緑川鷲羽(改名、上杉景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>連載小説*大河ドラマおんな城主直虎**

2017年05月14日 18時53分44秒 | 日記























葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>
~傑物の義理息子・井伊直政を育てた女大名 井伊直虎とその時代~
             
               
               
               
               
                total-produced&PRESENTED&written by
                  UESUGI KAGETORA
                   上杉  景虎

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


この作品は引用が多くなりましたので引用元に印税の数%を払い、引用料としてお許し願えればと思います。それでも駄目だ、というなら印税のすべてを国境なき医師団にすべて寄付しますので引用をお許しください。けして盗用ではないのです。どうかよろしくお願いします。上杉景虎   臥竜

この物語のベースは大河ドラマ『おんな城主直虎』漫画『花の慶次』(原作・隆慶一郎・漫画・原哲夫)と高殿円著作『剣と紅』児玉彰三郎著作『上杉景勝』からです。


        あらすじ

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代の女性領主。遠江井伊谷(静岡県浜松市北区(旧・引佐郡)引佐町・いなさちょう)の国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、生涯未婚であった。井伊直政のはとこであり養母。
戦国時代、運命と戦ったおんな城主がいました。その名は井伊直虎。ふるさとは駿河(静岡県)浜名湖の北の遠江の領地・井伊谷(いいのや)。井伊家の家紋は“井”

時代 戦国時代- 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年8月26日(1582年9月12日)
改名 祐圓尼、直虎
別名 次郎法師、女地頭(渾名)
戒名 妙雲院殿月泉祐圓大姉
主君 今川氏真→徳川家康
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直盛、母:祐椿尼
子 養子:直政
女性で出家後に井伊家の跡をまかされ、義理の息子・井伊直政を育て、徳川家康に仕えさせたその井伊直虎の生涯はまさに「大河ドラマ」である。2017年大河ドラマ(いわゆるおんな大河)『おんな城主直虎』主演・柴咲コウで放送された。原作『おんな城主直虎』『剣と紅』『葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>』。2017年放送。
                                おわり         

1 関ヶ原


井伊家伝記の有名な言葉“女こそあれ井伊家惣領(そうりょう)に生まれ候”(父親の殿さまのただひとりの子供が女子という意味)男子が生まれなかったらしい。惣領=跡継ぎ。この文献で直虎が女性だった、とわかる。また、最近、井伊直虎は男性だった、なる新説の古文書がみつかった。が、「女地頭、次郎法師・井伊直虎が男装していたので勘違いしたのであろう」、と結論している。もはや、決着した議論である。
井伊直虎は美貌の少女であった。生年月日は不明、没年は義理の息子の武功『主君・徳川家康の伊賀越え』を成功させた年のわずか数か月後の天正十年(1582年)八月二十六日(九月十二日)没している。幼名・不明、改名・祐團尼、直虎、別名・次郎法師、女地頭(綽名)、戒名・妙雲院殿月泉祐團大姉、主君・今川氏真→徳川家康、氏族・井伊氏、父・井伊直盛、母・祐椿尼。養子が井伊直政である。
「直政、お主がわしの鷹狩での草原で、烏帽子直垂でわしらと遭遇したとき、となりに若き尼がいたが、それがお前の義理の母御前か?」
「いかにも!徳川さまに仕官する案も義母御前のものでした」
「太閤殿下の前では女謙信とまで申したの?」
「あれは本当にございます。なれど心は優しい艸風(そうふう・草原に吹く風)の如き義母でありました」
「なるほどな。惜しい人を亡くしたのう」
「御意にござる」直政は両目に涙を浮かべた。

