓国とも日韓安全保障条約を結ぶ。
 戦後すぐに北朝鮮の韓国への併合、南北朝鮮の支援金を出す。
 戦前の日本軍部の侵略行為には改めて「謝罪の意をおくる」。また日本軍に確実に被害にあった被害者には日本国の「外務大臣」として賠償金を日本国が支出する。
 それがなされないなら私は、「外務大臣」を辞任する。
「布告されていない緊急状態」と中国では反日デモで頻繁に使われだしている。
「中国・インド・アメリカとの経済戦争はすぐそこまできている。その時、即座に対応できるように準備しておかなければならない。彼らと付き合うには、武力をもってするほかはない!」
 あるひとは言った。
「自由は平和より尊く、その自由は世界中に自由経済のシステムが確立されてはじめて証明されるものである。表現の自由、信仰の自由、その他の自由は、政府が経済を牛耳るシステム化では絶対に得られない。民主主義と資本主義とは切っても切れないものだ。そしてその自由経済の敵は統制経済であり、そのリーダーは中国である。もしアメリカが一大決意と行動力をもって挑まなければ、中国のシステムが世界中に浸透することになる。これを防ぐ最上の手段は、全世界をアメリカ化し、自由経済圏としてしまうことである。
 もしアジアやアフリカで中国による革命がおこれば、中国の統制経済がしかれることになる。そうなれば、アメリカにとって原料確保のドアが締まるだけでなく、貿易や投資活動地域がいちじるしく縮小されてしまいます。原料補給源を確保し、市場が100パーセント確保されるためには、中国の影響を最大限に食い止めなければならないのです」
 あるひとは、演説で、こう述べた。
 バカバカしい議論はよそう。我々はひとりではない。中国もインドもロシアもアメリカもひとつではない。尖閣諸島、普天間基地、北方領土、すべて「未来のこと」にしよう。
「上杉の義」の偉大さを世界に示すのだ。そして…祖国のために。
 一部の人々に、日本のフロンティアは死んだという意見があります。確かに、時代はかわった。もう古い人間や方法は役にたたない、そういった意味でいえば日本のフロンティアは死んだといえます。しかし、いまの我々にはまったく新しいフロンティアがある。それはこの新世紀から始まる、ネオ・フロンティアである。そのフロンティアにはまだ知られざる希望と夢があり、知られざる恐怖とリスクが待ち構えている。だが、これだけは忘れてはならない。未来は臆病者のものではない。勇気あるものだけが作りだせるのだ。我々はリスクを恐れてはならない。…日本は偉大な国だ。しかし、日本国民一人一人がリスクを恐れることなく勇気をもって行動していけば、日本はもっと偉大な国になると私は確信している。
 物が溢れて生活は満たされているが、人々が金儲けにばかり走ったり、政治家の汚職、ワイロなどが多い。そうした社会にあって、未来のイメージもわからず、不安な日々を送っていた人々に、ネオ・フロンティアという言葉で強くアピールする。
 ネオ・フロンティアは約束ではなく、挑戦である。私はあなた方の財布にではなく、日本人の誇りにアピールしているのだ!日本国民に約束することがあるとすれば、それはより多くの安全性でなく、より多くの犠牲である。私が日本国の「民間登用の外務大臣」になったら、あなた方にはより多くの犠牲を強いることになろう。だが、それと同時に、私は、みなさんに、そして偉大なる日本に、明確なビジョンを与える!」
 

          ネオ・フロンティア


「スラムや失業、中国との闘い、自由と民主主義の存立の危機など、日本が直面する諸問題がある。これらの問題こそ、この民間登用の外務大臣・緑川鷲羽が左右すべきなのだ。そして、これらの問題と宗教とはまったく関係がない。なぜなら、戦争や飢え、そして無知や絶望には宗教的柵などないからだ。
 しかし、私がキリシタンであるが故に、この真に重要な問題がぼかされてしまっている。だから私はここでこれまでに何度も言い続けてきたこと、どのような教会を信じるかではなく、どのような日本を信じるかについて語りたい。
