『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[カンボジアで撃たれた話 in ベンメリア寺院 (1998年)]

2007-09-21 18:45:45 | 海の向こうでの冒険
☆元々、この文章は、初代「天才バカ板!」のエントリーでした。

 そのHPは、とあるカルト組織に目をつけられ、削除の憂き目に遭いました^^;

   ◇

・・・以下の文章は、私がかつて、「西尾幹二のインターネット日録・若手掲示板」に投稿したものです。

 どうしても、この『天才バカ板!』において、「政治ネタ」やら「ジャンプネタ」に追われ、「カンボジアネタ」を投稿する余裕がないので、こうして転載させていただいときます。

 「転載バカ板!」です^^;

 この頃、私は年齢を誤魔化していたので、多少、おみぐるしい点も御座いますが、それは愛嬌としてみてくだされ!

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 [カンボジアの話・プロローグ] From:ミッドナイト・蘭 /H15/07/14 02:23

▼私は、もうすぐ三十路なんですよ。

 でも、とりあえず、自由に書けるのが、こことおちょくり塾だけなので、ここで、カンボジアについて書かせて頂きます。

 でも、果たして、カンボジアの事を記していく事が、ここのサイトの発展につながるのかは分からない。

 でも、私は、十数回、カンボジアを旅してきて、あの国において、(まあ、大げさに言えばだけど)私達の最終の敵と考えていたのが、つい最近まで生きていたポル・ポトであり、ひいては、中共へとつながる事を考えれば、この「保守サイト」との関わりも少なくないかも知れません。

 最初は、十年程前に交際していた女性の父親に連れられて行き、彼の地を訪れました。

 一郎さんとも、三度ほど、行きましたか・・・。

 一郎さんは、自己主張控えめな文武両道の男なので、とても頼りになった。

 来年は、近所の共産党のおばちゃん連中を連れていかなくてはならない(おばちゃん連中に「共産党による虐殺の現実」を見せて、反共にオルグるつもりです^^)。

 てな訳で、次回から、ちょっとづつ、カンボジアの事を書いていきます。

 でも、私が書くのだから、「物語」形式になりますからね。

 また、旅行者には、「カンボジアおたく」が非常に多いのです。

 もしかしたら、そういった人々を呼び寄せちゃうのが恐いなあ。

 私も詳しいつもりだが、上には上が無数にいるからなあ。

 ちょうど、一昨日の産経に、カンボジアで亡くなった従軍カメラマン・一ノ瀬泰造の記事が載っていました。

 で、本日、先ほど、日本テレビの「ドキュメント03」で、同様の内容の番組をやっていました。

 昨日は、TBSの「ウルルン滞在記」の舞台がカンボジアでした。

 先週の教育テレビのアニメ番組「モンタナ」では、「アンコールワットは危険な香り」の副題で物語が展開していました。

 先々週辺りは、テレビ朝日で「鶴太郎のアンコール巡礼」みたいのを放送していた。

 私が、ここでカンボジアの事を記すのは、満更、みんなの興味を惹けなくないかも知れません。

 一つ、言っておきたいのは、私は多くの国を旅しましたが、長期滞在した国は、ほとんどありません。

 それは何故かと申しませば、あくまでも私が根付いているのは「日本」以外の何ものでもないからです。

 「日本」以外の国では住めないし、「日本」以外の国には住みたくないし、「日本」以外の国は、私にとって「旅」する対象にしかならないのです。

 これからのカンボジアについての話で、私はカンボジアの子どもに対し、格別の優しさを示します。

 それは、私が、所詮は「旅人」だからです。

 仮に、カンボジアに骨を埋める事になったら、私は、「優しさ」だけをあらわにするような無責任な事は出来ないでしょう。

 私が、「日本」に対し、「優しさ」だけを向けるような無責任を犯していないのは、荒間サイトに集う皆さんと同様です。

 それから、ここは、若手の方が活発に議論する掲示板です。

 議論の出来ない私の事は適度に無視して、他の方は、他の方同士でガンガン語ってください。

 私の存在(文章)は、ここをクリックしてくれる方に対しての、更新されてない時の寂しさの穴埋め係だと思ってください。

 せっかく、閲覧者が、この板に来訪してくれたのに、この板が、前回見てくれた時と変わっていなかったら寂しいじゃないすか・・・。

 てな訳で、後日より、書かせて頂きます(毎日は期待しないでね)。

 次回は、カンボジアの奥地で、撃たれた時のお話です(いきなり、盛り上がる)。

 なお、これからは、どんなに長くても、一話600字で収めますね。

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 [カンボジアの話・ベンメリア寺院(前篇)] From:ミッドナイト・蘭 /H15/07/15 07:26