石田三成は安土桃山時代の武将である。
 豊臣五奉行のひとり。身長156cm…永禄三年(1560)~慶長五年(1600年10月1日)。改名 佐吉、三也、三成。戒名・江東院正軸因公大禅定門。墓所・大徳寺。官位・従五位下治部少輔、従四位下。主君・豊臣秀吉、秀頼。父母・石田正継、母・石田氏。兄弟、正澄、三成。妻・正室・宇喜多頼忠の娘(お袖)。子、重家、重成、荘厳院・(津軽信牧室)、娘(山田室)、娘(岡重政室)
 淀殿とは同じ近江出身で、秀吉亡き後は近江派閥の中心メンバーとなるが、実は浅井氏と石田氏は敵対関係であった。三成は出世のことを考えて過去の因縁を隠したのだ。
「関ヶ原」の野戦がおわったとき徳川家康は「まだ油断できぬ」と言った。
当たり前のことながら大阪城には西軍大将の毛利輝元や秀頼・淀君がいるからである。
 しかるに、西軍大将の毛利輝元はすぐさま大阪城を去り、隠居するという。「治部(石田三成)に騙された」全部は負け組・石田治部のせいであるという。しかも石田三成も山奥ですぐ生けどりにされて捕まった。小早川秀秋の裏切りで参謀・島左近も死に、山奥に遁走して野武士に捕まったのだ。石田三成は捕らえられ、「豊臣家を利用して天下を狙った罪人」として縄で縛られ落ち武者として城内に晒された。「お主はバカなヤツです、三成!」尼姿の次郎法師(井伊直虎)はしたり顔で、彼を非難した。
「お前のような奴が天下など獲れるわけあるまいに」
(*注・実際には井伊直虎こと次郎法師は天正十年(1582)年八月二十六日に享年四十八歳で没しているので、三成の関ヶ原の役では生きてはいないが「特別出演」(笑)で出演させたことは理解して欲しい。直虎の幽霊と話す設定がちょうどよい(笑))
「お前は誰じゃ?」
「井伊直政の義母・次郎法師こと井伊直虎じゃ!」
三成は「わしは天下など狙ってなどおらぬ」と直虎の霊をきっと睨んだ。
「たわけ!徳川家康さまや(義理)息子・井伊直政が三成は豊臣家を人質に天下を狙っておる。三成は豊臣の敵だとおっしゃっておったわ」
「たわけはお主だ、直虎、いや次郎法師!徳川家康は豊臣家に忠誠を誓ったと思うのか?!」
「なにをゆう、徳川さまが嘘をいったというのか?」
「そうだ。徳川家康はやがては豊臣家を滅ぼす算段だ」
「たわけ」直虎は冗談としか思わない。「だが、お前は本当に贅沢などしとらなんだな」
「佐和山城にいったのか?」
「いいえ。でも家康さまや(義理の)息子・井伊直政からきいた。お前は少なくとも五奉行のひとり。そうとうの金銀財宝が佐和山城の蔵にある、大名たちが殺到したという。だが、空っぽだし床は板張り「こんな貧乏城焼いてしまえ!」と誰かが火を放ったらしいぞ」
「全焼したか?」
「ああ、どうせそちも明日には首をはねられる運命だ。酒はどうじゃ?」
「いや、いらぬ」
 直虎は思い出した。「そうか、そちは下戸であったのう」
「わしは女遊びも酒も贅沢もしない。主人が領民からもらった金を貯めこんで贅沢するなど武士の風上にもおけぬ」
「ふん。淀殿や秀頼殿を利用する方が武士の風上にもおけぬわ」直虎は何だか三成がかわいそうになってきた。「まあ、今回は武運がお主になかったということだ」
「直虎殿、いや直政殿の義母ごぜ」
「なんじゃ?」
「縄を解いてはくれぬか?家康に天誅を加えたい」
「……なにをゆう」
「秀頼公と淀君さまが危ないのだぞ!」
  直虎は、はじめて不思議なものを観るような眼で縛られ正座している「落ち武者・石田三成」を見た。「お前は少なくともバカではない。だが、徳川さまが嘘をいうかのう?五大老の筆頭で豊臣家に忠節を誓う文まであるのだぞ」
「家康は老獪な狸だ」
「…そうか」
 直虎の霊は拍子抜けして去った。諌める気で三成のところにいったが何だか馬鹿らしいと思った。どうせ奴は明日、京五条河原で打首だ。「武運ない奴じゃな」苦笑した。
 次に黒田長政がきた。長政は「三成殿、今回は武運がなかったのう」といい、陣羽織を脱いで、三成の肩にかけてやった。
「かたじけない」三成ははじめて人前で泣いた。

*大河ドラマでは度々敵対する石田治部少輔三成と黒田官兵衛。言わずと知れた豊臣秀吉の2トップで、ある。黒田官兵衛は政策立案者(軍師)、石田三成はスーパー官僚である。
*参考映像資料NHK番組『歴史秘話ヒストリア「君よ、さらば!~官兵衛VS.三成それぞれの戦国乱世~」』<2014年10月22日放送分>
*三成は今でいう優秀な官僚であったが、戦下手、でもあった。わずか数千の北条方の城を何万もの兵士で囲み水攻めにしたが、逆襲にあい自分自身が溺れ死ぬところまでいくほどの戦下手である。*(映画『のぼうの城』参照)*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。*三成は御屋形さまである太閤秀吉と家臣たちの間を取り持つ官僚であった。
石田三成にはこんな話がある。あるとき秀吉が五百石の褒美を三成にあげようとするも三成は辞退、そのかわりに今まで野放図だった全国の葦をください、等という。秀吉も訳が分からぬまま承諾した。すると三成は葦に税金をかけて独占し、税の収入で1万石並みの軍備費を用意してみせた。それを見た秀吉は感心して、三成はまた大出世した。*
三成の秀吉への“茶の三顧の礼”は誰でも知るエピソードである。*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。

“原始、女性は実に太陽であった。真正のひとであった。しかし、いまや、女性は月である”「青鞜」平塚らいてう(らいちょう)1936年(明治36年)~1971年(昭和46年)

“上手に人をおさめる女性とは上手に人を愛せる女性”ナイチンゲール
ナイチンゲールやジャンヌダルクのように、戦国時代の日本にも『葵のジャンヌダルク、井伊直虎』がいた。直虎というが実は女性。映像参考文献NHK番組『歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン~」』井伊直虎こそあの徳川四天王のひとり、井伊直政の義理の母親で、あった。
*<徳川家康の四天王>とは、酒井忠次(さかい・ただつぐ)、榊原康政(さかきばら・やすまさ)、井伊直政(いい・なおまさ)、そして本多忠勝(ほんた・ただかつ)の4人の家康の重臣たちのことだ。猛将の忠次、がんこ者の康政、人格者の直政、剛力の忠勝は、家康を助けた。彼らがいなければ、家康も天下を取れなかったかも知れない。4人の子孫は、みな幕府の重臣となっている。*<「戦国武将大百科」げいぶん社 47ページ>

