MID NIGHT-XXX

~眠れない夜のために~

ラヴ・インスタント

2013-09-19 00:00:00 | Weblog


氷室は、『氷室京介ぴあ』で、

「俺はOCDの気があるので、自分の歌に対して細かいのね」

と言っていたが、

このOCDというモノは、

男ならば少なからず備えているモノでもあるだろう。

つまりは、そういう症状があるか無いかの白黒の問題ではなく、

誰にでもあることだという定義を前提とした上での、

その、「レベルの話」だという御話。

細かい事というのは、言うなれば拘りであって、

拘るからこそ納得出来るわけであり、

納得出来るからこそ、良い物が仕上がるという結果にも繋がりやすい。


例えば『氷室京介ぴあ』にあった、

「氷室京介100Q」の、クエッション・ナンバー90番、

"料理はしますか?得意料理は?"

という質問の中で出た話、、、即席ラーメンの話で、

「カミサンが作るよりも俺が作った方が子供たちも

 美味しい美味しいと言って食べてくれますね(笑)」

と語っていた氷室だが、

これは、まさに、

男の拘り、繊細さ、持って生まれた勘、

そんなことを証明するエピソードでもあると言えるのではないだろうか。


即席ラーメンという物は、

例えば、ノンフライではない麺であった場合、

茹でれば御湯が白く濁るわけで、

なるべくなら、カンスイの影響によるその濁りは少ない方がいい。

ならば、鍋に注ぐ水は多めして沸かし、

麺を茹でている最中での在るタイミングで、

適量にする為の濁り湯を捨てることが出来れば、

或いはその白濁を、僅かにすることも容易いだろう。

麺を箸で解す作業にしても、

早めに、そして積極的に解す方が良いだろうし、

スープを入れるタイミングも然り、、

パッケージのマニュアルに従い、3分経ってから入れるのではなく、

2分40秒くらいで入れて麺になじませることが出来れば、

或いは適度の旨味を吸収させて、

更なる美味しさを追求することも可能なのである。

また、そのスープが、液体のスープであったとするならば、

最後の一滴まで絞り出すようなイメージの方が良いだろうし、

その方法論として、鍋の上部で口の開いた袋を逆さにして、

そして、その湯気熱によって液体を流れやすくサラサラにし、

パッケージ内部に斑点の如くこびり付いたスープを、

一つの集合体に形成してから、

その引力の法則に従い垂れ落ちる旨味油等を、

残りの一滴まで出し惜しみすることなく絞り出すというやり方は、

我々繊細な男達にしてみれば、

或いは至極当然と言える御話でもあるだろう。

別に即席ラーメンに限らず、

男と言う物は、図らずしもそういう気が回るものであり、

上書きとは異なる学習をするものでもあり、

そうだからそうなのだという結論任せの単純思考ではない、

何故そうでなければならないのかという、

独自の考え、視点、ロジック、突き詰め、探究全てを、

立体的な形で見れるからこそ、

どんなアドリブにも対応出来るという順応さを披露出来ると言えるのだ。

こうして文字に起こしてみると、

い・か・に・も、メンドクサソウな話にも感じるけれど、しかし、、

呼吸をするかの如く、当たり前のように、

それぞれのシーンの中ででの振る舞いで仕立ててゆくというのだから、

それは凡人の視点で見れば、まるで自然的なアクションに過ぎないわけで、

すなわちそれは、

「器用だね」

の、一言で評価されるのが、

或いは、一般的な御話でもあると言えるだろう。

先にも述べたように、「勘」だとか、或いは「センス」だとか、

何かそういった天性の物が備わっているというのが、

男の特徴の一つでもあると言えるわけだけれど、

ましてやそれが、自分の拘る物であれば、

そこに一切の妥協を許さないのは当たり前であり、

すなわちそれは、

「OCDの気が無い氷室には魅力が無い」と結論づけても、

決してそれは大げさな話ではないという話にも繋がるのである。


そう、

氷室京介の拘りを認めることが出来ること、

それが氷室の音楽の本質を感受出来ることでもあるという、

言わずもがなの話でもあると言えるのではないだろうか。












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