いのちのかたち Shape of life  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyo kamei diary

座の会小品展@ギャラリーカフェアルル。

2017年03月21日 09時14分21秒 | EXHIBITION


「誘惑」SM 墨・岩絵の具・膠・和紙 2011 亀井三千代


「空を飛ぶ夢」M6 墨・岩絵の具・膠・和紙 2011 亀井三千代

現在出展中の2点は、6年前の旧作。
解剖図から今のモチーフ(身体)に以降する過渡期の
もやもや迷いながら描いていた頃の作品です。

ちょうど父が他界し、死を強く意識していた。
生と死の境界をとてもあいまいに捉えていたのだ。

当時、これらの作品は全く不人気で
軽くスルーされていた。(笑)
取っ掛かりがつかめなかったのだろうか?

今見ると、何か没頭しながら描いていたのがわかる。
いや、「描く」というのは盲目的な没頭と覚めたプランの中間で起こる何か、
だと思うんだけど、
これらは没頭の方が少し強かったかもしれません。





ところで、絵を説明されることに慣れてしまうと
自分で絵を読みとくことができなくなる。
絵はそもそも説明されるものではないのに。
まずは自分で見て考える、
これをさせてもらえないのがストレスだ。

最近、作品の前に立つと瞬時に作家が寄ってきて
大きな声で説明を始めてくれることが多くなった。
「もう少し自分一人で観たいんですけど」とは言えません(笑)

大きな声、の訳は、他の作家が近くで大声で説明しているので
それに負けないように大声になるのだ。
もう、グループ展の会場はじっくり絵を鑑賞する場ではなくなってきた。

なのにそれを「活気のある展覧会ですね」とかトンチンカンなことを
誰かが言う。
「そうですね」と返すが。

かと思うと観ている私の後でジッと立ち
何か言ってくるのを待つ作家もいる。
そこで、感想や質問を投げかけると
「どう見ていただいてもかまいません。」
って、え~~(@_@;)!!
そんなことわかってるよ!

だからつまり、
説明過多でもうるさいし、居るくせに会話皆無もつらい。
その中間のやりとりが鍵なのだ。

モノが便利になるのは大歓迎だが、
自分で鍛えて身につけるしかない「読み解く力」は
過剰に親切な「説明」によっては絶体に身につかない。
と思うこの頃です。

作品について書くつもりが、
単なる愚痴になってしまった。ストレスたまってます(笑)

★座の会小品展 26日まで。
ギャラリーカフェアルル。 


 





追記:座の会のメンバーは、他の団体と掛け持ちしたり、
自主的な個展、グループ展、アートフェアなどで多忙な作家が多いのでとても刺激的。
また不思議と結婚・出産ラッシュが続き
この時代どう生き抜くかメンバー皆で模索中。
負けん気の強いグループなので小品展といえども見ごたえ十分です。
ぜひお越しください。

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