▼1998年4月、ポル・ポト(本名サロト・サル)は死んだ。

 それから半年後の10月、今なお、ポル・ポト派の残党は、カンボジア各地に潜んでいるとされていて、その奥地への、旅人の侵入を拒んでいた。
もちろん、地雷もわんさか!

 私・ミッドナイト蘭は、当時は、危険地域とされていたベンメリア寺院を目指していた。

 今でこそ、奇矯な旅人ならば、幾らかの金を出せば、半日かけて観光できるトコとなったが、その時点で訪れる人物は、ましてや、研究者でもない一般の人物が来訪する事なぞ、数える程しかなかったと思う。

 カンボジアに来るのも五回ほどを経て、もう一人で旅するのに何ら抵抗はなかった。

 そして、冒険心は、新たなる刺激を求めていた。

 フランス人研究家ブリュノ・ダジャンスの著書に、一行だけ記述のあったベンメリア寺院を目指す事にした。

 アンコール遺跡群から東に40km(直線距離)にある「巨大な寺院」だそうで、期待は高まった。

 三人の男を雇い、二台のバイク(スーパーカブ)に分かれ、アンコール遺跡の城下町・シェムリアップから、わりに整備された国道六号線を東に進んだ。

 両側に低い緑を擁した国道は二時間ほど続き、左折し、北に向かった。

 国道から離れると、いよいよジャングルが深くなり、そして、道行く子供たちの服装もセミヌードに近くなっていった。

 つまり、貧しくなっているのだ。

 森に見え隠れする家屋も、コンクリ造りなどなく、木造はおろか、藁葺きの風情のものばかりであった。

 たまに、良い建築物を発見したと思うと、人民党の事務所だった。

 子供たちも大人達も、私を見ると、珍しい旅人に視線を離せなくなる。

 私は、必ず頭を下げ、微笑んで手を振る事にしていた。

 この年(1998年7月)、総選挙が行われたのだが、裸に一枚布を巻いただけの服装の女性達も投票をしたのだろうか?

 緑深き中を、赤土の道を進む。

 空は、雲が多重で、合間に青空が垣間見える。

 雨季だったが、天気は良かった。

 しかし、道は時折、両脇から溢れる水で遮られた。

 カンボジアの大地は起伏が少ない、真っ平らなのだ。

 雨季は水が溢れる。

 ・・・歴代のカンボジア王は、治水管理に知恵を絞ってきた。

 ポル・ポト時代は、無意味な公共事業でメチャクチャな灌漑工事を行い、各地で洪水被害を出した・・・。

 私は、何度となく、バイクから降りて、膝まで水に浸かりながら、歩いて進んだ。

 三人の男はぶつくさ言いながら、バイクを押して後からついて来た。

 私は、先にスタスタ歩きながら、その辺をチョロチョロしている子供たちにちょっかいを出したりする。

 私が子供たちと遊んでいるのが長引くと、三人の男は、タバコを吸いながら、道端で待っている。

「ヘイ!」と呼ぶと、男の一人が、私の巨大なスキーバッグを持ってきてくれる。

 その中には、多量の対子供用グッズが入っている。

 各々、その子供に似合った物をあげる。

 そんなこんなで、ベンメリアに進んでいく。

 二時間以上経ち、かなり近づいた気配の中で、とてつもない水溜りが出現した。

 と言うか、もはや川だった。

 私は、腰まで水に浸かりながら、慎重に歩を進めた。

 三人の男たちも、バイクや、スキーバッグを持ち上げながらついて来る。

 しかし、水量は多く、私達は迂回を余儀なくされた。(後編に続く)

