連続無窮

他力信心を通して知らされた世界を綴らせて頂きます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

持病

2012-05-28 21:31:31 | 日記

 最近の法座で、私を見かけないと思っておられる方ごめんなさい。

「僕には夢がある、希望がある、そして、持病がある♪」のCMソングじゃないけど持病が原因です。寛解に向けて、ひたすら休んでいます。

 法座のことを伝えてくれる皆様、本当にありがとうございます。皆様の堪忍に私は支えられております。

 申し訳ありませんが、もう少しお待ちください。

 

 励ましの言葉を言うよりも、「南無阿弥陀仏」と申してください。私も「南無阿弥陀仏」と申しますから。

 お互いに、南無阿弥陀仏でよかったね。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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中西智海和上に謹んで哀悼の意を表します。

2012-04-27 22:38:42 | 真宗・信心

 2012年(平成24)4月20日、中西智海和上がお浄土へお還りになられました。
 26日にご自坊のある富山県氷見市にて葬儀が行われました。私は仕事でお参りできませんでしたが、謹んで哀悼の意を表すると共に感謝の意を表します。先生、ありがとうございました。

 思い起こせば12年前、ふとしたご縁で中西和上の「親鸞聖人と浄土真宗」を手にとって読んだのが私と浄土真宗との出会いでした。
 当時、私は浄土真宗を名乗る異安心教団に所属しておりました。恥ずかしいことです。

「変なことが書いてあったら突っ込んでやる」
と思って中西和上の著書を読んでいったら、
「あれ?本派って十劫秘事とも口称正因とも違うんじゃないの??」
と疑団がわいたのを思い出します。

 懇切丁寧に宗祖の教えを明快に説かれた著書を通して私の心の中に宗祖のお言葉が染み入りました。
 今も忘れません。

 しかし、ある会のマインドコントロールの中にあった私は、認めながらも逃げていました。恐かったのかもしれません。
 私が10年近く師と仰いだあの男が間違いであることを認めるのが……

 10年近い歳月を経て、まことの真宗に出遇った後、なぜか中西和上の「親鸞聖人と浄土真宗」が読みたくなったのを思い出します。
 現在手元に「親鸞聖人と浄土真宗」がありますが、実は私一人のために書かれたご著書だと思います。

 悔しく思うのは、浄土真宗に帰依してより、中西和上にお礼を申し上げたいと思っていましたが、その思いを果たす前に中西和上はご往生なされたことです。

 諸行無常の響きここにあり。

 中西和上に直に対面することはかないませんでしたが、中西和上は今も、「お念仏を申しなさい」と私を導いてくださっておられると思います。

 中西先生、ありがとうございました。先生のおかげで私は浄土真宗に出遇うことができました。

 感謝しても感謝しきれません。私も先生の待つお浄土に参らせていただきます。その際にはご著書のように懇切丁寧なご教導をよろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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お風呂とお寺

2012-04-11 21:37:55 | 真宗・信心
 一日の業(わざ)をなし終えて、夜に入るはお風呂でございます。私のように夜の間お酒を呑んで朝風呂に入るのはある意味変則ですが(笑)
 まさか、お風呂に着衣で入る人は……いませんよね。天皇陛下も、内閣総理大臣も、サラリーマンも、商売人もお風呂に入る時は何も着ていません。

 お寺にお参りする時も同じです。

 知ったこと、覚えたこと、個人の体験は門前に投げて、お慈悲のお湯にのびのびと浸かればいいのです。
 まあ、真宗の教学はお湯の効能書みたいなものです。

 まずはお風呂でまったりしましょう。

 南無阿弥陀仏と称えてまったりすればいいのです。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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利井専妙和上のご教化

2012-03-20 19:03:44 | 真宗・信心
 あるお寺である和上さんから「横超」ということを喩えられた利井専妙和上のご教化を聞かせて頂きました。

「江戸時代は身分差別の厳しかった時代。身分の低い者がお城に入ったら切り捨て御免で斬られる。ただし、身分の低い者でも葵のご紋の籠に載れば将軍さまの御前にそのままいける」

 我が身には仏弟子の資格もなく、修行の一行も出来ぬ。仏教史上最悪のニセ仏弟子だ。あるニセ真宗の新興宗教に騙されて、悪ばかりやってきたウソ仏弟子でございます。人非人と言われても文句が言えない。そんな私に阿弥陀さまが、
「そのまま来い、仏にするぞ」
と仰せとは……

 申し訳なさすぎて南無阿弥陀仏と申すしかありませんでした。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

 徳川将軍の葵のご紋が通じたのは1603年から1867年ですが、南無阿弥陀仏はいつでも、どこでも永遠に変わらない。ホンマに有難い法でございます。

 口下手な私に出来る話はありませんが、お念仏だけは出せますのでご恩報謝に称えさせて頂きます。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏はたった六字ですべてを語る。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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南無阿弥陀仏は「伝える」でなくて「伝わる」

2012-03-13 22:46:13 | 真宗・信心
 まずは口に南無阿弥陀仏を申しましょう。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

 あなたが称える南無阿弥陀仏はあなたが考えて口に出した六字ですか?
 あなたが創造した六字ですか?

 そうでないでしょう。

 誰かが称えた南無阿弥陀仏があなたの耳に入り、口が動いて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と申しているのではないのですか?

 そのお謂われを聞いて、
「南無阿弥陀仏は『助けるぞよ』のみ仏の仰せでございます。往生のことはみ仏にお任せ致します」
とお任せせずに称える念仏は、捨てものですが、あなたの耳に届いた南無阿弥陀仏の六字は、実は、
「助けるぞよ」
の呼び声なんです。

 その謂われいかに?と思うたら、蓮如上人が御文さまにシンプルかつ詳細に書いておられますので、そのこころを知った方に聞いて聞いて聞いたらようございませんか?お謂われは聞かなあきまへん。

 それを誤って伝えている人からは、サッサと離れればいい話です。

 我がお念仏の領解は、釈尊や十方諸仏の讃嘆から始まり、七高僧を経て親鸞さま、蓮如さまと伝わったお念仏が、母方の祖母に伝わり、母方の祖母やお同行の称えたお念仏が我が耳に入って伝わった南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と申しておるだけです。

 その南無阿弥陀仏のお謂われは、大谷光瑞さまと利井鮮妙和上からお謂われが伝わった加茂和上や梯和上からの仰せをしかとお受けしているばかりです。

 利井鮮妙和上は、
「ほんとうに(至心)疑いなく(信楽)、生るるとおもうて(欲生我国)、念仏せよ」、
と歴代のおこころをお取り次ぎ下さいました。

 加茂仰順和上は大谷光瑞上人と利井鮮妙和上からのご教示を、
「助けるぞよ」
とシンプルに伝えてくださいました。

 それが伝わった私の口から出るのは、
「南無阿弥陀仏」
の六字だけです。

 私の好きな、
「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」(教行信証後序・安楽集引文)
のお言葉を、お取り次ぎさせて頂きました。

  お念仏の法は、「伝えるぞ〜!!」と我執丸出しで力むのではなく、我執なき世界から届いた「南無阿弥陀仏」の六字が「伝わる」法でございますなあ。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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