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■本日10月11日 22:54-23:5放送!!!
日本テレビNEWS ZERO
『ゼロカルチャー HIMURO×NEWS ZERO』
http://www.himuro.com/news/index.html
先日の9日に届いた、氷室京介オフィシャルファンクラブ会報最新号、
『KING SWING No.38』。
もちろん話題の中心は、
9月8日に発売されたばかりの氷室京介ニュー・アルバム、
「"B"ORDERLESS」と、それを引っ提げてのライブ・ツアーに関してだ。
たくさんの写真、エピソード、そして読み応えのあるロングインタビューがある。
このインタビューは、先日放送されたラジオと被る部分もあるが、
それとはまったく別の内容を含んでいて、
思わず、「なるほど」と頷いてしまうことが、氷室の口から語られ、
かなり興味をそそられる内容となっている。
そんな中で、俺が最も気になったのは「NEVER CRY WOLF」に関しての話。
この曲の、「あそこの変化」を専門的になんていうのかは分からないが、
「剥がれた心で」の変化、そしてそこに入る前の1音等、
それらのアクセントが特徴的なこの曲のアレンジの殆ど(ほぼ100%)を氷室が担当したとか。
また、作詞をした松井五郎氏の想いを、氷室は聞いたわけではないのだけれど、
「男のセンチメンタリズム」という言葉を引き合いに出し、
「氷室が想う松井氏の想い」を語ったところに、
BOφWY時代から変わらない、
「氷室京介のロマンチスト」を感じたという人も多いことだろう。
そして、そんなインタビューの最後に氷室はこう言った。
「これ、好きですしライブでもやりたいですけど、出来ないかも知れないですね」
・・・NEVER CRY WOLFをライブで出来ないかもしれない・・・
これは聞き捨てならない発言ではないだろうか。
「やらないかもしれない」ではなく、「出来ないかもしれない」と言ったのである。
「やらないかもしれない」という言い方が、
単なるその時々の気まぐれ的な感情を含むものだとするならば、
「出来ないかもしれない」というのは、何か物理的な事情という、
絶対に崩せないような物を含んでいる、、と、考えるのではないだろうか。
つまりは、「やりたいけど出来ない」という、その思いにに反した事情だ。
「ネバー・クライ・ウルフは出来ないかも知れない」
果たして、その事情とは、一体なんなのだろうか。
いくら氷室をサポートするバンドメンバーのレベルが高いとは言え、
CDでの世界観を必ずしもライブで再現出来るとは限らない。
例えば、名曲「DISTANCE」。(アルバムI・DE・Aに収録)
2007年に開催されたライブ、
「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 ~ IN THE MOOD」ツアーの前半で聴いたその演奏は、
チャーリー・パクソン氏のパワフルなドラムには合わないと感じた。
ちょっと主張しすぎというか。
ディスタンスの演奏に関しては、パクソン氏の前のサポート・ドラムス、
永井利光氏(GLAYのサポートドラムス)の方が合っていたのでは?と言うこと。
もし、仮に、そう言った世界観の違いを重んずるところから、
「ネバー・クライ・ウルフは出来ないかも知れない」と言ったとするのなら、
それは一度ライブで披露してみて、そして、
俺たちの反応を見るというのも、ひとつの術なのではないだろうか。
「NEVER CRY WOLFはライブでやりたいけど出来ないかも知れない」
この言葉を聴いた誰もが、
「その事情」を知りたいところだろう。
■本日10月11日 22:54-23:5放送!!!
日本テレビNEWS ZERO
『ゼロカルチャー HIMURO×NEWS ZERO』
http://www.himuro.com/news/index.html
先日の9日に届いた、氷室京介オフィシャルファンクラブ会報最新号、
『KING SWING No.38』。
もちろん話題の中心は、
9月8日に発売されたばかりの氷室京介ニュー・アルバム、
「"B"ORDERLESS」と、それを引っ提げてのライブ・ツアーに関してだ。
たくさんの写真、エピソード、そして読み応えのあるロングインタビューがある。
このインタビューは、先日放送されたラジオと被る部分もあるが、
それとはまったく別の内容を含んでいて、
思わず、「なるほど」と頷いてしまうことが、氷室の口から語られ、
かなり興味をそそられる内容となっている。
そんな中で、俺が最も気になったのは「NEVER CRY WOLF」に関しての話。
この曲の、「あそこの変化」を専門的になんていうのかは分からないが、
「剥がれた心で」の変化、そしてそこに入る前の1音等、
それらのアクセントが特徴的なこの曲のアレンジの殆ど(ほぼ100%)を氷室が担当したとか。
また、作詞をした松井五郎氏の想いを、氷室は聞いたわけではないのだけれど、
「男のセンチメンタリズム」という言葉を引き合いに出し、
「氷室が想う松井氏の想い」を語ったところに、
BOφWY時代から変わらない、
「氷室京介のロマンチスト」を感じたという人も多いことだろう。
そして、そんなインタビューの最後に氷室はこう言った。
「これ、好きですしライブでもやりたいですけど、出来ないかも知れないですね」
・・・NEVER CRY WOLFをライブで出来ないかもしれない・・・
これは聞き捨てならない発言ではないだろうか。
「やらないかもしれない」ではなく、「出来ないかもしれない」と言ったのである。
「やらないかもしれない」という言い方が、
単なるその時々の気まぐれ的な感情を含むものだとするならば、
「出来ないかもしれない」というのは、何か物理的な事情という、
絶対に崩せないような物を含んでいる、、と、考えるのではないだろうか。
つまりは、「やりたいけど出来ない」という、その思いにに反した事情だ。
「ネバー・クライ・ウルフは出来ないかも知れない」
果たして、その事情とは、一体なんなのだろうか。
いくら氷室をサポートするバンドメンバーのレベルが高いとは言え、
CDでの世界観を必ずしもライブで再現出来るとは限らない。
例えば、名曲「DISTANCE」。(アルバムI・DE・Aに収録)
2007年に開催されたライブ、
「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 ~ IN THE MOOD」ツアーの前半で聴いたその演奏は、
チャーリー・パクソン氏のパワフルなドラムには合わないと感じた。
ちょっと主張しすぎというか。
ディスタンスの演奏に関しては、パクソン氏の前のサポート・ドラムス、
永井利光氏(GLAYのサポートドラムス)の方が合っていたのでは?と言うこと。
もし、仮に、そう言った世界観の違いを重んずるところから、
「ネバー・クライ・ウルフは出来ないかも知れない」と言ったとするのなら、
それは一度ライブで披露してみて、そして、
俺たちの反応を見るというのも、ひとつの術なのではないだろうか。
「NEVER CRY WOLFはライブでやりたいけど出来ないかも知れない」
この言葉を聴いた誰もが、
「その事情」を知りたいところだろう。