自分探しの旅日記

家族とは、母親とは、仕事とは、社会とは
個性とは、一般論とは

理屈っぽい主婦の、いろんなつぶやきです・・・

ブログ移転のお知らせ

2009-02-11 15:28:05 | Weblog
ア○ブロではありませんが、開設しました!(我ながら早!)

徒然に~

よろしくです!

2009-02-08 07:58:53 | Weblog
穏やかな 顔で眠りし我が父の
両の眼は 二度と開かず

三人で 最後のドライブの道すがら
「好きだったよ」と そっとつぶやく



追伸:
ここでのブログはこれで終わりにします。
私のつたない文章を長い間読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

おちついたらまた、心機一転別の場所で書き始めるかもしれません。
アメ○ロに出戻ることを考えてはいるんですけど・・・苦笑
その時は、よかったらまた遊びに来て下さいね(*^_^*)

お世話になりました・・・

インフルエンザ

2009-01-17 08:08:38 | Weblog
今朝、新聞を読んで戦慄が走った。


今年のインフルエンザA型で、ソ連タイプの97%にタミフルが利かない!?


あーちゃんがA型と診断された時に、

A型って、確か香港型とソ連型とあったはずだけど・・・

とは思ったが、
インフルエンザ→タミフル
という図式が完全に頭にあったので
なんとなく全てのインフルエンザに対して有効なんだいう思い込みがあった。

香港型とソ連型の区別は容易にはつかず、
一方にはタミフルが効かず、
医師の直感も含めた総合判断に委ねるしかないってこと?


主治医は、おそらく通っている保育園で流行っているインフルエンザに対し
タミフルが有効だったという経験にも基づいて処方してくれたのだろう。
タミフルを飲ませればすぐ熱は下がると自信有り気でもあったし、実際有効だった。

けれど、年末で翌日からほとんどの医者が休みになるあの時に
もし子供がかかっていたのがソ連型だったら・・・


考えただけで身震いがする。

友人がずいぶん心配してくれた背景には、そんな事情があったのかと・・・


今回のインフルエンザで私が懸念したのは
タミフルの異常行動等の副作用だけ。
薬局でも言われたのはそれだけだった。


勿論、
「効かない可能性があります」
などと言って患者の不安をあおるのが良いとも思わないが、
その可能性を知っておくべきだったと思った・・・

覆水盆に帰らず

2009-01-13 20:44:48 | Weblog
昨日、義母の1周忌だった。
いつもの盆彼岸以上のお客様の人数に少々圧倒されながらも、どうにか”長男の嫁”をしていた。

読経が始まり、聞きながら唱えながら
義母を偲びながら実父を思っていた・・・



お坊さんが帰り、食事が始まってすぐのことだった。

「お父さん、どうなん?大丈夫?」

瞬時に顔が強張った。

「何で・・・なんで知ってるんです!?」
「何でって・・・みんな知ってるよ。うん、ごめんね・・・みんな知ってるの・・・」
「い、一体、どこから・・・」
言いかけて言葉を切る。
出所は一つしかない。
実父のことは義父にしか話していないのだ。
本当なら話したくなかったが、暮れに父の様子がかなり急激に悪化したこともあり、
場合によっては1周忌に影響する可能性があると判断して話した。
「誰にも言わないで」
と何度も念押しして・・・




にもかかわらず、どうやらその直後に義叔父の1人に話し、そこから全ての義叔父・義叔母・義姉まで知るところとなったらしい。


実父の現実に引き戻されたせいか、
それとも義父の約束破りに対する怒りのせいか、
私は箸を持つ手の震えを抑えられなかった。
せっかくの料理の味もさっぱり分からなくなった。



皆が知っていることをもう少し事前に把握していれば、心の準備もできたのに・・・

病名を聞かれ
様子を聞かれ

「義母さんの葬儀の時はすごい元気やったのに」
と言われ、

落ち着こうとする気持ちと裏腹に動揺が広がり、込み上げてくるものを抑えきれずに

私はたまらず席を外した・・・・




しばらくして、ようやく落ち着いて席に戻った私に

もう誰も実父のことは聞かなかった・・・






義父は悪意で話した訳ではない。
それは分かっていても
それでも、すぐに許せるものではなかった。

義叔母達からは
「義父さんを怒らんといたってナ・・・」
とすまな気に何度も言われたから義父には何も言わなかったが、
私の触ると切れそうなオーラを義父は感じていたようで、おびえた目で私を見ていた。
おそらく、私が何を怒っているのかは分かっていないのだろうけれど・・・


義父にとって、私の「言わんとって」は「みんなに連絡して下さい」
と同義語か?