  関ヶ原合戦のきっかけをつくったのは会津の上杉景勝と、参謀の直江山城守兼続である。山城守兼続が有名な「直江状」を徳川家康におくり、挑発したのだ。もちろん直江は三成と二十歳のとき、「義兄弟」の契を結んでいるから三成が西から、上杉は東から徳川家康を討つ気でいた。上杉軍は会津・白河口の山に鉄壁の布陣で「家康軍を木っ端微塵」にする陣形で時期を待っていた。家康が会津の上杉征伐のため軍を東に向けた。そこで家康は佐和山城の三成が挙兵したのを知る。というか徳川家康はあえて三成挙兵を誘導した。
 家康は豊臣恩顧の家臣団に「西で石田三成が豊臣家・秀頼公を人質に挙兵した!豊臣のために西にいこうではないか!」という。あくまで「三成挙兵」で騙し続けた。
 豊臣家の為なら逆臣・石田を討つのはやぶさかでない。東軍が西に向けて陣をかえた。直江山城守兼続ら家臣は、このときであれば家康の首を獲れる、と息巻いた。しかし、上杉景勝は「徳川家康の追撃は許さん。行きたいならわしを斬ってからまいれ!」という。
 直江らは「何故にございますか?いまなら家康陣は隙だらけ…天にこのような好機はありません、何故ですか?御屋形さま!」
 だが、景勝は首を縦には振らない。「背中をみせた敵に…例えそれが徳川家康であろうと「上杉」はそのような義に劣る戦はせぬのだ!」
 直江は刀を抜いた。そして構え、振り下ろした。しゅっ!刀は空を斬った。御屋形を斬る程息巻いたが理性が勝った。雨が降る。「伊達勢と最上勢が迫っております!」物見が告げた。
 兼続は「陣をすべて北に向けましょう。まずは伊達勢と最上勢です」といい、上杉は布陣をかえた。名誉をとって上杉は好機を逃した、とのちに歴史家たちにいわれる場面だ。

***
遠江(とおとうみ)の下、浜名湖に守られながら、室町時代後期、戦国時代を戦火から救うことになるひとりの女性がいた。
名前を直虎、幼名・麗姫(れい・おとわ)、井伊次郎法師・井伊直虎(じろうほうし・いいなおとら)という。
明応42年(1536)1月6日、井伊家(いいけ)に子供が生まれた。のちの井伊直虎である麗姫(れい・大河ドラマではおとわ)である。
父親は井伊直盛(なおもり)、母親は新野千賀(ちか)………
おぎゃああ、おぎゃああ…
「おお!産まれたか!」
「御主人さま、大変にお元気でおおきな…おおきな…」
「おおきな…おおきな?」
「姫さまにございまする!」
「ひ、姫?!!」
父親の直盛は肩を落とした。井伊といえば剛毅な男の世界である。
「まあ、姫か。」と思った。「嫡男はいない。そうするとおんなで長女か。」
当たり前だがそうである。
もし、麗の曾祖父の井伊直平のいうように宗家に世継ぎが生まれなければ直平の息子の井伊直満のひとり息子・亀之丞(のちの井伊直親・なおちか)をひとり娘の婿養子として井伊家を継がせればいい。それでお家は安泰の筈である。
父親は紙に書いた名前をまだ寝ている母親に見せた。
「麗?」
「そうじゃ。れいと呼ぶ」
「まあ、いい名前?」
「これは綺麗のれいからもきているが混じりけのない純粋なおなごに育てよ、というわしからの贈り物の名前でもある。そう、麗、麗姫じゃ。」
「……麗姫?まあ、いい名前ですわ。」
「そうであろう。そうであろう。」
直盛は目を細めた。「この子意外に子がなかったらおじじさまの言うとおり井伊直満の息子・亀之丞の嫁として嫁がせ、元服したら亀之丞は……そう井伊直親としよう」
赤ん坊は何故か夢見心地、の顔だ。