▼すいません。600字は無理でした。しかも前後編。

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 [カンボジアの話・ベンメリア寺院(中篇)] From:ミッドナイト・蘭 /H15/07/16 14:55

▼「ベンメリア」は、「花束の池」と言うロマンチックな意味を持つそうだ。

 で、私は、そこを目指し、腰まで水に浸かりながら進んでいた。

 最初に出くわした水溜りでは、靴を脱ぎ、ジーパンを巻き上げたものだが、水深が腰ぐらいまで及ぶにつれ、どうにでもなれ気分になった。

 方向は、三人の男が示してくれていたので、私が先頭になり突き進んだ。

 最近知った情報だと、ここの観光が許されるようになったのは1999年の事のようだ。

 が、この時点では、1998年だった。

 また、よくよく考えると、この国にはワニもいて、時期的な治安の危険度以上に、常時危険な存在でもあった。

 コブラもいるし、地雷もある。

 進んでいると、斜め前方5m程で、水面が不自然に跳ねた。

 イメージとしては、ムササビのような小動物が、水に飛び込んだような感じだ。

 私は、見るともなしに、その方向を一瞥し、視線を前方に戻すと、再び進んだ。
が、すぐに見直す。

(う、わーっ!)と思った。

 下半身の力がスコーンと抜けた。

 30m程彼方で、男が、木の幹に背を預けながら、座りながら、ライフル状の長銃を構えていた。

 ・・・つまり、一発撃ってきやがった。

 私が、走行する車の前を横切ろうとして車に気づき、恐怖で動きを止めてしまった猫のように怯んでいると、後ろの三人が状況を察し、銃を構える男に現地語で声をかけてくれた。

 でも、全く、緊張感がなかった。

「おい、通らせてや」って気楽な物言いなのだ。

 ・・・俺は撃たれたんだぞー。

 恐怖は、私の五感を鋭敏にし、それまで当たり前だった気温や、セミの鳴き声が、鬱陶しいほど気になった。

 二言三言会話を交わし、我々一行は、銃の男に近づいて行った。

 それまで勇ましく先頭を歩いていた私は、いつの間にやら、三人の陰をこそりとついて行く。

 足取りが重い。

 ・・・と、一人だと思っていた銃の男の回りには、二人三人と、どんどん人が集まってきた。

 カンボジアでは、誰もいないと思って立ちションとかしていると、草むらの中から、ふいに人が現われたりする。

 深いジャングルの一本道を進んでおり、ふと、森に目を凝らすと、森の中に、騙し絵のように村が存在している事も多い。

 銃の男の仲間が出現しても、恐怖ではあるが、意外な事ではなかった。

▼(すいません、早朝書いていたら、いつの間にやら寝てました。後編に続く)

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 [ちょっと中休み^^] From:ミッドナイト・蘭 /H15/07/18 05:56

▼ここにきて、やっと、のんびりと書く気持ちになったかな。

 カンボジア話は幾らでも書けますので、若手版のにぎやか状態は任せてください。

 今回は「後編」を書かなくてはならない筈なのですが、長くなりそうなので休日の土曜日にします。

 前篇と中篇は、思い出しながら書いていたのですが、後編においては、それでは済まないと思い、撮影したビデオを見直しています。

 いや、はっきり言って、凄いです。

 マジで私は、腰まで水に浸かり進んでいます。

 地雷が除去されてないので、石の上を飛び跳び進んでおります。

 銃を突きつけられています。

 恐怖が蘇ってきます。

 「ベンメリア寺院」篇が終わったら、続いて「壁の向うの狂気in民主カンプチア」篇を書きます。

 かなり洒落にならない、トゥオル・スレンの虐殺博物館報告になります。

 ここには、イチローさんも行ってます。

 二度、行ってます。

 だから、イチローさん、私の文章に合いの手を入れてください。

 とにかく、カンボジアは、私の専門ジャンルの一つなので、最後まで書き遂げるので、皆さん、楽しんでください。

 もちろん、アンコール遺跡についても書きまっせ!

                                     (2007/09/21)

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