正月に義姉に会った時にも何も言わなかったのに、
その時既に義姉は知っていた。
知っていながら、何も言わずにいてくれたのだ・・・

何も言わなかった私を、義姉はどう思っていたのだろう・・・


親戚中が知っていることを、いっちゃんもその席で初めて知ったらしかった。
私に対する義叔母達と違い、義叔父達にかなり根掘り葉掘り聞かれたらしい。



義叔母達に散々相手して貰い、お昼寝もできずに疲れ切ったあーちゃん。
おさんどんし、親戚たちの相手をし、あげく(他にも火種があったので)怒り狂って帰宅した私。
義叔父達による質問攻めと私をなだめるのに神経消耗したダンナ。


翌日、体調を崩したのはダンナ一人・・・ナンデヤネン・・・orz






というか・・・

今気づいたが・・・



例の義叔父は、私の実父のことを知っていながら
元日に義父のところへ行けと言ったのか???




はふ・・・・

毒親

2009-01-10 10:59:25 | Weblog
彼女の言葉を全て鵜呑みにするのであれば、だが、
毒親に悩む同僚がいる。

20代前半の彼女。
複雑な家庭環境もあって少しグレ、
型にはまるのが嫌だと高校へ入学後すぐに中退し、あまり実家には帰らず、
様々な仕事をしながら必死で生きてきたようだ。

そして、数か月前にウチの会社に正社員として入社し、懸命に頑張っている。
彼女の経歴は、本当に平凡な道のりを歩いてきた私には目を見張るようなものだし、破天荒とも言えるが、
自分の知らない世界の話を聞いて驚かされ、感心させられることも多々ある。
若さゆえの空回りもあるが、私はそんな彼女が結構好きだ。
(・・・だれかさんそっくりで・・・)


しかし、彼女の親はそんな彼女の今を全く認めてはいないようだ。
とにかく家に帰ることと学校に行き直すことを強要し、
その為には彼女の今の仕事の邪魔をすることさえ全く厭わない。
いやむしろ、クビになって家に戻ることを願ってさえいるようだ。
法に触れるようなことさえするが、全て”娘を思う親心”で片付けるらしい。


高校中退者が珍しくない昨今でも、やはり”高校ぐらいは行って欲しい”という親心は分かる。

学歴なんて関係ない、
勉強なんてしたくなったらすればいい、

というのは、私に10人並の学歴があるからこそ言えることなのかも知れない。

けれど、紆余曲折を経た彼女が、
自分がやりたかった業界での職を得て必死で働いているのを
あの手この手で邪魔をし、辞めさせてまで、
高校へ行かせようとするのは普通だろうか?


店内で唯一の同性ということもあってか、時折二人きりの時に苦しい内面を私に吐露する彼女。
話すことで幾分かのストレスは発散しているのだろうが、何の解決にもなってはいない。

ただ話を聞き、見守り、若干のアドバイスをするしかできない自分が、何とも歯がゆい・・・



彼女の親がこんな人だったら良かったのに・・・

「僕を支えた 母の言葉」





現実は・・・

毒になる親
http://www.winpal.net/~jiro/h/doku.html



・・・

2009-01-07 21:27:23 | Weblog
友からの 応答を待つ指先に
触れし携帯 黙して語らず

相違

2009-01-04 00:25:49 | Weblog
明日で冬休みも終わる・・・


忘年会の2日間を除くと7日間の冬休みのうち、2日を私は実父の元で過ごした。
2日とも、正午前から午後8時過ぎまでの8時間強を父と二人きりで過ごしたことになる。


正直、疲れた・・・


この1年で、10歳以上老けこんでしまったような父の姿を見るのは辛かった。
2か月ぐらい前までは、早足では追い付けないほどのスピードで車いすを操っていた父が、本当にゆっくりしか操れなくなった。