****
話を変える。
 井伊麗姫(のちの井伊次郎法師のちの井伊直虎、2017年NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』ではおとわ)は駿河遠江国(現在の静岡浜松市)井伊谷城で生まれた。生年月日不明(おおよそだが天文五年(1536年))…天文十年(1541)の駿河遠江国(するが・とおとうみ)では井伊直虎と井伊直親がわんぱくに育っていた。
子供の麗(のちの次郎法師・井伊直虎 大河ドラマではおとわ)と亀之丞(のちの井伊直親)と家臣筋の鶴丸(のちの小野政次)は遊んでいた。山を駆け、野を駆け、三人の絆は深い深いものとなった。森でかくれんぼをしていて、麗(大河ドラマではおとわ)は「亀!鶴丸!こっち!こっち!」と呼ぶ。麗はフクロウの巣の赤ちゃんを見つけた。
「わああっ、可愛い」3人の子供はほっこりとした笑顔になった。
井伊家の元祖となった井伊家の祖先で井伊家の始まりとなったのは井伊家の井戸(現在も井伊谷に保存されている)を三人は眺めた。「この井戸に井伊家の祖・初代さま井伊共保(ともやす)公が捨てられていて拾われた。これが井伊家のはじまりである!」
「だが、何故、井戸に捨てられたのに溺れ死ななんだ?」
「きっと井戸端に捨てられたのじゃ」
「なるほど!」
子供時代は浜松の天白磐座(てんぱく・いわくら)遺跡(1500年前からあるとされる古代祭祀遺跡)を遊びまわっていた筈である。井伊家は代々、この天白磐座遺跡を祀る王の末裔でもある。戦国時代は男だけの城主・大名だったが直虎以外のおんな城主はいる。
一は“男勝りの城主 立花誾千代(ぎんちよ)”筑前(いまの福岡県)で永禄十一年、島津の大軍が攻めてきた立花山の戦いで、島津軍を追い払った。二は、“おんな戦国大名 寿桂尼(じゅけいに)(今川義元の母)”四十年に渡っていっさいを取り仕切り今川家繁栄の礎を築いた。今川を有力大名におしあげた知略家である。そんなおんな城主のひとりが直虎。
麗・おとわの父親の直盛は心やさしい性格で生け花が趣味。麗・おとわに「麗・おとわ、お主がこの井伊家井伊谷の領主としてあとを継ぐか?」とおどおど訊いて、幼い麗・おとわは「え?わたしはずうっと最初からわたしがあとをつぐと思っていましたが…違うんですか?」といわれて困惑する。
「そんな訳はあるまい!」逆に母親の千賀は教育母親的な女性で、おとわが亡くなる四年前まで生きていた。おとわが悪戯や悪い口をきくとおしりぺんぺんしてしつけた。
やがて、幼いうちに麗(のちの次郎法師・井伊直虎)と亀之丞は大きくなったら結婚することを誓う。曾祖父の井伊直平(なおひら)が、麗の叔父で亀之丞の父親の井伊直満(なおみつ)の息子と麗(おとわ)を許嫁とした。井伊家本家では嫡男が出来なかったからだ。
「麗……わしたちは夫婦になるのじゃ」
「わかった。亀之丞」
「しかし…わしのような病弱な男の嫁で嫌ではないか?」
「亀、何を言う!そなたには笛があるではないか。」
「わしは笛を吹くことしかできぬ。鶴丸のように頭がいい訳でもない。麗・おとわのように体が丈夫な訳でもない。何の意味も無い存在なのじゃ!出来損ないなのじゃ!」
「ばかもの!」麗・おとわは亀之丞の頬を平手打ちした。
「おまえは意味があっていきておる!われの未来の旦那さまになるのであろう?!!情けないことをいうでない!いうでない!」
「……麗・おとわ…。」
「亀は立派な男子(おのこ)じゃ!のう?!!お前が戦えぬならわれがかわりに戦う。亀、お前が領主が出来ないならわれがかわりに領主となろう!」
「わかった。わしはもっと強い男子になる。みていてくれ!」
「おう!われも綺麗な嫁になるからみていてくれ!」
ふたりは笑顔になった。
 直虎と亀之丞が許嫁(いいなずけ)の関係になったのは直虎五歳のことである。
だが、亀之丞は井伊家の亀の父親が暗殺され井伊家当主が桶狭間で討ち死にすると隠遁生活にはいる。
 麗(おとわ)の父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、麗(大河ドラマではおとわ)の母は、ドラマでは新野千賀(ちか)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、麗(おとわ)が生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「麗(おとわ)」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ)の子・亀之丞と、麗(おとわ)を結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 麗(おとわ)が、まだ2~3歳の時だったという。
 「麗(おとわ)」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。 が、間もなく悲劇が起きる。
「これから駿河の今川さまの屋敷に行って参る」
「………」
「いかがした?亀之丞?」
「父上、領内でよからぬ噂がたっておりまする。今川様のところへはいかぬほうがよいかと。」
「何じゃ。亀、お主までこの父親を疑うのか?井伊直満は北条に内通していると。馬鹿者」
「しかし、今川義元公は…」
「考えすぎじゃ。わしは今川屋敷にまいる」
 だが、やはりだった。今川義元に責められた。「お主は北条に内通しているのであろう?!」
「いいえ、そのようなことは…陰謀にございまする!」
「だまれ!井伊直満!」
