MID NIGHT-XXX

~眠れない夜のために~

突き詰めればすなわち

2016-04-09 01:11:11 | Weblog

『俺達は氷室京介を卒業出来ない。』

最近各所で見るこの言葉だが、

これはスタッフ氏が考えたキャッチコピーなのか、

それともファンによるメッセージなのかは、

「俺達は知る由もない。」


言葉というモノは、

たとえ同じ言葉を吐いたとしても、

その人間や、或いは背景により、

意味やイメージが変わってしまう。


先日、ツイッターに或る言葉が踊っていた。


「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい

 I'd rather be hated for who I am, than loved for who I am not.

 カート・コバーン Kurt Cobain」



これはありのままの自分を愛してもらえなかったからこそ出た言葉であって、

その真意を汲み取れず、額面通りの活字だけで解釈したのでは、

「ありのままの自分が憎まれたとしても問題はない」

という開き直りにも似た結論に着地してしまうだろう。

あくまでも欲しかったのは愛であり、

決して憎しみではないということを言っているのにも関わらずだ。

各人の解釈によっては、手に入れることの出来なかった愛に対しての、

或る種の愚痴みたいなものに感じる人もいるだろう。

話がずれたが、何を言いたいのかと言うと、

冒頭のコピーにある言葉のように、背景がややぼやけたまま、

俺達にその真意を感じろというのはちょっと無理があるのではということなのだ。

多分、これで良しとした人は、

言葉というものに対しての背景に重きを置くことなく、

言葉に宿るインスパイアのようなものや、或いはそれっぽさ、

或いは単純に、"己の思い" だけでそれを良しとしたのかもしれないだろう。

そう、

もし俺と同じように、その言葉に違和感を感じていた人がいるとして、

それでも尚そこに折り合いを付けたいのならば、

まさにその "己の思い" の首謀者でもある、

その言葉を考えたスタッフ氏もまた、俺達と同様のセンチメンタルさがあり、

或る意味で、スタッフ氏にしてファンの代表を気取るようなそんな立ち位置で、

その言葉を送り出したのかも知れないと捉えれば良いのではないだろうか。


解釈を突き詰めることで自己完結出来る事。

自分で自分に折り合いを付ける事。

誰の為でもない、自分の為に、、

氷室京介という男に感化された己の為に幾ばくの矛盾も寄せ付はしないのだ。


そう、


俺達は氷室京介を卒業する気なんて、

更々無いのだから。




https://himuro-endless.com/




        


氷室京介=神 チンピラ ヤクザ 極道

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