絵本ひとりぼっち

手作り絵本歴38年・ひとりぼっちのひとりごと

ごちそうさま!

2009-02-24 16:34:34 | 飲む・食べる
以前も書きましたが、娘は「好きな仕事」「会社の方針」に惹かれて、労働条件の悪さをかえりみず、「講師は全員外国人」の語学学校に就職しました。
最初の仕事場は実家からはるか遠くの山口県・・・親に借金してレオパレス一人暮らし(借金、ちゃんと完済してくれました)の貧困生活・・・一年で会社倒産・・・無給で我慢した数ヶ月の後、愛知に戻ってきました。

会社は、食産業・教育産業などを幅広く持つG××社にもらわれて、なんとか元の名前でがんばっています。 それでも立て直すのは大変・・・相変わらずの悪条件だけど好きな仕事だからと必死で働く娘。(休日は不定期。帰りは終電。在宅中も仕事。)

そんな娘に初めてのボーナスが出て、なんと、日頃の感謝をこめてと、ごちそうしてくれたのです。 

ボーナスといってもお小遣い程度の額、しかもG××グループの商品券だったのですが、娘はG××社に対して「赤字続きで苦しいのに」とすっかり感謝感激・・・(いい娘でしょ・自慢・笑)。

というわけで、昨夜は娘が手配したG××社グループ店で蟹づくしのごちそうをいただいてきました。

突き出し、サラダ、刺身、てんぷら、焼き物、ステーキ、酢の物、茶碗蒸し、寿司・・・ぜーんぶ蟹。(酢の物の写真、なぜか撮り忘れ)



 

お腹も心も苦しいほどに満腹なひとときでありました。
ありがとう、娘。

安心な食べ物

2009-02-20 16:26:04 | 飲む・食べる
先日、家の近くの『あぐりん村』に行ってきました。

建物自体が、カナダでよく行っていた「ファーマーズマーケット」に似ています。 近隣の小規模な農家の方々が自作の野菜を並べて売っている感じ。 見栄えは悪いのが多いけれど、安くて新鮮で美味しい。

パン工房もあるらしく、焼きたてパンなどもあります。

コンセプトは「安全・安心」。 野菜には生産者の住所や名前が入っていて無農薬か低農薬。 パンの材料にもこだわっているらしい。 他にも自家製ジャムやおかず、家で普通に作ったようなまき寿司やいなりずしも並んでいました。


建物内の一角で、大分県産のドライフルーツを売っているオッチャンがいました。 いろいろ試食をさせてくれたので、珍しいドライトマトと生姜糖を買いました。 料理用のミイラのようなドライトマトではなくて、ほんのり甘く味付けされたお菓子風。 生姜は肉厚で甘すぎず、香りが強くて食べると体がホカホカしてきます。 

パンやドライフルーツはちょっと高めでしたが、野菜はビックリするような安値で、おまけにスタンプカードもくれました。 スタンプがいっぱいになると、隣りにある『ござらっせ』(天然温泉施設)の入浴券を一枚くれるそうです。
しょっちゅう横を通っているのに、「ござらっせ」にも「あぐりん村」にもほとんど来たことがありませんでした。 瀬戸(住所は愛知郡長久手町だけど)にまた良い名所を見つけました。


翌々日の英会話レッスンでは、奇しくも「食品の安全性」がテーマでした。
農薬、化学肥料、遺伝子組み換え、などの話で盛り上がりましたが、食物の安全性にこだわっているかと訊かれたとき、私は「自分の食べるものなら、多少不安があっても安いものを選ぶと思う。 子どもや孫には安全なものを食べさせたい」と答えました。

毒性のあるギョーザや、防黴剤たっぷりの椎茸など、明らかに危険なものは避けるけれど、どの程度までこだわれるか・・・というのが難しいところ。
そういえば、ジェーンは、私が気付かずに買ってしまった着色料入りのドッグフードは食べなかったなぁ・・・なんて、思い出しました。



去年は食品の安全をおびやかすような事件がたくさんありました。
どうか善良な生産者や取り扱い店がちゃんとしたものを提供してくれて、私たちが安心して感謝して食べられるような世の中になりますように・・・。



バレンタイン帰省

2009-02-16 01:00:21 | 家族
・・・というわけではなかったのですが、12日から14日、帰省しました。
ジェーンから目が離せなかったので、先月は帰れず、久しぶりの帰省。

12日はケア・カンファランス・・・母の介護のことで、ケアマネージャー・ヘルパー・民生委員・姉・母・私が、現在の問題点や今後のことを相談する会議でした。 

話し合いの途中で気付いたのは、私の気持ちが以前と随分変わってきていること。 母に対するイライラが少なくなっています。 妙なことですが、ジェーンを看取ってから、いろいろ自分自身の気持ちや考え方が変わってきているのです。
自分の手の中で、愛するものの呼吸が止まり鼓動が止まり生命が抜けてゆくときを体験したことが私に与えた影響だと信じています。