井伊直満は右目を戦で負傷していたため眼帯を独眼竜政宗のようにしていた。直満の北条への内通書が示される。ばれた!!う…ぐああ!案の定、今川義元は今川舘内で家臣達に直満を包囲させて、「殺せ!」の命令で井伊亀之丞(のちの井伊直親)の父親は殺された。「一豪族ふぜいが……まろを舐めるな!」
今川義元は吐き捨てるように言った。
井伊直満の首が届けられる。
全員、戦慄した。「書状には井伊家を滅ぼす、と書いてあるぞ!井伊家を、と!」
「そんな馬鹿な!!??」「今川家から攻められたら井伊谷などひとたまりもない!」
「どうしたらいい??!!」「このままなら井伊家滅亡じゃぞ!!」
井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった。
「父上―!父上-!」亀之丞は号泣した。
さらに、今川からは亀之丞を殺せとの命令が出ていたが井伊家は逃がした。
曾祖父の井伊直平がきて「小野か?小野が今川へ直満を売ったのか?!」
「おじじさま。今は時がありません」
「まだ九歳の亀之丞を殺すつもりか?!!今川の命令に従うつもりか?!!」
当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。「麗・おとわ、必ずそなたの元に帰ってまいる!」
「まっておるぞ、亀!」
亀之丞が姿をくらまして、亀之丞かと思って今川家の家臣達は農民姿のおとわを捕らえた。
「井伊亀之丞だな?」母親の千賀らはおとわがいないこと気づいて「おとわは何処じゃ?」
ひそひそ守り役のたけにきく。たけは「申し訳ありません。わたくしが目を離したすきに」
「亀之丞らしき小僧を捕らえたぞー!」男達の声が井伊谷に響く。
しかし、それはおとわだった。深夜の山中であった。
直盛や千賀らが「それは亀之丞ではありません!」「そうです!井伊家のひとり娘のおとわでございます」「何?」「何故小僧の格好をしていた!?何故逃げた!?」
おとわは「竜宮小僧を探しておったのじゃ」といういい訳を貫いて、それで許された。
のちにおとわは両親に井戸端で亀の笛を見つけて無性に駆けだし、亀の従者である今村藤七郎に出くわして、笛を渡す機会を得たという話をした。
「笛を届けてくれたのか?ありがとう、おとわ」
「亀の大事な笛ではないか。」
「この笛は亡き父上に買ってもらった大事なもの。本当にかけがえのないものだった」
「絶対に死ぬな!亀…生きのびて…」
「俺はもっともっと強くなって必ずおとわを迎えにくる!」
涙をこらえる亀之丞……おとわ…
そして逃亡……「とにかく若!お逃げください!」「しかし……井伊家は?」
「井伊亀之丞!覚悟―!」「ぐうっ。おのれー!」「若!逃げまするぞ!若!!」
斬り合いの末、井伊亀之丞(のちの直親)らは逃亡した。
直満の葬儀が行われる。今川家の手先である小野和泉守政直が今川の姫と小野の息子・鶴丸を結婚させて井伊家を継がせるという策を披露する。すると激怒した井伊直平が刀を抜いた。「貴様ー!最初からそのつもりであったなー!」しかし直盛が曾祖父直平を羽交い締めにして止めた。「やめてくだされ!おじじさま!」
鶴丸はおとわに「わが父上は今川に直満おじさんを売って、今度のわしとおとわとの婚儀はその褒美なのじゃ」と下唇を噛みしめる。
おとわは家出をした。自分がいなくなれば問題はなくなる、と思ったからだ。
しかし、山中の乞食に拾われ、井伊谷に戻された。
天文13(1544)年、直虎十歳で、伊井谷の家臣のひとりが直親を殺そうと暗殺団の刺客を送ったことで、井伊家の次期惣領だった筈の井伊直親(亀之丞)は信濃(長野県)の松源寺(長野県下伊那郡)へ身を隠す。それは直虎へも秘密であった。
逃がしたことも生きているか死んでいるかもすべて秘密…知られればたちまち駿河の今川に攻め滅ばされてしまう。すべては遠江の領地・井伊谷の井伊家のためであった。
生きているのか死んでいるのかもわからないまま、直虎は傷心で過ごした。
すべては井伊直親の命を守る為である。
鶴丸(のちの小野政次)の父親・小野和泉守政直が井伊直親を殺そうとしたからだ。
鶴丸改め小野政次に父の小野政直は「お前もいずれわしのようになる」と忠告した。
「父上!母上!亀之丞は何処へいかれたのですか??!!お教えくだされ!亀はどこへ?」
だが、両親は答えられない。そんな傷心の麗は考えた。
若かりし麗(おとわ)が絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になった麗(おとわ)は、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職)の元へ出向いた。出家だ!家出して出家すれば亀をまてるし、鶴丸と夫婦にならないですむ。
そう考えて自分で刃物で髪を切りつづけた。おかしな頭になる。
そんなとき今川家からおとわを人質に出せ、という命令が下る。
「人質など反対じゃ!戦をしようぞ!もはや戦しかない!」直平は激昴して叫ぶ。
だが、おとわと従者は今川家の城にいく。今川の軍師・太原雪斎(たいげん・せっさい)に気に入られるおとわ。また、のちに徳川家康の正室になることになる瀬名(のちの築山殿)に出会い、瀬名はおとわのへんてこの頭髪に笑い転げる。美少女である。
井伊家の人質の佐名姫(南谿和尚の妹)を、おとわに守り役のたけは耳元で、
「今川さまのお手つきになられたという女性ですよ。」と気の毒そうに囁く。
今川の寿桂尼(じゅけいに 義元の母親)はおとわの出家を認める。
今川舘では今川義元の嫡男・龍王丸と瀬名たちが蹴鞠(けまり)で勝負していた。龍王丸(たつおうまる・のちの今川氏真)に勝てば何でも望みを叶える、と知っておとわは蹴鞠勝負をして勝つ!
「この!何度も何度も卑怯だぞ!」
