GREEN ROOM

読書、映画鑑賞から街中で感じたことまで

飲んだ翌朝

2005-04-09 09:07:07 | つれづれなるままに
二日酔いまでいかなくても、流石に食欲はない。そんな時はお弁当作りが苦痛だ。
作り置きのじゃがいも、ごぼう、蓮根、人参、鳥肉の煮物。
まとめて焼いて冷凍してある鮭。
あと一品がなかなか作る気にならない。しかし物足りない。
そんな時は炒め時間が短いホーレン草とベーコンと卵炒め。なんとか彩りが調った。
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仏具新製品

2005-04-03 15:22:40 | 仏具屋店員のひとりごと
私の勤める仏具屋は現代仏壇の取り扱いは少ない。
でも最近入った新製品はなかなかいいかも。
仏像はあくりるに入っているから汚れなさそうだし。
左にあるのは「おりん」で真ん中に立っているのは「おりん」をたたく棒だ。
一瞬なんだかわからない。一体なんでこんなデザインが出来たのであろう。
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仏具屋に勤めて

2005-02-19 13:20:26 | 仏具屋店員のひとりごと
仏具屋に勤めて2年半が過ぎた。
それまで一度も足を踏み入れたことがない上に実家にも仏壇がなかったので、新鮮なことばかり。
お線香やローソクを買いにくる人が割といるのにも驚いた。以前に比べれば、相当減ったようではあるが、毎日使っているような方は定期的に来店するので顔なじみにもなる。
あとは若い人でもよその家に持参する進物用の線香を買いにくる人も多い。
他には数珠の修理の人や、お位牌を作りにくる人などがいる。お仏壇となるとそうしょっちゅうではないふが。
お位牌は注文を受けた後、上の板の部分だけをとり(分解できるのにも驚いた)、文字書き屋さんや、文字彫屋さんに送る。
今となっては多少慣れたことでも、暫くの間は毎日が新鮮であった。
私が好きであり、重要な(?)仕事のひとつでもあるのが、お客様とのおしゃべりだ。年輩の方が多いので街の歴史の勉強になったり他のことでも教えられることがとても多い。そして元気なおじいちゃんおばあちゃんを見るとこちらまでパワーを貰ったようになれるのが嬉しい。
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トニー滝谷

2005-02-19 12:58:29 | 映画鑑賞
同じ学校の卒業生が製作に関わっている事からこの映画を知り、久しぶりに新宿での映画鑑賞。
殆ど、イッセー尾形と宮沢りえの二人芝居。
原作はまだ読んでいないが、村上春樹の雰囲気は感じられた。
映像としては光と影の具合がとても綺麗で好きだった。
構成も舞台のようでありながら、映像でしか表現出来ない部分も多く、しかし、変に最近の技を使っていないのが良かった。
音楽は坂本龍一。
日常のようでありながら、異空間に入ったような時間を過ごした。
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RINPA

2004-09-27 14:59:35 | Weblog
前売を買っていたらいつの間にか期限が迫っていたので、雨の中竹橋まで行く。私は東京国立近代美術館が初めてだったので「RINPA展」だけでなく、常設展も楽しむ事が出来た。
二つ合わせるとかなりの作品量で分野も多岐に渡るが、月曜で雨な事もあり、人が多すぎず、ゆっくり観る事が出来た。(混でいたら慌ただしく眺めて混乱してしまうのだ)
又、四階の休憩室からの眺めもそれ程高くなくとも良い景色であった。晴れていたらより綺麗であろう。
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ヤクルトファンになった訳

2004-09-12 15:56:03 | つれづれなるままに
最近の球界の問題は、野球に興味の無い人達までが成り行きに耳を傾けている程である。私は特に熱心と言う程ではないが、物心がついた頃からのヤクルトファンである。理由は単純で神宮球場の近くに住んでいたからだ。

そのせいかどうか知らないが、夏休みに通っていたラジオ体操は、毎日ヤクルトがもらえた。しかも最終日はジョアだった。 子供にとってはそれが大変な喜びであった。しかも皆勤賞になるとヤクルトの帽子や下敷きなどグッズもかなり貰える。 何故かジャイアンツモノも紛れていたが、ラジオ体操がファンを続けるきっかけの一つであったことは間違いない。

ファンクラブには入らせて貰えなかったので試合はそんなには観にいかなかった。しかし神宮外苑はよく遊んだ場所であり、夏と言えば家から見える神宮の花火大会であったから親しみも大きかったのだと思う。そしてなんと言っても大人になって印象深いのは神宮球場で住み込みのバイトをしていた友人宅に泊まった時に、月明かりのみの球場に入ったこと。 映画のワンシーンのようであった。

そんな私は真の野球ファンと言えるかどうか解らないが、古田選手も最初から好きであったし、早く試合に熱中できるような状況になって欲しいと願うばかりである。
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昭和天皇

2004-09-10 17:11:11 | つれづれなるままに
平成の始め頃に発刊された「目撃者が語るシリーズ」の「昭和天皇」を読んでいる。(他に太平洋戦争など)  昭和天皇に直接会った人達のインタビュー等が載っているが、なかなか天皇に親しみを覚える内容だ。

ところで第二次ベビーブーム世代の私は天皇にそこまで強い思いがあるわけではないが、子供心に教育に於いて考えさせられた事があった。

私の通っていた小学校は天皇家が利用する原宿駅までの通り道にあった。 皇室が駅を利用する日は警官が数メートルおきに立っており、通学時には「今日は天皇陛下様が通るの?」などと話しかけていた。 しかも5年生の位までは通る時間は体育の授業が出来なく、通りに面したマンションのベランダでおむつを干していた部屋は片付けるように指導があった事も・・・。