自分のことも含めて、そう長くもない人生、今、本当に大切だと思うことを一所懸命にやっていればいい。 どうしても思い通りにいかないこともあるし、そういうことに固執してイライラしたり後悔したりしても仕方ない。

おおらかとも思えるし、ちょっと無責任にも思えるかもしれないけれど、イライラすることから逃げるのではなくて、イライラを押し殺すのでもなくて、心からイライラが消えてゆくような生き方を、自分の心が求めているみたい。

85歳の認知症気味の母が、同じ失敗をすることは当たり前のこと。
それが周囲の人たちに迷惑をかけていることがとても哀しくて情けなくて、なんとかしなければ・償わなければ・ということばかり気にしていた私。

でも、母が屈託のない笑顔でがんばって生活していることが、人々に勇気や元気を与えていることもあるのだと気付かされます。 いずれは誰でも老いていき、朽ちていく、そのことに心のどこかで不安を抱きながら生きているのが人間。

自分がどうなっていくのかわからない不安や、どうなってもけなげに生きていこうという気構えや、まだまだ頑張れると思う希望や、すべてをひっくるめて受け入れて、まずは自分を愛していかなければ、と思うのです。
・・・なんて言うと、ずいぶん立派な生き方みたいですが、上手に力を抜いて穏やかに生きていけたら・・・という、自分を甘やかすずるい考え方なのかもしれません。





そんなことには全く関係ありませんが、14日・・・バレンタインデーというのが、結構好きです。 男女にかかわらず私は以前からチョコをプレゼントしたりします。 今回もささやかなチョコをいくつか用意して、母や姉や友人やヘルパーさんにもプレゼントしました。 

息子一家にも三人それぞれを思い浮かべて送りました。 写真のショーンが遊んでいるのは、小さなチョコが少し入ったオモチャです。

母が13日にデイケアで外出している数時間を利用して、IKEAに行ってきましたが、そこでも自分用に大好きなジンジャークッキーを買ってしまった甘党な私・・・。


14日の夜、瀬戸に戻ると、娘も生徒さんたちからプレゼントされたそうで、お菓子がいろいろ・・・

(写真は、一部です。まだまだあるぞ。)

ますます太りそうな予感・・・(笑)。




桜が咲いたよ・・・

2009-02-07 16:16:29 | 絵本
誕生日にCちゃんにもらった啓翁桜、満開です。
ジェーンの枕元に置いたときはツボミだけだったけど、ねぇ、咲いたよ、ジェーン。

ジェーンがいなくなって一週間。
できるだけ忙しく過ごすように努めています。 外出もして、掃除や片付けにもやたら力が入ります。
せっせと動いていても、「え?こんなときに?」なんていうタイミングで、急に涙が出てきます。 人と会っているときは笑っていたい・・・もらい泣きは見ていて辛いですから。


あれからの一週間・・・


絵本教室「みどり組」では、忙しくて来られないはずのメンバーさんたちも私を心配してちょっとだけ顔を見せに来てくれました。 私は彩色の終わった新作絵本のケシゴムかけ。

その後、仲良しのカルメンちゃん(日本人です)が、いつもより長い時間のランチにつきあってくれて、久しぶりに笑いました。

眼科の定期検診では、目が腫れあがっている理由を訊かれました。 ドクターも去年愛犬を亡くしたと話され、なぜかジェーンの犬種や大きさや年齢までカルテに書き込んでいました。 このドクター、目のことよりも患者の日常生活へのアドバイスに力を入れる方なのです。

英会話レッスンにも久しぶりに行きました。 いつもより集中するようにがんばりました。 雑談のとき、オーストラリア人の講師は、ジェーンが「good innings」だったと言いました。

獣医さんに、「子猫子犬サブレ」の詰め合わせを持って、お礼に行きました。
泣き出さないように用心してお礼を言うと、院長の目がウルウルしていました。 予防注射を嫌がって診察台から飛び降りようとしたこと、ダッコして点滴に通ったこと、毎月の薬をもらいに来ていたこと、・・・いろんな思い出がありますが、もう来ることもないのだと思うと、胸が痛くなりました。 最期まで、ジェーンにも私にも本当によくしていただきました。


名古屋絵本グループの例会では、一番簡単なポップアップ=スタンディングカードをみんなで作りました。 自己紹介用とグリーティングカード・・・みんなが私へのバースデイカードを作ってくれました。

去年の暮れに買ったのに、梱包したままになっていた浄水器もつけました。

接骨医にも行きました。 ジェーン介護中のひどい腰痛も、少しずつ治ってきています。 うつぶせのマッサージ台の顔の下にに敷いてあるペーパーナプキンが涙で濡れてしまいました・・・体がほぐれると、心までほぐれるみたいです。

