長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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天地人!

2010年06月19日 11時12分50秒 | 日記

        天地人!直江兼続と龍馬伝
 
 NHK大河ドラマ「天地人」をやっていたけど(09年11月22日放送終了最終回視聴率22・7%)直江兼続ってどんな人なのですか?上杉の義とは何ですか?
上杉の義とはひとがひととして生きることである。慈愛、博愛、友情や人類愛…すなわち上杉の義とは毘沙門天に恥ない精神すなわち「愛」である。上杉の義とは?小室哲哉やホリエモンのような大金獲得で贅沢三昧の生活をすることではない。あんな連中は福永法源と同じなのだ。美人と結婚して性交渉をすることでもない。ひとは他人の役に立って初めてひとである。上杉の義とはひとがひととして美しい形です。上杉の義はすなわち「愛」である。自分の実力や会社の事業を実力以上に見せようという風潮はみっともないことである。金は地中の中にあっても金であり、鉛は錦の袋の中にあっても鉛である。あえてべらべらと語らずとも素直な義の者なら売り込まなくてもきっと誰かが拾ってくれる。自己宣伝行為などみっともないことですね。また上杉謙信は阿部寛さんがイメージ的にも正しい。大河ドラマ「風林火山」でオカマのGacktが上杉謙信役をしたが上杉謙信や上杉の城下町米沢に失礼です。謙信公はオカマではありません。なお、直江兼続は関が原の戦いのきっかけにな
った「直江状」を書いた戦国武将と言っても歴史好きな人以外知らないかもしれない。直江兼続(なおえかねつぐ)は戦国時代後期の1560年に越後(新潟県)南魚沼市で生まれました(与六)。上杉謙信と武田信玄が川中島で戦っていた頃です。幼い頃から謙信の養子、謙信の姉・仙桃院の息子・上杉景勝(かげかつ、喜平次)とともに(もうひとりの養子が関東・北条からの人質・三郎景虎)教育を受けて、景勝の家老として仕えました。謙信の死後に上杉は後目争いで「御館(おたて)の乱」があり、景勝側が勝ちました。大阪夏の陣(1615年)を経て、徳川の統治が安泰となった1619年に逝去しました。 秀吉の命令で上杉は越後から会津(福島県)120万石に移り、関が原の戦いでは石田三成率いる「西軍」につきます。徳川家康率いる「東軍」の伊達政宗や最上光義らの軍と東北の長谷堂で戦いました。徳川家康率いる「東軍」が勝利して上杉は罪として、会津120万石から
出羽米沢30万石に転封されます。ですが兼続はリストラを一切しませんでした。妻はお船(せん)で側室はなし。夫婦の墓は山形県米沢市にあります。兼続の三人の子供は幼い内に亡くなっています。直江家の子孫などいません。断家しています。米沢の基礎を作ったのは直江兼続公です。のちに上杉鷹山(ようざん)公が米沢藩の中興の土台を作りますが、直江兼続公の存在が大きいものがあったそうです。
私はたとえひとりになっても「大河ドラマ・上杉鷹山(ようざん)」「大河ドラマ 花の慶次」の招致ドラマ撮影を誘致してもう一度米沢の地から「上杉の義」を教えます。必ずや大河ドラマ上杉鷹山をやります。
上杉鷹山(治憲)役は木村拓哉がいいですね。「武士の一分」の演技力でかなりヒットしそうです。頑張って誘致していきます。また2009年12月31日でこのトピックスもさようならでしたが、大河ドラマ「龍馬伝」がいよいよスタートするので特別に復活します。皆さん大河ドラマ「天地人」と「上杉の城下町、米沢」の応援ありがとうございました。 
 
 

       友愛とノブレス・オブリージュ
 
 よく聞かれる「友愛」とはプリンシィプルやノブレス・オブリージュではないだろうか。「友愛」を一般化することなど不可能です。意味もありません。猿の世界を見ればいい。ボス猿は仲間の嫌いな猿をいじめ抜く。いじめられた猿は隅で小さくなっている。人間は猿とは違う。いじめられたら「負けたままで堪るか。今に見ていろ!」という人間が出てくる。この反発力が人類を発展させてきた。皆がニコニコ笑ってお互いが好きという世界はむしろ不気味だし、人間の成長もあり得ない。あのソクラテスでさえ死のまぎわは「私は知識の海の浜辺で貝殻を拾っているだけだ」という。あの天才のソクラテスでさえ「自分の無知」を認めて死んだ。なのにソクラテスの半分のIQもない輩がわかったことを言うのは醜悪です。私だって「知らないことばかり」です。もっと自分の頭で考えるところです。知らないことは知らないことです。わかったふりでは何も変わらない。お互い勉強不足ですね。頑張ってください。
また「お金儲け」のことですが、確かに「お金」は大事です。どんな綺麗事を言ったところでお金がなければ一切れのパンさえ買えない。それが現実です。だがだからと言ってホリエモンや小室哲哉のように「命の次に大事なのはお金だ!」では只の馬鹿です。よく論語と算盤というように「お金儲け」と「論語(道徳)」は両立するべきです。「命の次に大事なのはお金だ」では只の福永法源です。所詮、お金儲けには論語がないと只のホリエモンや小室哲哉や福永法源のように没落する。要は何の為にお金儲けをするか?だ。私利私欲では何も変わらない。民主党政権になったところで何も生活は飛躍的には変わらない。宝くじを買ったって当たる訳ありません。努力なきところでペイなきです。論語と算盤というように人間はいかになろうともプリンシプルを失っては生きていけないのです。悪銭身につかずです。努力なきところにお金儲けなしです。ホリエモンや福永法源や小室哲哉では意味がありません。もっとプリンシプルをしっかり持ってください。上杉の義(大河
ドラマ「天地人」09年放送参照最終回視聴率22・7%)を持ってください。それがプリンシプル(原理・原則)です。
またノブレス・オブリージュとは高貴なる責任です。高い地位やポジションにいるひとやパブリックサーバント(公僕)には責任がともなうということです。只の権力欲や出世心では高い地位やポジションについても失敗する。高い地位のひとには「社会的貢献の責任」がともなうということです。頑張ってください。また2009年12月31日でこのトピックスもさようならでしたが、大河ドラマ「龍馬伝」がいよいよスタートするので特別に復活します。皆さん大河ドラマ「天地人」と「上杉の城下町、米沢」を応援ありがとうございました。
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