「このおとわを井伊谷の戻してほしいのです。そのかわり出家しますからどうぞこの望みを叶えてくだされ!」
おとわの必死の懇願に無口の今川義元も「よかろう」と認めた。
井伊谷に帰ったおとわは龍譚寺にすぐに行った。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いた麗(おとわ)の両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
「亀之丞以外の男には嫁がない!わたしは龍譚寺(りょうたんじ)に出家いたす!」
「え?!!何を…!馬鹿げたことだ!やめるんだ!」
「いいえ。亀が戻るまで出家しまする。但し、次郎法師・井伊直虎として。」
 おんなの覚悟である。こうして次郎法師・井伊直虎は誕生する。
南谿和尚は「そなたは何故にここに来た?」と問うた。
「出家を親にさせられました」
「出家とはなんぞ?」
「お坊様に……なること?」
「僧?……僧とはなんぞ?」
「僧?……毛のないひとですか?」
「では、頭の禿げ上がった爺は僧か?毛のない蛙は僧か?」
厳しい修行に音を上げたおとわはわずか一日で井伊谷城に逃げ帰ってくる。
母の千賀は「たったの一日で逃げ帰ってくるとは情けない」たけも「辛抱を学びなされ」
「ムリムリ!修行は厳し過ぎるのじゃ!わしは姫じゃぞ!」
「馬鹿者!」母親の千賀の雷が落ちた。
龍譚寺に戻されたおとわは腹が減った。しかし、僧たちは「托鉢(たくはつ)をしてまいれ!」という。「托鉢?」「家の前で念仏を唱え、その托鉢鉢に供物をもらうのじゃ」
おとわは井伊谷の食べ物屋にいき、出鱈目な念仏を唱えて「腹が減った!食べ物をくれ!」
「なんだ?!このガキ!消えろ!」
剃髪しているのでおとわ、姫とはわからない。
腹が減って腹が減って、おとわは村の畑の野菜にかじりついた。
それを鶴丸にみつかってしまう。泣き出すおとわ。
だが、食べ物屋の水瓶を運んでいっぱいにして働くとおとわはつけものを托鉢してもらった。「腹が減った!これが托鉢か……われこそ竜宮小僧じゃ。」がつがつ食べ笑顔を見せた。
昊天が「何故次郎法師を迎え入れたか?」ときき、南谿は「あの娘は特別な虎の目をもっておる。井伊家の初代さま井伊共保さまもそうであったろう。あの子供こそ竜宮小僧じゃ。」
「われが井伊家を守るのじゃ!」出家した井伊直虎・次郎法師は極寒の中、滝行をする。
冷たい滝にうたれながら般若心経を唱えた。すべては井伊家の為の祈り、である。
次郎法師は出家したので坊主頭の少女である。姫時代は馬で駆けた。おとわの乳母はたけ。
次郎法師は禅の修行や般若心経などの念仏も修行した。現在の禅の修行はひとと向かい合ってのものだが、戦国時代当時は壁に向かって瞑想し禅で念仏をそらんじた。
龍譚寺では兄弟子の傑山などが弓矢や槍の稽古をする。「次郎法師!おなごだからと手加減せぬぞ!かかってまいれ!」だが、兄弟子たちは次郎法師を生涯守ることも誓う。僧兵だ。
教育係の僧侶・昊天も、次郎法師に学問や歴史経世済民などを教えるのである。
「雑巾になりきれー!寺の掃除をしっかりとやるのじゃー!」「おおっー!」
「志を大事にせよ!ひとは志次第でどうとでもなる!井伊谷や龍譚寺だけが世界ではないぞ!お前は学べ!しゃかりきに学べ!のう次郎法師!」
「はい!われは学びまする!井伊家、井伊谷、すべての国のために!われは井伊谷に生まれようござりました!」井伊直虎・次郎法師は志をたてる。
天文二十二年(1554年)、亀之丞が井伊谷を去ってから十年もの歳月が経っていた。
鶴丸は小野但馬守政次と元服して名を改めていた。直盛も四十七歳になった。
井伊家筆頭家老小野政直が息子の小野政次と次郎法師を結婚させようとした。
次郎法師は「そうなれば両家のわだかまりもとけるのう」
政次は「亀のことはいいのか?」ときいた。
次郎法師は「もし、生きておったとしても亀には別の人生がとっくにあろう。」
「それでおとわはいいのか?」
「いいもわるいもない。わしは文句を言える身ではない」
こんな評定は荒れて当然である。しかし、今川の息のかかった小野政直のいいようにことがすすんだ。だが、政直は病気で倒れる。
死ぬ前に政直は息子に「お前は俺を醜いと思っているだろうがお前もこのわしと同じようになる!いずれ…わしと同じとなるぞ。」といい、その後病死した。
こうしたことでやっと十年ぶりに亀之丞は井伊谷に帰ってくることができた。
「俺はおとわと一緒になるつもりじゃ。」直親(亀之丞)はいう。長い長い間待ち望んでいた言葉。しかし……
「われこそ次郎法師!井伊直虎である!!」
のちに、そう男装し、赤備えの兵で武装した馬上の直虎は跡継ぎの虎松(のちの井伊直政)がわずかに二歳の赤子で跡継ぎの男子がいなくなったために、次郎法師が井伊直虎となり発した。
一度は諦めた井伊家の存続であった。だが、没落する。今川家などに攻められて城もすべて失ったことがある。龍譚寺で一計をこうじて義理の息子・井伊直政を徳川家康に仕官させ、“松下”からふたたび井伊を名乗ることを家康に認めさせた。
晩年、直虎は祐圓尼(ゆうえんに)と号し、母・千賀(祐椿尼・ゆうちんに)と龍譚寺で過ごし1582年死亡した。織田信長の暗殺・本能寺の変の数ヶ月後、であった。
話を戻す。
実は小野政次は次郎法師・のちの井伊直虎に懸想(けそう・恋愛感情)をしていて、幼い頃の絆はどこへやら、亀之丞改め井伊直親(なおちか)と対立するようになる。
「鶴?いかがした?何故わしを狙う?われらが戦うのは井伊家のため、麗のため。」
「だまれ!わしは…もう鶴丸ではない、この井伊谷の領土を狙う小野政次だ!」
井伊直虎の曾祖父・井伊直平は「麗(大河ドラマではおとわ)!ようやくこの時が来た!亀之丞を連れ戻すぞ!戻ってまいるぞ!」と龍譚寺で笑顔になった。
