「CLAUDIA」にあって「BANG THE BEAT」に無い物とはなんだろうか。
それは、その曲にとっての「象徴的な音」だろう。
象徴的な演奏ではなく、音。
例えばCLAUDIA。
「嘆きと同じ数の定めしかないなら」の「嘆き」の箇所で、
「ジャーン」と象徴的な音が入る。
この音は、CLAUDIAが持つ瑞々しいその世界観をより引き立てているだろう。
更にその世界観を引き立てているのが、
Aメロ全般に渡って聴こえる水面(みなも)が煌めくような音。
そしてライブでもおなじみの、あのキーボード音。
そう、サビの部分で氷室の歌声とハモルように奏でるあのキーボードだ。
こうして文字にすると、
まさにクローディアを魅せるにあたって、
ずらりと象徴的な音が並んでいるといったところではないだろうか。
しかし、そういった音がBANG THE BEATにはあまり見え無い。
メロディーは凄く良いし、
Aメロでのギターは今までの氷室には無い変わった感じの音だし、
サビ前のなだれ込むようなドラムも印象的ではあるが、
やはり聴きこめば聴きこむほど、
何か物足りなさを感じてしまうという感も否めないのではないだろうか。
しかし考えてみて欲しい。
それは逆に言うと、ライブで聴く生のBANG THE BEATは、
CLAUDIAのそれよりも、よりCDの音に近い演奏が出来るということなのである。
つまりは、「完全再現」という意味では、
CLAUDIAよりもBANG THE BEATの方がより忠実な再現で披露できるのである。
だとするのなら、
生で聴くそのBANG THE BEATの迫力に俺達は圧倒されることになるだろう。
もしかしたら、BANG THE BEATのアレンジとは、
ライブ演奏の完全再現に強いベクトルを置いたアレンジなのかも知れない・・。
Aメロのあの音を再現するギタリストのプレッシャーも半端無いとは思うが、
俺は期待している。
ところで、以前このブログにて、
「BANG THE BEATはCLAUDIAを超えた」と書いたことがあったが・・・
やはり、
CLAUDIAは・・
強かった。