 今日は私が犠牲者かも知れない。しかし、明日はあなたがたになるかも知れない。関ヶ原の戦いでは石田三成と大谷吉継のそばで大勢の家臣達が死んだ。上杉も長谷堂で伊達・最上と戦った。しかし、誰も彼らが仏教徒であったかどうかは知らない。なぜなら関ヶ原では、宗教テストなどなかったからだ。
 このような日本を私は信じている。また明治維新のような日本のために私は差別や偏見やいじめと戦ったのだ。そして、そのような日本のために坂本龍馬は死んだのだ。
 そして私は北朝鮮に勝つまでけして妥協はしない。私は私を批判するものたちに謝るつもりはない。また「民間登用・外務大臣」になるために自分の考えをかえたり、教会を変えるつもりもない。もし真に重要な政策をめぐる論争をして敗れたなら、私は全力をつくし、公正な審判が下されたという満足感をもって米沢に戻る。しかし、もしこの敗北が歴史から見ても、そしてわれわれ自身の目から見ても、真の敗北者はこの国全体ということになる。
  あるひとは私に「学歴がない」為に私が降りることを提言した。その提言に対する反応として私は言いたい。私は誰の要請があっても降りるつもりはない。
 全部のリスクを冒したのは私だけであり、すべての国の情報を握ったのも私だけだった。私はあらゆる障害と反対に直面し生き残ってきた。今になって名前を引っ込めるということは出来ない。
 反対は成熟度と経験において私が十分か、また国家が私を「民間登用・外務大臣」として迎える時機にあるのかということのようである。
 もし二十年間のジャーナリストの経験が「外相」になるのに不充分であるというのなら、二〇世紀に登用された大臣は、後藤田正晴氏、竹中平蔵氏を含めてすべて除外されることになる。
 四十一歳以下の人間を信頼と指導力が要求される地位から除外するなら、ジェファーソンは独立宣言を書いていなかったであろうし、ワシントンは大陸軍を指揮していなかったで、あろう。また、マディソンは合衆国憲法を書けなかったし、クレイは下院の議長にはなれなかった。そしてかのクリストファー・コロンブスはアメリカを発見できなかった。
 今日世界的リーダーの大部分は、六十五歳以上の人間ばかりというのが事実である。今日の世界が、国際状況が二つの世界大戦によって変えられる以前に教育された人間たちによって支配されているというのも、事実である。
 しかし、彼らが果たして世界の運命を変えるのに、どれほど成功したと言えるだろうか。彼ら戦後に生まれた人間たちにとってかわるのは誰なのだろうか。
 世界は変わっているのだ。古いやり方はもはや通用しないのだ。
 今こそ新しい機会と新しい問題に取り組むための新しい世代のリーダーシップが必要な時なのだ。われわれの前にはまったく新しい世界が横たわっている。それは平和と善意に満ちた世界であり、希望と豊富さに満ちた世界である。日本はその世界への導き役とならなければならない。
 私が用意ができているのかと尋ねた。今私は、一〇〇年前、アブラハム・リンカーンが大統領になる前、多くの老練な政治家たちの攻撃にさらされながら書いた言葉を思い出さずにはいられない。”私には嵐がくるのがみえる、そしてその嵐の中に神の手があることを私は知っている。もし神が私に場所と仕事を与えるなら、私はその用意ができていると信じている。”今日私は民間登用・外務大臣という最も大きな責任を十分に自覚し、それを心に刻んだうえで、あなたがたに言いたい。もし国民が私を外務大臣に選ぶなら、私は用意ができていると信じている、と。
 すべての公の外交政策についての決定は私自身が下す。それは日本人として、外相として、そして自由な人間として下す決定である。