「しかし、わし井伊直平が領主のときに今川軍にやぶれて今川領となり、息子達も傷だらけになった。亀の暗殺された直満も直盛の父親も戦で負傷した。じゃから、わしは今川家が憎い。憎いのじゃ!今川義元は殺してやりたい!もはや、戦じゃ!戦しかないのじゃ!」
麗・おとわの曾祖父・井伊直平の今川家への憎悪はすざましい。亀の父親が独眼になったのも今川家との合戦で、である。ちなみに井伊谷(いいのや)とは「井の国」とも呼ばれ、竜宮小僧(りゅうぐうこぞう)の守る浜名湖の北側の小国(静岡県浜松市井伊谷)である。
最初、この遠江の井伊谷の領地は今川家が攻めてきて支配して、次に徳川家康に攻められ、北からは武田軍が攻めてきた。交通の要所であり、戦国武将の欲しい領土だった。
ちなみに井伊家とは幕末に安政の大獄をやって、桜田門外の変で水戸浪人に暗殺された井伊直弼大老は、井伊直虎・井伊直政の子孫である。井伊直弼は直政から十三代目の子孫。
次郎法師直虎の許嫁(いいなずけ・亀之丞・のちの井伊直親・なおちか)が帰郷する。
だが、麗は「亀が戻ってきたところでわしは出家の身じゃ。何もかわるまいに。」
亀之丞は馬で井伊谷の城に帰ってきた。
直虎が二十一歳のころである。弘治元(1555)年、直親は戻ってくる。
だが、直虎はすでに出家していて……
しかし、そこは先の見えるおなごである。その当時、尼になれば結婚も俗世にかえるのも不可能であった。だが、直虎は僧侶、つまり、男として次郎法師として出家し龍譚寺に行っていた。僧侶とて結婚することは出来ないが俗世に戻ることは出来る。
武田信玄も上杉謙信だって僧侶となり、俗世に戻っている。
亀之丞は馬で悠々と戻ってきた。
直虎の父へ平伏し、「井伊亀之丞、ただいま戻りました」と告げる。
「おおきうなったのう鶴丸!麗も。戻ったぞ、麗!わしが戻れたのも麗がいてこそだ!」
元服して亀之丞改め“井伊肥後守直親”となる。
「立派になった。立派になった」
直虎の父親・井伊直盛は目を細めた。
「これで井伊家も安泰じゃあ」数少ない家臣達が喜んだ。酒席である。
だが、しかし、もはや出家した直虎の出る幕はない。
ちなみにのちの井伊直政の命をすくったのは井伊家家臣・新野左馬助、である。
おとわの還俗はいつになるやら。龍譚寺の南谿和尚はとんちを披露する。次郎法師に言う。
「昔、趙と言う国の道威という王がふたりの大臣のうちひとりをやめさせることになった。王はふたりの大臣、中と伯に饅頭(まんじゅう)を二個ずつ与えた。中は一つを食べ、もうひとつを飢えた子供に与えた。伯は一つを食べ、もうひとつはながらくもっていてカビさせてしまった。さて、王はどちらを大臣として雇った?」
次郎法師は自信ありげに「中でしょう!饅頭をカビさせてはいみがない!」
南谿和尚はにやにや嗤っている。
「え?……違うのですか?」
「よおっく、考えてもみよ。次郎法師」南谿和尚は笑顔のままだ。
直親は次郎法師・おとわを死んだことにして別人として妻に迎えるという策をだした。
だが、次郎法師はその策にのらなかった。
そこで饅頭とは志である、と知る。
「われは死なない。われは一個の饅頭なのだ。饅頭をひとつ食べれば腹が減ったのをしのげる。しかし、二個食べてしまえばもしも本当に困ったときに食べられない。われはカビた饅頭になる。カビた饅頭となって井伊家を守る!」
その決意をきいた直親はしのという女性と結婚することになる。
「すまない、麗・おとわ。じゃが、仕方ないことなんだ。」
 直親はうしろから直虎を抱擁するが、………涙をぬぐってから、次郎法師井伊直虎は振りほどいた。
「何がじゃ?」
「わしは命を狙われて隠遁生活じゃった。その頃にいつもわしを気遣ってくれたのが今の妻・しの、なんだ」
「煩悩に負けたからじゃろう?!亀!見損なったぞ!」
「それもある。それについては……すまん、麗・おとわ。すまん。すまん。」
「………もはや、われは麗・おとわではない。次郎法師じゃ。」
「そうであったな。次郎法師さま。井伊家のおんな城主井伊直虎さま。」
「これ。ふざけるでない。」
 ふたりは笑った。
井伊直親は曾祖父の井伊直平の隠れ棚田に感嘆する。「これは…見事な…」
「これが井伊家の砦じゃ」直平は隠れ棚田・川名(かわな)を自慢する。
直親は筆頭家老の小野政次にこの棚田を検地の範囲から外してくれ、と頼む。
「おとわのためにともに井伊谷を守ろう!」
政次は「俺はおまえのそういうところが嫌いなのじゃ」子供の頃の嘘偽りない表情だった。
瀬名(のちの築山殿)は三河からの人質・松平元信(のちの元康・徳川家康)と結婚させられた。姉さん女房であった。“三河のぼんやり”家康は陰で馬鹿にされていた。
直親としのが結婚して丸四年。さっぱり子供が出来なかった。
しのはあらゆる薬草を飲み、食べ物を食べた。子供が欲しい!欲しい!
次郎法師も昊天に妊娠するによい薬草をきくが高額で一禅僧に買える額ではない。そこで次郎法師は亀之丞の亡き父親に買ってもらっていた笛と対の鼓を小野家の政次に見せた。
「何で俺が次郎法師の鼓を買って、高価な薬草を手に入れてしのに渡さねばならなんだ?」
「父上や母上に知られたくはないからじゃ。鶴。いや、政次殿、頼む。」
だが、薬草をしのは断った。受け取らなかった。
しのが妊娠する前は次郎法師としのとの関係はいまでゆう元カノと今カノの戦いでバチバチしていた。「次郎さまはしのに子供が出来なければよいと思うてらっしやるのでしょう?!」
「何を馬鹿なことをいうのじゃ!それでも井伊家の惣領の嫁か!!」
あるときはしのは懐剣をもって脅迫した。次郎法師は「殺したいならころすがいい!」
