麻理の白い窓

元・麻理の練習用ブログ

私の愛しい、小さな窓。

ある孤独にさいなまれた人の独り言

2016-10-29 02:00:05 | 小日記

ログインできた。という安心感だけ、このブログによって得られる。
それはほんの一時的な物であって。それでも確かな安心感はある。

これからここに連ねられていく言葉はすべて、自分の内から出てきたものだから。他人の、誰か違う人の言葉じゃないから。私の事を全て知っている人が記したものだから。

だから、まだ安心感はある。

私はさっき、とてつもなく不安な気持ちに襲われた。
つらいつらい気持ちだった。どこまで行っても孤独。でも、今はそれに耐えるしか術がない。
彼氏、友達、家族、同僚。周囲の、自分に関わる人たちにはこのような名前がついている。
それに分類できる人さえも、ごくわずかである。
そもそも母数が少ない。
というか、本当は無に等しい。
私の事を知っている人、知ろうとしてくれる人、心からそばにいてくれる人、誰もいない。

私は、ある日突然中身が入れ替わっても、今の私よりハイスペックで、なんでもできる人間になっていたのなら喜ぶ人間がいる。

私が今より低スペックになったら、歪んだ意味で喜ぶ人間もいる。

というかすでに色々行き詰っている。この時点で、何人かの人間のストレスを取り除けているのではないか。
考えれば考えるほど、むなしい。

全く性格が合わなかったけど感じた、愛情とか、やさしさとか。ただ隣にいるだけでもそれだけのものをたがいに与える事ができる関係というものを学ばせてくれた男の人もいたけれど。
正直、これから先ずっとその人といる事を考えるのは苦痛だった。

「ただ隣にいるだけで。」この力はすごいと正直、一人で長く暮らす今になって思う。
とはいえ、その男が愛したのは、私のうわべだけであった。
私の話を聞けば退屈しやがった。正直私も相手を退屈だと思った。
「リア充爆ぜろ」と言いながら何の努力もしようとしないで、周囲に敷かれたレールを渡って満足しているような男だった。
私もそんな幸せで必要十分だと思うところもある。そんなチャンスがあったなら噛みしめていたかった。
だけど自分のいいところを省みようとしないで、自分の持っていないものを持つ人を勝手に恨むなんて、横で見ていてものすごく、浅はかで、卑怯な行為だと思った。
そんなものに何の意味があるのだろうか。そして、それを教えてくれる友人が彼にはいなかったのか。友人は別に先生でも本でも構わないと思うが。

つまり、話を戻すが。私の表面的な部分だけを見て、全て分かった気になって。何も聞いてこない、それ以上触れようとしない。
そんな人らにばかり囲まれていた。私が触れようとすると、「あなたのときって、いつも深い話になるわね」となる。私はあなたの価値観が知りたかった。趣味の話なんかより、気温の話なんかより。お互いの近況報告なんかよりも!

誰も見抜けない、誰も救ってくれない、互いに互いを救えない。
互いを知る事がないから。知る機会を、おそらく世間や知人からの雰囲気とか価値観を誤認知して、そのまま正直にそれを信じ込むことでハブられない為に、歪んだ方向へ努力を重ねることで奪われてしまっているのではないか。
僕らはとんだ勘違いをしているのではないか。それでかってに社会とのつながりを希薄な方向へ…

いや、一概にそうは言えない。私が、必要ないだけかもしれない。
たがいによく知っている人間はもう充分にいる。満たされている。ならいまさら私とこれ以上仲良くなる必要が…

いや、というより、よく知っている人間、自分、私を比較した時の相違点、共通点を洗い出して私をどの位置に置くかを考えられた結果なのではないか。

他の人とは違う、これは知らないパターンだ…
慣れ親しんだ人間でなければ、よくわからない人間でなければ。
「一般的」な考え方、健全な人間の行動、人生でなければ。
おかしいと感じたら、普通じゃないと感じたら、”関わりたくない”よね、普通。普通。普通!
面倒事は避ける。これが、普通…!

困っている人間を助けるのでもなく。
かつて助けてもらったわけでもないなら、助けるほどの仲でもないか。
そもそも、あの子は自分をそんなに頼ってくれないではないか。→他人と定義づけられて私は。

友達なんて一人もおらんのか。

ちなみに、中身が入れ替わってハイスペックになって喜ぶのは私の父。
自慢できる娘がほしいようだ。

一方、低スペックを望むのは私の母。
私より先天性の病気を患った弟のほうが可愛くてたまらなかったようだ。

私は今孤独だ。
この道で会っているのか?たくさんの不安を抱えながら、気軽に相談できる人間が誰一人として周囲にいない。
大したことでもない相談でさえできない。

これが負のスパイラルのしくみの一例か。行き詰って悩んでいる人間が、周りと健全な人並みに接触できるだろうか?
これは実は非常に難しい事なのではないか。でもある程度はかなっている。だがそれ以上親しくなるのは、なるほど今の私には難しいのかもしれない。

もういっそ、もっとぶつかって、もっと周囲とぶつかって、徹底的に他人を排除して。そう今感じる孤独と変わらないなら。
それで、互いに分かりあおうとすることができる人間を探すべきなのか。今の私にそんな体力があるのか、いや、そうじゃない、本当にそうすることが自分にとって最善なのなら、甘んじて突き進むべきなのだろう、今の状況が嫌だというのなら。

だがそれ以上の事は正直わからない。それを優先すべきことなのかも正直分からない。
一番優先したいことが他にもある。だが、これくらいは同時にこなせないといけないのだろうか。比較的人生の初~前期に当たる時期のうちに。

この孤独感から抜け出す方法、そして、間違いのない方向への努力。
とりあえず今やれることをやる。最も優先したい事をやってのけた後でも大丈夫なのだろうか。
どちらも、いつ片付くのかわからない問題。だが一方は期限がある。ならそれを優先すべきだと思ってしまうけれど、

そうか、比較的余裕が出てきた時に同時にこなしていくことを考えて行けばいい、それも1つのやり方だろうか。

でも心配なのは、この、最も優先したい事をやってのけるために、この孤独感をなんとかしなければいけないのであったらどうすればいいのだろうかという事だ。

とりあえず、耐えよう、と言うのなら。
私にならひとまず、それはかなうでしょう。なぜなら今までそれをやってのけてきたのだから。
でも変えなければいけないというのなら。
少しずつでも、意識するだけでも変われるだろうか。優先事項に、あまり負担になりすぎないように、並行して。

うん、なんとなく最も現実的な気がする。
なんでも、いきなり変える事は難しい。ずっとやってきたことは特に。
例えだけど私の性格を変えることだって、電気ショックみたいなことでも起こらない限り無理な物かもしれない。

うん。よし。でもチャンスがあったら臆せず取り組むようにしよう。
あからさまな衝突は避けたいけど。でも、挑戦がなければ永遠に実現はしない。

うん、がんばる。
だから、これを読んでるどこかのあなたも、がんばって。

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