MID NIGHT-XXX

~眠れない夜のために~

始まりの夏 ~KYOSUKE HIMURO LIVE 2014.7.20横浜スタジアム

2014-07-21 16:00:00 | Weblog







伝説というものには大きく分けて2つのそれがある。

ひとつは、伝説と呼びたい程の凄みを感じるモノ。

もう一つは、確率の壁を超えたような現象が作り上げるモノ。

そして、その現象の中には、

その壁さえも超えた天変地異をも味方につけるという、

"伝説の最高峰" が存在しているのだ。

そして、その最高を、

2014年7月20日、横浜スタジアムで、

氷室京介が完遂させた。



氷室京介ライヴツアー全50本の最終日、

『KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR

  GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION 』 横浜スタジアム2DAYS。

その2日目に当るオーラス、7月20日に、

氷室京介、最後と言われたライヴにして、新たな伝説が刻まれた。

それは来年のリベンジを余儀なくされるという、嬉しい誤算を添えて。


前日の危うさを覚える空とは違った微妙な晴れ間見える、

夏の野外には最適の、、その場所はビューティフル・ラスト・デイ。

薄らとした日差しが、憂い(愁い)の時を待つオーディエンス達に、

ひと時の安らぎを与えたのだった、が…。



■横浜スタジアム15:00入場。


昨日は、開演前での演出として流れていた、

氷室の楽曲とリンクする自身のヒストリのメモリアル・スライドだったけれど、

2日目の20日は、開演時間の17:00頃から流れ始めて、

席に着席した誰もがそれを観れるという、粋な演出からスタートした。

氷室京介の様々な軌跡を語る、

まさに、メモリーズ・オブ・ブルーを見るかのような、

そんなフォトグラフで構成された数十分間程のショーだったが、

「KISS ME」で映し出された写真では、思わず顔がニヤケタ人も多かっただろう。

そう、氷室が高校くらいの時に仲間達と撮ったと思われる集合写真のことだ。

ニグロパンチやリーゼントでキメタ少年たちのその "中央" に、

斜に構えた一人の若い衆、、もとい、

剃り込みリーゼントでキメタ氷室京介がいた。

あの形(ナリ)をしたメンツの中で中央に居座って、

その氷室を囲むように納まった写真は、まさに納会よろしく、

「親分 氷室京介」を思わせる、そんなヤバイ一枚だったかも知れない。

BOØWY時代に出版された「大きなビートの木の下で」にも綴られているけれど、

高校時代の氷室は、制服がブレザーの学校に入学したとかで、

中学の時の学ランとは、その納まり方が違うという違和感を拭う為に、

裸の上にサラシを捲いて、その上にブレザーを羽織い、

地元群馬でシャガンデタというのは有名な話だが、

なるほど、、やはり少年氷室は、そうとうなワルだったなと頷かせた、

そんな納得の証明写真だった。

『MISSING PIECE』の時には、

ミュージシャン氷室京介としてのこれまでのキャリアの写真が映し出されたが、

イントロが始まったと同時に三塁側上手方向から太陽が光を覗かせたのは、

或いはこれから始まる史上最強のショータイム、、

そう、天変地異をも味方につけるライヴという、

それは伝説のライヴの序章であったのかも知れない。



■18:00過ぎ、ライヴ開始 -不運-


そのライヴは、昨日よりも坦々と進んでいっているように感じる。

その思いは多分、最後の曲、伝説の"Angel" 前に打ち明けた、

胸骨骨折の影響があったからなのだろう。

19日のMCで氷室は語っていた。

リハーサルの時に、いつものようにスピーカーに片足を乗せていたら、

その角の材質と、雨水と、そして氷室の靴裏の素材との相性が良すぎたらしく、

そのまま転倒し、その鋭利な部分に胸を強打してしまったのだと。

昨日の時点では骨折はないだろうという判断を受けたと語っていたけれど、

その後レントゲンを撮ってみたら、胸骨骨折が判明したという、

まさに最後にして最悪の状況を抱え込まされることになってしまったのだ。

https://twitter.com/Hondank/status/490654060089843712



■迫りくる伝説


中盤の『Rock'n'Roll Suicide』くらいからだろうか、

まるでロックン・ロールの狂気達が、

スタジアム上空を浸食するかのように空色が黒味を帯びていく。

それでも、降りそうで降らないという絶妙な天候が続いたのは、

或いはこれから起こる伝説とに、天が極度の落差を与えるべく、

俺達を「なんとか持つだろう」という根拠無き楽観的感情に誘導して、

粛々とその伝説の仕立役にへと育てていったからなのかもしれない。

しかし、アンコール前の曲くらいから、

氷室が立つ舞台の後方が光り始め、ついに雨粒が落ち始める。

その雷光は、声を刻むごとに次第に広がっていき、

やがて横浜スタジアムから見える高層ビルの頂上が霧のような雲に覆われて、

みるみるうちに、その高き誇りを誇示出来ぬ姿にへと朽ち果てていった。

そしてその状況の中で始まってしまった、

そう、アンコール1曲目の、、、

『NORTH OF EDEN』。

バックスクリーンには神懸った楽曲の象徴でもある、

ダブステップに合わせたノイズのようなアートがスクリーンいっぱいに映し出されていたが、

まさに、目の前で天が起こしている、その雷光ともリンクしながら、

俺達に、、そして氷室京介に、最後を飾るに相応しい最高の演出を与えたのだ。