今日は母のケアマネージャーさんからケアカンファランス(介護スタッフと家族との話し合い)の催促電話があり、来週の木曜日に帰省することになりました。 母のこと、忘れていたわけではありませんが、年末から帰省していないのに気付き、ああ、がんばらなくっちゃ・・・と思います。





こんなふうに忙しくしているうちに、だんだんと心が落ち着いてくるのでしょうね。
失恋から立ち直るときみたいに(笑)、ゆっくりゆっくり心を開いていくのでしょうね。

 

さよなら、ジェーン

2009-02-03 18:47:14 | 
1月31日(土)の朝8時過ぎ、ジェーンが天に召されていきました。



それまでの数日は体調が急激に悪くなってきて、私も熟睡できない日々でした。
心臓が悪いため、静かに寝かせて往診を何度もお願いし、点滴や注射をしてもらっていましたが、30日(金)の夜は異常なほど鳴きました。

ふだんは声が出ない子で、メマイで倒れるときだけ悲痛な叫び声をあげるのでしたが、その夜は度々叫び、そのたびにそばへ行ってスポイトで水を流し込んでやったりマッサージをしたりして落ち着かせていました。 二階の寝室は不便なので、居間のソファーで仮眠をとりながらジェーンを見ていました。

31日の朝、朝食の準備をしていたときの叫び声は、まるで私を呼んでいるようで、「ママ、ママ~」と言っているように聞こえました。 グッタリしているジェーンの頭を抱き上げて水や流動食を少し流し込んで、撫でていると、ずっと苦しそうに呼吸していた回数が急に減り、危ないと感じたので娘を呼びました。

鼓動を確かめながら呼びかけていると、数回手足を痙攣させて呼吸が止まりました。
私は涙や鼻水でグチャグチャになりながら、「ママここにいるよ。 Fもそばにいるよ。」と言った数秒後、激しかった心臓の動きが止まりました。 私と娘に撫でられながら、もう苦しそうではなく、穏やかな顔で逝きました。

先日からずっと、お祈りしていました。
「あまりひどく苦しまないように連れていってください。でも、私がそばにいるときにお願いします。」と。

望んだとおりの最期でしたから、神様に感謝しました。 
ジェーンの呼吸が止まる前に、ジェーンにも何度もお礼を言いました。 
うちの子でいてくれてありがとう。
長い間、幸せにしてくれてありがとう。 
苦しいのに我慢してがんばってくれてありがとう。 
ちゃんとママを呼んでくれてありがとう。
娘と二人で思い切り泣きました。

その日は、珍しく家族三人そろっていました。 夫は雨になる予報だからとゴルフに行かなかったし、娘は出勤前だったし。 

獣医さんに連絡すると、可愛い色のお花が届きました。
娘と息子が昔使っていたハンカチと私のお気に入りのハンカチを首に。
掛け布団代わりにしていた私の大好きなボーダーのセーターを体に。
きれいなピンクの新しいガーゼタオルで全身を包んでやりました。
 


ジェーンは瀬戸っ子だからと、瀬戸市の火葬場を探したら、隣の市にしか見つからず、仕方なく予約してみたら、事務所とは違って火葬場は瀬戸市だったのでした。
大きな観音様が立っているきれいな墓地。
火葬場へ行って帰ってくるまで、雨になるという天気予報を裏切って、不思議なほど暖かく穏やかに晴れていました。

 

何もかも承知していたようなジェーンの、親孝行な最期でした。
葬儀もお墓も断って、お骨だけかわいい骨壷に入れてもらってきました。
ジェーンが走り回っていた庭に、かわいいお墓を作るつもりです。




その後、私はわざと一所懸命忙しく家事をしたり絵本を描いたりしていますが、すぐにジェーンを探してしまいます。 物音がしたらジェーン部屋を見に行ったり、名前を呼んでみたり。 家や車の中に、まだジェーンの匂いが残っています。

居間に座ると、散歩の催促をするジェーンが首をかしげてベランダから覗いているような気がします。 
外出先から急いで帰るクセがついていて、急いで帰ってきたら、門のところにジェーンが迎えにきているような気がします。
玄関ドアにもたれて座っていることが多かったので、玄関ドアをそぉっとゆっくり開けるクセも。

親孝行だったし、ひどい苦しみから解放されたのだし、天国にいるはずの私の父親に会えただろうし、・・・悲しんでばかりいてはいけないとわかっていますが・・・悲しみというより、なんだか悪夢の中にいるようで、涙の沁みる腫れた目をしてフラフラしています。 



さよなら、ジェーン。
また会えるときまで、ママはがんばる。