 われわれはあらゆる問題に関してあらゆる角度から語り、あらゆる角度から投票したという人物を相手に戦うことが、容易でないことは十分に知っている。金正恩は”金正日”のあとを受けて、今度は自分の番と考えているかも知れない。しかし、彼がディール(取引・トランプのカードを配る)する前に誰かがカードを切らねばならない。
 その誰かとは首相に投票したものの、その外務大臣を選ぶに当たり、ためらいを感じている何百万人という日本国民である。
 歴史家たちはわれわれに語っている。リチャード一世は豪胆なヘンリー一世の跡継ぎに値しなかったし、リチャード・クロムウェルは彼の叔父のマントを着るのにふさわしくなかった、と。そして後世の歴史家たちは、金正恩は、かのテロリスト黄色いヒトラー金正日の足元にも及ばなかったとつけ加えるかもしれない。
 当時の苦悩はすべて終り、すべての地平線は踏査され、すべての戦いは勝利に帰したという者がいるかも知れない。
 しかし、そのような感情にひたる人間は、この場にはひとりもいないと私は信じている。なぜなら問題はすべて解決されたわけではなく、戦いがすべて終わったわけではない。そして、今日われわれはネオ・フロンティアのふちに立っている。新世紀維新年代のフロンティア、未知なるチャンスと未知なる危機、満たされざる希望と満たされざる恐怖のフロンティアである。
 ウッドロー・ウィルソンの”ニュー・フリーダム”は、わが国に新しい政治経済の体制を約束した。フランクリン・ルーズベェルトの”ニュー・ディール”は、貧しき人々に安全と援助を約束した。しかし、私のいう”ネオ・フロンティア”は約束ではない。それは挑戦である。それは私が日本国民に何を与えるかではなく、何を要求するかということに要約される。
 われわれが好むと好まざるとにかかわりなく、ネオ・フロンティアはここにある。このフロンティアの彼方には、科学と宇宙の未知の分野が横たわり、また解決されない戦争と平和の問題があり、まだ克服されない無知と偏見、貧困と過剰の問題がある。
 私はあなた方ひとりひとりにこのフロンティアのパイオニア(開拓者)となるようお願いする。
 私のこの呼びかけは年齢に関係なく心の若い者、政党に関係なく精神の強靭な者、そして聖書のいう”強く勇気を持て。恐れるな、驚愕するな”という言葉に奮い立つことのできる者のみに向けられている。
 今日われわれが必要としているのは、自己満足ではなく勇気なのだ。リーダーシップであってセールスマンシップではないのだ。
 そしてリーダーシップの唯一の正当なテストは、統率する能力、ダイナミックに国家を引っ張っていく能力に他ならない。

 わが国のように組織され統治されている国家が、果たして生存し続けることができるのだろうか。それが真の問題なのだ。われわれにそのずぶとさと意志があるのだろうか。大量の新しい破壊兵器が造られようとしているだけでなく、空と雨、大洋と海流、宇宙の彼方と人間の心の奥底への激烈な支配競争が展開されようとしているこの時代に、われわれは存続し得るだろうか。
 これこそがネオ・フロンティアの課題であり、わが国家と国民が迫られている選択なのだ。単に二人の人間、二つの政党ではなく、公共の利益か個人の安逸か、国家の隆盛か国家の没落か、新鮮な前進的空気かかび臭い沈滞の空気か、献身か凡庸かの選択である。 全人類がわれわれの決定を待っている。全世界がわれわれを見つめている。彼らの信頼を裏切るわけにはいかない。やらなければならぬのだ。
 イザヤの言葉を共に思いだそうではないか。”主に仕える者は新たな力を得る。彼らは鷲のごとく翼を与えられる。彼らは走る。しかし、けして疲れることはない”
 来るべき偉大な挑戦に立ち向かうにあたって、われわれもまた主の僕となり、主がわれわれに新たなる力を授け給わんことを願おうではないか。その時こそわれわれは試練に耐え得ることができ、決して疲れることはない。そしてわれわれは勝利を得るのである」
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