それが伝説であるのは、それが最後のライブで行われたことだから。

氷室京介が「持っている」といわれるのは、

その楽曲が『NORTH OF EDEN』であったことだから。

そしてその会場には、この楽曲のもう一人の首謀者、

作詞家「森雪之丞」氏も見守っていた。

それは幻影ではない、夢物語りでもない、、そこにあったのはリアル。

全ての情景を味方につけた劇画のような話が目の前で起こっている。


「あの夏が終わったこと 教えにくるのさ 今でも」


参加した全てのオーディエンスが、

永遠にこの夏の日を忘れないと誓った、

それは『NORTH OF EDEN』が魅せた、最狂の夏だっただろう。



■伝説へのカウントダウン


狂ったような雷光の中始まった、

アンコール2曲目、『THE SUN ALSO RISES』。

そのスクリーンに映し出されていたのは、

黒い雲が流れ、やがて青い空が見える、、

まさに楽曲の世界感に合わせたセンスだったのだけれど、

もはやその映像は、楽曲だけではなく、

その場所、その光景、、、

それは俺達の祈りをも現わしたかもしれぬ、

そこにある全ての空気に「完全なる一致」を覚えさせたのだ。

氷室の後ろで雷光が瞬きするたびに、

その光りを追うかの如く時間差で驚かせる雷のとどろきが会場全体に響き渡って、

『THE SUN ALSO RISES』という穏やかな時を刻むバラードに、

幾ばくの安堵感も許さない驚愕の世界観を与えつづけた。

或いはそれは氷室京介のキャリアにして、

ステージで響く爆音が初めてその戦いに負けた瞬間だったのかも知れない。

と、その時だった。

演奏が終わるとすぐ、舞台の電球が物凄い雷光と共に、

「バチッバチッバチッ」とショートしたような連打音をとどろかせ、

いよいよこれは不味いなと、

そこにいた全ての人達に"緊急避難"という危機感を抱かせた。



■待機する伝説


係員の誘導のもと避難した俺達は、

それぞれのゲートをくぐり考えただろう。

中断したなら、これは予定にはない何かを演ってくれるかなと。

2011.2.12-横浜アリーナの時に魅せた狂喜乱舞のドリーミンだろうか、、

いや、2回目はない。

ならば大穴で未発表曲『ENEMY'S INSIDE』だろうか、、

いや個人的な期待が大きすぎる。

そんなことを考えている中、何度もアナウンスは繰り返される。

「横浜スタジアム周辺で落雷が発生している為、コンサートは一時中断します。

 またお帰りの方は、係員の指示に従ってください」

まあ、あの状況ならば帰る奴がいたとしても仕方がない。

実際のところ自然発生している雷なんていつ止むのかも分からないわけだし、

時刻はあと少しで21:00になろうとしている。予定がある奴だっているだろう。

と、その長期避難を覚悟していたのも束の間、

思ったよりも早く再開のアナウンスが流れ、

数万人という人間が一斉に各自の席に戻り始めた。

ゲートからスタンドに入る直前で、その空を見上げる。

俺達は戦闘態勢に入るかの如く、脱いだはずのカッパをまた羽織る。

まだ止まぬ雨の中に身を置きながら席に着く。

スタンドから見えるのは、これだけの人間が集まっているのに、

全ての人が速やかに席に戻っているという、一つだけの光景。

誰一人帰った奴はいないだろうと思わせる満員の客席。

そこにあるのは是が非でもそのライヴを完遂させたい、それぞれの想い。

不図、アリーナ席が作られているエリアの右手方向を見渡すと、

そこには車椅子の氷室ファン達10人くらいが、

皆カッパを着て再開を待つ姿があった。

前後一定の間隔を空けて舞台の方向を見据えるその様は、

まるでF1レースのスタートグリッドにつく勇者のようだった。

全ての人達が俺達と同じように、、

いや、俺達よりもより一層の凄みを持つシルエットで、

その男の再登場を待っていたのだ。

そう、それは伝説のお膳立てが整った気迫覚える瞬間だった。



■そして氷室京介の登場 -傷だらけのANGEL-


「俺なりに、最後に無様な生き様を見せようと思ってしっかりやってたけど、

 この演出には勝てねぇや。もう何百回も歌ってきたけど、

 最高の、命懸けのANGELを贈りたいなと…思います!」


会場全員、狂ったような大声援の中、ラスト曲の『ANGEL』が始まる。

降りしきる雨は、もはや憎しみの雨ではない。

それは俺達の涙をも洗い流す、、

いや、それは俺達の感動の涙そのものだったのかもしれないだろう。

皆が拳を掲げてその歌を叫び、これが最後だと頷きながら、

それぞれの思いをぶつけた伝説のANGELだった。

そう、氷室京介の最後は、やはりこの曲でなければ駄目なわけで、

その最後が最強のANGELとなった伝説完遂の瞬間だったのだ。


2008.9.1の武道館で魅せた伝説後に、

氷室は「天使が舞い降りて来たね」と語ってくれたけれど、

2014.7.20-横浜スタジアムで観たその情景は、

舞い降りた天使が空に帰って行く、、

そんなエピローグにあった場面、、、

天使達を見送った、最後のANGELだったのかもしれない。


俺達は氷室京介に夢をもらった。

そして終わりだと思ったその夢は、

来年にリベンジするという嬉しい結末を残した。


それは天使が俺達に残した最高の贈り物。

それは、ANGELが氷室京介にもたらした、最高のエンディング。



2014年7月20日、伝説の横浜スタジアムから始まった新たな夏は、

俺達に氷室京介との再会を約束した。















          
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