食事を食べたがらず、看護師に怒られてますます意固地に食べず、
拗ねたように布団にもぐりこんでまた怒られる。
早くに寝てしまったらまた夜中に徘徊して迷惑だと私が叱られ、
かといって疲れ切ったように眠そうな父を起こすのも忍びなく・・・

話は一見普通にできるが、やはり記憶力は相当弱っており、
持って行った年賀状を何度も初めて見るように読む。

必死に笑顔を向けながら、
私は疲れ切っていた・・・・


実母の時は、約2か月の間毎晩夕飯の介助に病院に通った。
勿論今とは距離も違うが、全く苦痛に感じはしなかった。
それが今回は
どれほど帰りたいと思ったことか・・・

母の時は、別に強要されて行った訳ではない。
今回は、病院と兄に殆ど強制的に長時間居ざるをえなかった。

任意か強要かによる違いもあったろう・・・




しかし、それ以上に
私は父のその現実から目をそらしたいのだ・・・


優しかった母と違い、父とは本当にいろいろあった。
厳格な父からは幾度となく手足をあげられ、
進路を変えられ、いく度も反抗した。
私のことを認めてくれたことなど、殆どなかった。

子供のころは、
休みの度にあちらこちらへ旅行に連れて行ってくれる、家族思いの父でもあった。


反面、母のことをよく理不尽に泣かせる嫌な父だった・・・



その父が心身共に弱っていく姿を、見たくない・・・

見届けることが実子である私の役目だとは思っていても・・・




父が嫌いだから、介護に行きたくないのか
父が好きだから、今の父を見ることが耐えがたいのか・・・



今はただ、

病院に行くのが辛い・・・

負の連鎖

2009-01-02 00:21:12 | Weblog
いやあ・・・


元日の夜中にブログ書きに熱中してるのなんて私ぐらいでしょうねエ・・・

ま、いっか・・・














あーちゃんがインフルエンザと診断された月曜日、
我が家ではもう一つ病院事が起きていた。

数日前のちょっとした怪我が化膿したダンナが
指の切開手術をしていた。
たまたまその病院がこの年末年始もずっと消毒はしてくれるということで、毎朝病院に通っている。

つまり、
指に包帯を巻き、インフルエンザが発症しかかっているダンナに
まだ治っていないあーちゃんを預けて
父の介護に行かなければならなくなったのだ!


ダンナが帰ってくる頃を見計らって、
ため息をつきながらあーちゃんと接触していない服に着替え、
消毒薬を全身に塗りながらふと思う。



2日も病院行かなアカンということは・・・
義実家、1日にしか行かれへんやん!



ダンナは、自分も完全に発症しないかぎり、義実家への年始は絶対に行うだろう。
3人か自分1人かは分からないが・・・


そう思うと、なんだか無性に腹が立った。
結果的に義叔父の言うとおりの
”元日の義実家年始”
になりそうだと言うことが・・・

結果的にそうならざるを得ないと分かっていても
そんな小さなことで怒る自分がおかしいと分かっていても・・・





そして今日、
昨日の朝から病人らしさの全くないあーちゃんに迷った末、
結局3人で年始に行くことになった。



久しぶりにあーちゃんに会う義姉や義姪の嬉しそうな顔を見ながら
何とも複雑な思いで元日の午後を過ごしたのだった・・・

邪念のツケ

2009-01-01 23:58:19 | Weblog
くっきりはっきりインフルエンザA型の検査結果が出たあーちゃんに
タミフルが処方された。

2度くらい飲ませたあたりで熱は下がると思う。
けど、インフルエンザは発症から5日間ぐらいは人に染るから気をつけて・・・


そう医師に言われて、真っ先に考えたこと



そか、じゃあ、年始は実家義実家どっちも行けないな・・・



実家・・・というより父の元へこの長期休暇に行けないのは辛かったが、
義実家へはあまり行きたくなかった。
それは、1日に行けと言った義叔父への反発もあった。
行く予定であった2日でも、発症から5日目に当たる。
1人暮らしの義父に染してはいけないからというのは至極自然な理由づけになりうる!



