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この数日間、その現実を自分の解釈で受け止めることだけを考えてて、
一切の涙さえも出なかった俺だったが、
ある人のツイッターを見て、声を出して泣いてしまった。
嗚咽を覚えるかのように泣きじゃくったのは小学生以来かもしれない。
(今日は部屋に独りで良かった…)
自分で自分の泣き声を聞いて恥ずかしかったし、
張り詰めた空間に響くその声を殺そうと、
ソファーに横になりながら、必死でクッションを顔に当ててはみたが、
その部屋で流れる『Claudia』のリピートと共に、
俺の感情もまた、とまらなかった。
スイッチが入っちゃったんだろうね、その人の呟きで。
まだその人が来るとは分からないけど、
必死にリハをやり終えたであろう、
「気力任せの3日間だった。」という呟きから感じた情景が、
その人が次に呟くかも知れぬ言葉を俺に妄想させてしまったのだ。
『(今から横浜に向かいます)』
たかが妄想なのに、
そんなドラマを感じてしまったらもう終わりだ。
あとは張り詰めてた感情が壊れるだけ。
その人は今までの一切、今回の件に触れてはいない。
今現在だって、一切。
とことん健気だよね、D氏。
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