氷室京介の作詞に関して思うことがある。
以前ポッドキャストで久しぶりの作詞「Be Yourself」に関して、
歌ってて歌詞に違和感を感じたと語った氷室だが、
そんな氷室が作詞した曲の最高峰は・・
「ミス・ミステリー・レディ(Visual Vison)」ではないだろうかということ。
メロディーと共に、これほどまでに絵になってしまう歌詞、
そして、誰にも真似のできない歌詞というのも他に無いのではないだろうかということ。
歌詞というのは色々な表現の方法がある。
その情景をいかに比喩的に伝えるか、、
まるで聴き手に謎解きを投げかけるような「遠回り感のある歌詞」や、
或いは、EASY LOVEに代表される「孤独は初めから『仕掛けられていた』のに」のような、
言葉自体は単純ではあるが、前後の言葉との組み合わせにより、
そういう使い方もあるのかと、思わず「上手い!」と唸ってしまうような歌詞、
或いは、普段の会話ではあまり使わない難しい日本語、、
古い日本語等を用いた、「知的感を感じる歌詞」、
そしてよくあるストレートな歌詞、、等々。
しかし「ミス・ミステリー・レディ」のそれはこれらのどれにも当てはまらない。
が、どの表現方法よりも圧倒的な雰囲気を醸し出している。
作詞というものが言葉の遊びだとするのなら、
本を読んでいる人には敵わないだろう。
色々な言葉、比喩法をいわゆる「データとして」頭の中にストックし、
その時々に合った言葉を引き出す、
このやり方には敵わない。
しかし、ミス・ミステリー・レディのような歌詞ならばどうだろうか。
これの場合は、そういう「莫大なデータを用いた言葉遊び」よりも、
氷室本人のセンスの方が重要になってくるのではないだろうか。
今の氷室はミス・ミステリー・レディのような歌詞に興味はないだろうし、
それはBOφWYであったからこその歌詞だったということも分かっていることだろう。
しかし、今一度、
「氷室京介にしか出来ない言葉遊び」
と言う物を見てみたいと思っているのは、きっと俺だけではないはず・・・。
「ミス・ミステリー・レディ」
それは、氷室京介がBOφWYで誇示した、、、BOφWYで残した独特の世界観。
そして、あれから数十年経った今でも、
その世界観は、
ずっと、
俺を、
支配し続けている。