BOφWYの元マネージャー、
土屋浩氏が亡くなった。
俺が最後に土屋氏の活動に触れたのは、
今から数年前のラジオ番組で、
ベースを弾くお笑いタレントの、はなわ氏と共に、
BOφWYに関して熱く語っていたのを聴いたのが最後だった。
土屋氏はBOφWY関連の執筆物等でもお馴染みで、
時に「紺待人」というもう一つの名前を使い、
そのヒーロー達のことを書き綴っていた。
もちろん、マネージャーである以上、
ある程度の脚色はあったかも知れないが、
読んだ人ならばお分かりだろうけれど、
その読み物に絶対に無くてはならない、
BOφWYへの愛情という物は強く感じ取れたことだろう。
今回は、そんな土屋氏への哀悼の意を表する意味も含め、
BOφWYファンの間ではあまりにも有名な著作物、
そして土屋氏、、いや、紺待人氏の代表的な執筆本、
『大きなビートの木の下で』より、
5人目のBOφWY土屋氏が残した "あとがき" を掲載します。
翌日に読んでもらいたい、ささやかなあとがきたち
「BOφWYの本を出さないか」と言われて、僕は初め無条件に断りの返事を入れていた。
だって、その依頼はあまりにも唐突すぎだし、彼らの膨大な物語を考えると、
尻込みしちゃっても、さらにオツリがくるくらいだったから……。
僕はもう彼らと知り合ってずいぶんになるわけだけれども、
親しくなれば親しくなるほど、メンバー個人のいろいろなことが気になり始めていた。
だからBOφWYのことを考えると、
"ヒムロック"や"ホテイ選手"や"まっちゃん" "まっこっちゃん"の四つの個性がいつも先に立って、
どうしてもその四つがなければ、
BOφWYという一枚のパズルは完成しなかったんだろうなと思い始めていた。
ちょっと話は大きくなっちゃうけれど、僕は、もしかしたら日本って国のロックシーンに、
バンドって呼べるものは極めて少ないんじゃないかとずっと思ってて……。
例えば、作為的に作られたバンドには、いつだって、してはいけない音楽以外の香りが漂っていて、
いつも短命だし、売れている連中、そうでない連中すべてひっくるめてみると、
今度はボーカリスト=バンドの方程式が何にしても成り立っているんだ。
つまり、ボーカリストさえ認められていれば、バックでプレイしているヤツが誰に変わっても、
たいした影響や変化はない……。イマイチ淋しいよネ、それじゃあ━━。
僕の言いたいことは、もう分かってると思う。
「BOφWYはそうじゃないってこと」。
そして、だからこそこの物語を受けた時に、たったひとつ出した条件が、
「BOφWYになるまででいいですか?」だったわけなんだ。
夢は誰だって持っていると思う。
まっさらな夢、傾きかけてる夢。
歳をとるごとに、その夢ってヤツは次第に薄れ出し、
いつの間にか忘れさらなければいけないものになってしまう。
どんなに大きな夢を持っていた人でも、たぶん"大人"と呼ばれだすようになると、
ある時期が訪れたジェネレーションに向かって必ず、こう話してしまう。
「いつまでも夢ばかり見てるんじゃありません。もっと、今を考えなさい」
いつまでも夢ばかり追っているのは確かにいただけない話かもしれない。
けれど、幾つになったって、何をしていたって、例えそれが傾きかけた夢のかけらだとしても、
僕は誰もが大切に持っていなければいけないものだと思う。
胸を張ってそんなことを息子に話せる大人たちばかりになったら、どんなにステキなことだろうと思う。
そして、大きなビートの木の下に彼らは集まり、そしてとりあえずこの物語りは終わる。
大切なことは、そこから始まることと、そしてそのためのキップを彼らが手にするまで、
ずっと彼らが自分自身だったということ。
大きなビートは、誰にだってある。
きっと見上げた時、自分にだっていろいろなチャンスが訪れることに皆が気付くはずだ。
見抜かなければいけない。なるべくなら間違えてはいけない。
そして、その時を感じたら、いつだって自分らしくい続けようと思ってほしい。
氷室が、この取材の時、ポツリと話したツアー先での話を一番最後に書いておこうと思う。
それは、五十歳前後の男の人が、コンサートを終えた氷室と街角で偶然出会った時の台詞だ。
「久しぶりに夢を見れました。この年になって━━。どうもありがとう」
握手をしながら、氷室自身もその男の何倍ものありがとうを胸の中で呟いたと言った。
やっぱり、言い尽せないけれど、お礼は言っておきたいな━━×××
「メンバーの皆サン本当にどうもありがとう」
「ユイ音楽工房の糟谷さんを始め高橋さん、スタッフの皆サン、
ゾンビくん、ワンワンくん、協力どうもありがとう」
「そして、CBS・ソニー出版の神さん、慣れない僕を助けてくれてありがとうございました」
「デザインの三宅さん、それから加藤さん、
そうそう佐藤くんからはデートの時間まで奪ってしまって本当にごめんなさい」
すべての皆サンに感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、いつもダダをこねながら見つめ続けてくれた"Dear Mye"。
それからこの本を読んでくれたすべての人々にお礼をそえて、僕はペンを置こうと思っています。
Thank you very much!! Everybody!!
一九八六年 十一月十四日 新潟にて 紺 待人
今から、二十数年前に、
五十歳前後の彼から感謝の言葉をもらった氷室京介。
そして、氷室自身がその彼と同じ歳になり、
今も尚、あの頃と変わらずに夢を与え続けている人で在ること。
最近は何かに取りつかれたかのように、
軽々しく"夢"という言葉を口にする輩が増えているが、
もしかしたら、その思いの強さとは、
言葉という形ではない、
秘めた部分にあるのかも知れない。
そう、
氷室京介が今も尚、
そのステージに君臨しつづけていることこそが、
まさに、
無言で語る夢だとするならば、
そんな不屈な人を見て、
俺たちは何を感じ、そしてどんな夢を見るのか、、
言葉での促されではない、
自ら感じ取る、頑ななる思い。
"大切なことは、そこから始まること"
そうした夢なのかも知れないだろう。
ふと、そんなことを感じさせてくれた、
BOφWYの元マネージャー、
土屋氏のご冥福をお祈りすると共に、
あらためて、感謝の意を表します。
THANKS。
そして…
Good Bye。


































