麻理の練習用ブログ

私の愛しい、小さな窓。

周囲や環境に対する私の考え

2017-08-08 23:39:01 | 小日記

人は得てしてその生まれた環境に、今の周囲の環境に左右される。

君子、和して同ぜず。なんていうけど。気づいたら同じてしまうから大抵の人は君子ではない。

むしろそれが自然で、何が正しいかなんてそもそもないから。とっても曖昧な私という人ができてしまう。

私とは何か。私の周囲の環境そのものだろうか?私の視界に入ったものが影響しているのは間違いないが、視界に入って、それをどう捉えるかという部分で、捉えてそれをどう処理してきたかという部分で、個性が出るのではないか。

キャラクターとは取捨選択の結果だろうか。環境から何を感じ取り、何を糧としているのか。何を楽しみと感じ、何を無意味と感じてきたか。何を身につけ、何を見過ごしてきたか。

全く同じ環境で育っても、違う人間が育つ。でも傾向が、例えば悪い方に似ていたりすると、やはりこの環境を改善する必要があると考えるか。同じ家庭なら血縁を理由に、似ているのは仕方ないと考えるか。


ところで、人を見るとき、その人が育った環境は無視されがちだと思う。

悪い人、嫌な印象を受ける人に対して、やはり嫌なものは嫌だろう。共感する時というのは、自分と似た部分を感じ取った時だと思う。それくらい人の評価やつながりのきっかけというのは曖昧なものと言えるのではないかと思う。

そして共感しあう者同士で境遇が似ていたりもする。

…今私は、あまり様々な考えうることを詳細に考慮せず主観で述べている。そこに不安を感じる。こんなものをネットにあげて公表していいのだろうか?
でもいいような気がしてしまうのは、ここが私が作ったブログで、この場所だからこそなんでも書いてあげちゃってよくね自己責任だし!という、このブログを作った当初の感覚を、わずかながら覚えているからだろうか…。
それも私が勝手に感じたことであって。そういう場所であるという決まりもそもそもないのであって。

赤信号だけど、車が通っていない。そこを誰かが渡ると、自分も渡ってもいいような気がして渡っちゃう。なんだかそんな感覚に似ていて。先に赤信号を渡ったのが、過去にこのブログを作って何か書いていた私。

正直読み返そうとも思わない。多分、すごくつまらないと思う。
なにせ、ひどい毎日を過ごしていたから。今と比べ物にならないくらい。私がかなり人見知りで疑心暗鬼になってしまった原因になった日々。
だがそれをいったい誰が考慮するだろうか? 誰が私を見て、大変な日々を過ごしてきた人なんだな、なんて考えるだろうか?一人くらいはそんな人もいるかもしれないけれど、大抵は嫌な印象を持てば、嫌な人ってなるわけで。でも人は忘れる生き物だから。今からでも少しずつでも変わっていければいつか挽回できる…なんて希望を抱いているんですが、いいですよね???

まぁ、そんな感じなのですよ。

こんなすごいさみしがりの人間に生まれておいて、誰とも会話をしない毎日を過ごしていたら、そりゃあ人間狂いますよ。というか狂うんです…!
水がないとしおれてしまう草花のようにね・・・!

ということで今日はもう寝ます。読んでくださった方、良い夢を。

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