どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

別嬪さんの言葉

2013年04月07日 | 日記
親が生きていたころ 新聞をとっていた

朝刊を読む時間はほとんど無かったし 政治や経済に疎い私にとってはそう必要なものでも無かったが 夕刊と日曜版は楽しみだった

芸術や展覧会 映画に関する記事や とりわけ書評や本の広告がお気に入りで 興味を抱いた記事はメモをしたり切り抜きをしたり 購入本のリストに加えたりしていた


やがて生活も変わり 大型本屋を二時間かけて本を選ぶということも無くなり 本に関する情報も次第に乏しくなっていった

今では時々覗くわが町の 町にしては比較的大きいものの品揃えには不満の残る書店で それでも出会いに期待して行き当たりばったりで本を買っている

読書の時間はもっぱら 運よく比較的空いた通勤電車の中か休日のお風呂の時間ということもあって 多くが文庫本か新書に限られる


先日は 昨年亡くなった丸谷才一さんの「人間的なアルファベット」の文庫版が新刊で並んでいたので これは中を確かめるまでもなく迷わずに買うことにした

他には何か無いかと可愛い子ちゃんの品定め 昔の女郎屋通いのような目で(想像するにこんなかと)眺めていたら 別嬪さんが私を手招きしている

商品に手を触れちゃぁいけないよ と言われないのがそれとは違う良いところ

手に取ってパラパラと繰っただけで手ごたえを感じる


本を開くのが楽しみで そのくせ残りが少なくなってくるのが残念に思うような一冊

内田洋子著「ジーノの家」

日本の有力なエッセイ賞をダブルで受賞というものだから 私なんぞの認めなど必要の無いまさにお墨付きの本

それでいて庶民には手の届かない高嶺の花の花魁とは違って こちらは手の届く別嬪さんだ

世界三大発明の一つである活版印刷に感謝


新年度が始まって ジュニアが戻ってきた

社内でも相変わらず 社長の嫌味な言葉を耳にすることがある

言われる側にも非があり 彼の真意がわからないわけでもない

しかし 言葉というものは選ぶものだ

思ったことを脳で咀嚼することなくそのまま口から発するのは 時として野蛮な暴力行為となる

「北風と太陽」の話ではないが 耳に流れ 頭に届き 心を開かせるような言葉でなければ意味が無い

上に立つものはすべて 親であれ ものを教える立場のものであれ 上司であれ 得に注意すべきであろう

同じ空気の中にいるこちらでさえ テンションが下がり 日光の三猿どころか 脳も心も閉じたくなってくる


身も心も閉ざしたくなるような言葉

抱きたくなるような別嬪さんの言葉(って 女の私が言うのもおかしいが)

言の葉や 伸ばす太陽 散らす風(粗忽)

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