最近、某人気グループが歌う、某アイスのCMソングが、
BOφWYの「CLOUDY HEART」に似ているとネットを賑わせている。
たしかに良く似ている。
曲に関してのパクリ騒動を検証するにあたり、
どこかしこのメロがこうこうこうでと専門的音楽知識の観点からそれを分析することがある。
しかし、音楽を聴く多くの人達は考えながら聴くのではなく感じながら聴くだろう。
専門的な観点からそれを測るというのも重要ではあるが、
同時にどう感じたのかというところも重要なのである。
今回のその曲が致命的にパクリだとそう感じるのは、
クラウディー・ハートと同じように、
「せつない歌」という、
同じベクトルを向いているところにもあるからなのではないだろうか。
先日、ジャパン・ハート代表、吉岡秀人氏のブログで、
『脳の折り込み現象』という言葉を使い、こんなことを語っていた。
「人の記憶というものは、過去に感じた心地の良い何かを、
意識しているつもりはなくとも未来で意識することがある」
みたいな話。
つまり、それが、印象に残った切ない歌として記憶している人が作る、切ない曲のイメージは、
意識せずともそれに近くなってしまう場合があるということだ。
が、、しかし、
その曲が、公の場で公開される作品になるというのならば、
それで納得するわけにはいかないのも事実だろう。
もちろん、そんなロマンチストな話ではなく、
欲に塗れた、もっと確信犯的なもとで作られた可能性もあるけれど。
いずれにせよ、「CLOUDY HEART」という曲が、
時代を超えても尚、こうして意識されてしまうということは、
氷室が作詞/作曲したこの曲が、
不動の名作である証しだということに他ならないということではないだろうか。
そして2003年にもまた、時代を超え、
歌詞を付け加えられ歌われたこの名曲。
氷室が代々木で魅せたあの涙の粒の輝きもまた、
心地よい過去の記憶として、
俺の中で在りつづけている。