やがて織田信長の命令で徳川家康は瀬名(築山殿)と子供(竹千代と亀姫)らを殺した。
直虎の父親・直盛は今川家に従って織田攻めに加わった。「これから今川義元さまにしたがい、織田を成敗することとなった!」「えいえいおーっ!えいえいおーっ!」
今川軍は二万五千、織田勢は三千人……まさか誰も今川がやぶれるとは思わない。
井伊直親も参戦しようとしたが、井伊直盛にとめられた。「お主は御曹司じゃ!井伊谷に残ってくれ!」「しかし!わしも刀や槍の稽古を積んできました!」「残ってくれ!」
だが、奇跡の桶狭間合戦が起こる。今川義元は織田信長に討ち取られ、直盛らも戦死する。
直虎の父が桶狭間合戦で死に、直親らもやがて今川家臣に斬り殺された。
しんしんと雪が降る中、血だらけで雪原で横たわった直親は、
「……井伊谷は何処じゃ……おとわ………鶴…無念じゃ。」血を吐いて死んだ。
悲しみに暮れる井伊谷の井伊家……次郎法師は念仏を唱えながら号泣する。
直親の遺体に触ろうとした次郎法師にしのは涙ながらに怒鳴った。
「さわるでない!われの夫じゃ!」
しのは妊娠し、出産していた。直親の嫡男・虎松(のちの井伊直政)である。
龍譚寺の井戸では奇跡が起こっていた。枯れた井戸だったが、みずがわきあがってきたのだ。だが、井伊直虎・次郎法師は不吉な予感を感じて、念仏を唱える。
小野政次がしのの父親を殺して討ち死にするに至って、次郎法師は決意する。
先だって唯一の成人男性の曾祖父の井伊直平さまも病死(毒殺の疑いも)した。もはやおんなしか残っておらぬ。残されたのは赤ん坊の虎松(のちの直政)だけ………
直親の遺体が届くと、直虎は決心する。井伊家は亀之丞の息子(のちの井伊直政)がおおきくなるまでわたしが守る!!おなごなれど“おんな城主井伊直虎”として生きよう!井伊家はわれが守る!
ちなみに直親の妻しのは恋しい直親と仲の良い元・許嫁の直虎に嫉妬して、理不尽な物言いもしたらしい。どこの時代でもある愛憎劇である。
元・いいなずけの井伊直親が暗殺されたとき、息子の虎松(のちの井伊直政)はわずかに二歳の赤子……これでは惣領は勤まらない。そこで次郎法師が“直虎”と男装し男のなりで惣領となった。ここでおんな城主井伊直虎が誕生する。
「わたしが…このおなごの身のわたし…次郎法師、井伊直虎がこの井伊谷の当主となる!必ずや井伊家を再興し必ず井伊家を家族をもりたてる!必ず時代を歴史をかえるほどに精進する!この井伊直虎がおんな城主である!わかったか!」
直虎は赤備えの馬の上で覚悟を決めた。
「いざ!井伊直虎まかり通る!われこそが井伊直虎である!」
 それは“おんな城主井伊直虎”の誕生だった。
井伊直虎は次郎法師が独創した男装の大名の名前であった。
「井伊次郎法師・井伊直虎、ただいま井伊谷(いいのや)に帰って参りました」
「おお、麗・おとわ。いや、おんな城主井伊直虎さまじゃな。」
尼姿の直虎を母の祐椿尼や家臣団は迎えた。「万歳-!万歳-!」
赤備えの馬で男装して赤い着物で馬で行軍する。赤備えの兵、僧兵もいる。
まさに“おんな謙信”の如き、である。
直虎は領民思いの優しいおんな城主だった。凱旋行軍である。
農民が領土を巡って対立して裁いてもらおうと直虎の元に訪れると「個人の田畑ではなく、村で共有する田畑ではどうか?」と名裁き。井伊家の家系が苦しいとき領地の商人から銭を借りた。利息はあっても年貢までの辛抱である。領民から里芋などを贈られると酒宴を開いて直虎自身が酌をしたりもしたという。まるで名君・上杉鷹山公の如きおんな城主だ。
気配りの女性であり、人情味あふれるおんな城主直虎、である。
今川義元が御屋形さまで、義元の息子が今川氏真(うじざね)、義元の母親が寿桂尼(じゅけいに)であり、今川家には三河の松平家からの人質がいた。これが松平元康、つまりのちの徳川家康である。少年の人質・家康は今川家のおんな瀬名・のちの築山殿を正室にむかえる。悪女であり、妖艶な美形の女性である。能で般若の面で家康を恫喝する。
小心者の徳川家康はそんな姉さん女房の尻に敷かれることになる。
ちなみの小野政次の父親は井伊家筆頭家老だったが、「こいつ邪魔だなあ」と思われていた。
井伊直虎は男装だけではなく男性の戦国大名がつかった花押(かおう・いわゆる書状のサイン)もつかった。だが、遠江の領地を狙う今川義元は謀略をしかけてくる。
まずは徳政令を出して遠江の領地を大混乱にして奪おうと考えた。
だが、おんな城主井伊直虎は時間稼ぎをして結局、領民や商人や百姓の身を守った。
商人などに徳政令免除書を発行したのである。
しかし、そんな井伊家もやがて今川家に城も領地も奪われる。
没落した時代に、今川義元が桶狭間で討ち死にし、武田家や徳川家の侵攻で今川氏真の今川家は滅びる。駿河や遠江の領地・井伊谷をあらたに支配したのは徳川家康だった。
井伊直虎と義理の息子・虎松(のちの井伊直政)は龍譚寺に身を寄せるしかない。
そんな中おこったのが桶狭間の戦いである。
尾張の新興勢力である織田信長に今川義元は討ち取られた。
そして駿河の今川家は滅んだ。
直虎の母親の千賀(祐椿尼)は井伊家の山城で壁に向かって号泣した。旦那の井伊直盛が桶狭間の戦いで戦死したからだ。……もはや井伊家に男子はいない。…おわった…
それは絶望だった。しかし、龍譚寺から次郎法師が帰ってきた。
「母上!心配めされるな!この次郎法師が井伊直虎としてこの井伊家を継ぎまする!」
「次郎法師…」尼になった母親は涙を流した。「よう帰った。よう帰った!」



*****続く(刊行本または電子書籍に続く)*********
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