ある時から規制が緩和され、偶然に私のクラスは体育の授業にあたり、皆で手を振ったのを覚えている。(どの車に天皇陛下が乗っていたのかは解らなかったが)又、運動会等では国旗掲揚があり、君が代斉唱もしていた。音楽の授業では君が代の「君」は天皇であると習った。 子供の頃は公立の学校は全てそうだと思い込んでいたのである。

ところが、中学入学を境に引っ越した私は驚いた。入学式で君が代を歌った時、地元の小学校出身の生徒が「初めて歌った」とか「いきなり言われても歌詞がわからない」と話していたのである。私も「知ってて当たり前だと思った」とはさすがに言えず、「大相撲とかオリンピックで流れているじゃん?」と言うに留めておいた。 そこの中学は式の時は国家斉唱があったが、国旗掲揚はなかった。

高校、大学で歴史的な背景を学び、色々な考え方があると解ったが、私の中ではやはり最初に学んだ小学校の考えが強く影響していると思う。 しかしながら、自分自身できちんと意見を持てれば良いが、行く学校によってそこまで違う考えさせられるものがある。
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登龍の酢豚

2004-08-29 13:04:35 | 麻布十番
麻布十番の中でもよくテレビで観かける中華料理の店。
普段はあまり酢豚が好きではない私だが、ここのは大好き。

昨日、出張マッサージに伺ったお宅で出前で登龍の酢豚弁当と餃子をご馳走になる。
餃子もニンニクが入っていないからマッサージ前でも安心。

中華麺もナカナカだが、色んな味を食べた訳ではないのでどれがお薦めかはまだ解らない。
すこしずつ制覇していこう。
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麻布十番納涼まつり

2004-08-22 16:13:40 | 麻布十番
今日が最終日。仕事が6時に終わるのでそれから繰り出す。行きたくなくても職場から駅までの間が祭り会場なので通らざるを得ない。

初日は帰り道にビールとおつまみ、そしてピカピカ光るグラスに入ったテキーラのショット。

昨日は十番の某お店で祭りでおつまみ買って宴会。

年々人が増える一方で昔から遊びに来ていた近所の人は来なくなっている。

まあでも国際バザールや各レストランやバーの参加のお陰でお酒と料理のアイテムが多いのは嬉しい。

さて今日は何を食べよう。
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酒豪に至るまで。 コラム「ケロイズム」に関連して

2004-08-18 12:38:57 | つれづれなるままに
今でこそ飲兵衛の私であるが、勿論「母乳代わりにお酒を飲んでいた・・・・・」なんて事はない。中学まではお菓子の香りづけのお酒にさえ敏感に反応し避けていた程である。

ある年、私の通う田舎の高校でも飲み会は行われることとなった。普段は厳しい家庭だが、なぜか飲み会は門限をいつもより2時間遅い9時に延長していただき許可がおりた。 ただ飲酒未経験であり、当時はうら若き乙女であったことは母も心配したようだ。そこで「飲み会の前にアルコールが大丈夫か確認しないとね。」と当時流行っていた缶チューハイを山ほど買ってきたのである。

初体験の日。酎ハイと共に食事は進みどんどん空き缶が増えていくものの私には一向に変化が現れない。しまいには遊びに来ていた友人を見送りに駅まで自転車を往復させたのである。  母の心配は杞憂にとなり、飲酒練習は家計を圧迫するだけで幕を閉じた。

そんな母にもう一つしてやられた事(?)がある。やはり高校生の時だった。風邪をひいて声が出なくなった私に「ブランデーを一口ストレートでのどを通すのがいいのよ」と勧めた。その日の我が家には、うちで買った安モノと戴き物の高級品の二種があった。風邪の治療だというのに「最初に口にするのが安モノでは将来困る」と高級なブランテーをあてがわれたのだ。ブランド名は忘れたがとにかく香り高く美味しかったことは記憶している。 お陰で私はビールよりも先に洋酒が好きになり、20代前半まで「やっぱりストレートに限るわ〜」と可愛げのない飲み方をしていた。(三十路を超えた今ではロックにチェーサーたっぷりだ)

その後、バイトを始めてから仕事帰りのビールが美味しいと感じるようになり、ワインも好きになった。社会人になって嫌いだった日本酒、焼酎の味も覚えた。数年後、ジンやウォッカもロックで楽しむこととなる。

酒豪の血はどうも母方のものらしい。今でこそあまり飲まないが「若い頃はボトルキープって意味がわからなかったわ」と発言したのを聞いたことがあるから相当なものであったのであろう。(仲間で飲んでお酒が残る経験がなかったようだ)

母方の親戚の冠婚葬祭は殆ど飲み会だ。この前の従妹の結婚式の時もわが親族のテーブルにはビール、日本酒、ワイン、ウイスキー各種に瓶やらグラスやらが空けられており、他の人達には驚きの光景であったと思う。

そんな血をひいているものだから一人暮らしを始める時には「お酒は飲んでもキッチンドランカーだけにはならないように。」とだけ言われ、ハタチそこそこで夏の終わりに酷いビール腹になった時には「ビールでなくウイスキーにしたらそこまでならないでしょ」と諭された。決して「辞めなさい」とは言われない。そんな十数年であった。

しかし先日久しぶりに実家に帰った時の事。あまりにも私が成長していた為か「健康の為に少しお酒を休んだら?」と初めて口にされたのである。さすがの私も少し反省した。・・・が、
その後の食事の際「あなたが帰るからビール冷やしておいたわよ!」

・・・やはり私の酒好きは母によって形成されたようである。

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