そんなコスイことを考えたツケだろうか・・・

父の病院から電話があった。

数日前から、夜中に車いすで徘徊するようになった。
年末年始で病院の人手もなく、兄も仕事で付き添えない為に、できれば来て欲しい

とのことだった。

私は、子供がインフルエンザにかかっていることを告げ、
子供のウイルスを浴びている状態で病院には行けないと言うと、
分かりましたと電話は切れた。
言い訳がましいとは思ったが、私自身がワクチンを打っていない。
もし病院で発症し、院内感染など引き起こしたらと思うと、
重症患者が多い病棟だけにあまりにも怖かった。


病院側もそれで納得したものと思っていたのだが・・・



翌日、今度は兄から電話があった。
31日と2日が、仕事でどうしても父に付き添えない。
この2日だけ何とかならないか・・・と・・・・。


兄には、インフルエンザが分かった時点で電話をし、
この長期休暇の間に父を見舞うことは難しいことを告げてあった。
病院にも言った後だ。
病院はそれでも来て欲しいと言っているのかと聞いてみた。

YES

の返事・・・・




シンジラレナイ・・・・orz

楽あれば苦あり・・・orz

2009-01-01 23:18:39 | Weblog
お楽しみのところ申し訳ないが・・・
あーちゃんが39.5度の熱出した。
オレも少し頭が痛い。
できれば早めに帰ってきてくれ




ダンナからのメールに、一気に現実に戻って来た私。
とにかく電話をしてみる。

座薬は入れた

と、少し得意げに言うダンナに少しだけ安堵して電話を切り・・・


座薬・・・・どっち入れたん?


熱性けいれんをおこしかねないあーちゃんは、熱さましより前にけいれん止めを入れなきゃいけないのだ。


再度電話しようとして、止めた。
すでに入れてしまっているのだ。もし間違っていても今更出せない。
私が帰るまでけいれんをおこさずにすむのを祈るしかない。



果たして、ダンナが入れたのは熱さましだった。
おまけに、分量が少ないのを入れている。
(通常は200mgの3/4を入れるのが、100mgを1個しか入れていない)
脇を氷で冷やすとか、額等に冷えピタを貼るなどもしていない。

男親ってのは・・・そんなことにも気が回らないのか??

思わず振り返ってダンナを睨む。



けいれん止めを入れるべきか
熱さましを必要量の足りない分を入れるべきか



熱は高いが、機嫌は悪くない。
過去のけいれんは2度とも無熱性で、高熱の時に起こしたことはない


過去2度のけいれんは、”泣き入りひきつけ”の可能性が高いと言われていた。
だからこそ、激しく泣く時はひきつけるのが怖かったが、
熱でひきつけた経験がないため、どうしてもけいれん止めを入れるのには抵抗があった。
熱さましを入れていなければひきつけ止めを迷わず入れただろうが、(高熱時はひきつけ止めを先に入れるように言われている)
量が少ないとはいえ熱さましを入れている以上、ある程度冷やせばすんなり熱が下がる可能性もある。
熱さえ下がればけいれん止めの必要は無くなる。
熱さましは、1回入れたら8時間は開けるように言われている。
30分以上あけて足りない分を入れるのも決心がつかなかった。


迷った末、私はあーちゃんの体を冷やすのに注力し、しばらく様子を見ることにした。


結局熱は下がらず、ひきつけ止めを入れたのは私の帰宅の7時間後だった。







さっきまでの楽しい気分が、遠い昔の出来事のようだった・・・










翌日、小児科へ連れて行った。


保育園でもらっていたらしい、
みごとなインフルエンザA型だった・・・・