追憶、そして次の土曜日はROCA'66のライヴ。

2017-06-18 17:33:03 | Weblog

僕は今では京都に住んで、ROCA'66っていう名前のバンドをやってる。

以前はギタリストだったんだけど、今は歌も歌ってて、

だからヴォーカル/ギターってことになる。



高校を卒業するときに・・・僕としては東京に行くつもりだった。

(高校は、奈良の高校に行ってたんだけれど。)

東京には叔母もいたし、何よりも生まれ故郷だったから。新宿に、また住みたかった。

でも「彼」が、僕を説得したんだ。一緒にバンドやるからオマエも大阪に出ろって。


「彼」とは、「ランブルフィッシュ」のヴォーカリスト、作詞作曲者、佐治朝吉 のことだ。


それで(説得されて嬉しくて)梅田の専門学校に行く事に決めて、大阪に住んだ。

専門学校はすぐやめちまって、友達の紹介でアメリカ村の古着屋で働き出した。

「彼」も、一年後、奈良から大阪に出てきた。

「彼」が住んだのは僕の一人暮らししてたワンルームから歩いて15分の距離のマンション。

その時代は、バンドがまだ活性化してなかったんだけど、

とにかく楽しかったな。・・・もちろん、今だって楽しいのだけれど、

二十歳になったばかりで古着屋で働いてて、一人暮らししてて、

友達も近くで一人暮らし・・・なんてね。理想的過ぎるだろ。二人で飲み歩いたりしたさ。


でも21歳だった6月、岩佐が突然、交通事故で死んでしまった。

岩佐は、「ランブルフィッシュ」の原型バンドを一緒に作った仲間で、

(大体が、高校で、佐治に俺を紹介したのが岩佐だった。)

その原型バンドでは初めは岩佐がヴォーカルだったのだ。

佐治は、ドラムだった。つまりは岩佐はそういう、華のある人だったってこと。

俺達のそのときのショックと落ち込みと自己嫌悪はとてもじゃないが表現できない。

今も忘れられない。


でもいろいろなことが同時進行していて、

岩佐が死んだ年(1988年)の11月にランブルフィッシュは

大阪の、十三に出来た、まだ新しいライヴハウス、ファンダンゴに出演することが決まった。

そのときの「青の時代」という曲(作詞作曲佐治朝吉)を演奏した映像は、今でも

YOUTUBEで観ることが出来る。


ランブルフィッシュでその後は、いろいろと状況が加速して、楽しい事がたくさんあった。


浅川マキのバックバンド役(一夜限りだったが)をやったり、

山口冨士夫と碇健太郎とランブルと三組で東名阪まわったり

横浜で後のディディ・ワ・ディディの村上と友達になったり、

キャプテン・レコードからのオムニバスCDに参加して、それの発売ライヴで

怒髪天(のメンバー全員)と仲良くなったり。

ああ、今名前を出した人たち、 怒髪天(のメンバー全員)以外、みんな故人だ・・・・。


でも「ランブルフィッシュ」は1991年に、解散した。


僕はその後

ボケロウ、キヨシ、マーボーと僕と4人で「ばるぼら」を結成した。

それはそれで目まぐるしくて刺激的で大変で、忙しくて楽しい日々。

東京行ったり、テキサス行ったり、北京行ったり、上海行ったり、ニューヨーク行ったり。


それで佐治と疎遠になったか?というとそんなことはなくて、


お互い、天王寺近辺・・・から長居、あびこ、あのへんの

大阪市内南部に住んで(二人ともあの辺で何度か引越しした。引越しも手伝いに行った)。

時々、二人でサケ飲んだり、

単発的にメンバー集めてバンドやったりした。ジョー、一蔵、高山、マツヨシ、

ロニオ・・・・。あれはあれで楽しかったな。


でも佐治はその後、例の病気が発覚して・・・・・。

入院、療養のため、奈良に戻った。引っ越して行ってしまったのだ。


寂しかったな。奈良から、彼に説得されて、一緒に大阪に出てきた・・ようなものだったからね。


それからの日々は、大変だったはずだ。僕も、心穏やかではなかった。

でも「ランブルフィッシュ」再結成したりして、楽しめたことも多かった。











2007年に佐治が逝ってしまって、

僕はふと、大阪にいる意味がない・・・ような気がしてしまった。

でも今さら、東京にも行けない。

二十年以上、大阪に住んで、関西が大好きになっていたし。


だから(というか何というか)、京都に引っ越した。


京都もなかなかいい所だ。物価は高いけどさ。





それで、


今週末。僕は、今の仲間と共に、


物価の安い(笑)、大阪は天神橋筋商店街の中にある、素敵な小さなライヴハウス、

「PARA-DICE」に出演する。


ROCA'66のヴォーカル/ギターとして。


ROCAにはROCAの、確固たる世界がある。


それは僕の見てきた聞いてきた「あれこれ」を僕なりに咀嚼して消化して

コラージュして・・・・・・まあいいか。


とにかく


「今」の


僕のバンドを見てほしい。





佐治が亡くなって、10年経つ。



そういう「何やかや」を全部引きずって・・・いや、引き受けて、


僕は行くのです。




次の土曜日の夜、あの宿命的な「オオサカ」で、


オオサカの扇町のライヴハウスで。






僕は歌います。




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5 コメント

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Unknown (高知ニラ農家)
2017-06-18 20:42:35
今日高知で増子兄いがこんな日本に誰がしたって、歌ってました。ROCA’66、また見に行きますんで、いつになるかわかりませんが、続けといてください。あっ、高知でライブ大歓迎です(笑)。
京都のとある所 (ノグチサトキ)
2017-06-18 22:40:10
おととい交差点を曲がってビデオ屋の前通ったら、
「オヤっ?どこかで見たことある感じ!」と思ったら、
ヘルメット片手に歩いてる人が(笑)

そう言えば、以前ブログでお住まいその辺りって
書いてられたこと思い出しました。
ブログこれからも楽しみにしております。

結構ご近所の者より
追伸 (ノグチサトキ)
2017-06-18 22:41:27
すいません。昨日でした!
高知ニラ農家殿。 (片山道郎)
2017-06-19 20:53:12
増子兄ィは健在で、頼もしい限りだよね。あんな売れっ子の有名人になっても、全然態度変わらないし。
俺みたいなヤツの事も忘れずに、時々メールくれるし。
それで、えーっと、ROCA'66は、続けられる限り、続けます。ありがとう。高知行きたい。農業うらやましい。がんばってね!
ノグチサトキ殿 (片山道郎)
2017-06-19 20:56:40
あらら、あの時、通りがかってたのですね~。ご近所さんって何だかほのぼのするよね。また声掛けてください!

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