Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

骨休め妄想

2017年09月23日 00時05分08秒 | 日記

今年の主だった展覧会が終わり
挨拶に回るところは回り終え、
気持ちもすーっと静かになった。
そして昨日は 大橋可也&ダンサーズ の公演を観た。
大橋さんとは15年ほど前、一緒に制作していたことがある
盟友。
作品は人の情緒に媚びたものでは全くなくて
テーマ、振り付け、会場、音、ダンサーたち全てに妥協がなく
むき出して突きつめたもの。
だから見る方も覚悟が必要だ。
ノイズにそして3時間の長丁場。
集中してヘトヘトになるけど感動が身体に刻まれる感じです。

そして彼らのダンスには変な抑揚がなくてすばらしい。

日本のテレビドラマを見ていると
普段ぜったいにこんな言い方する人いないよ、っていう不自然な演技ばかりだ。
そらぞらしくも演技を演じている感じ。
すぐチャンネル変えちゃう。もうほとんど見なくなった。


演技してないように見える演技、
ダンスしてないように見えるダンス、
そして描いているように見えない絵
作り得ないものにただただ近づこうとするだけの行為、
リアリティーはそんな中にあるのかもしれません。


「絵のための絵」になってはいけない、という言葉
今なら少し分かる気がする。
つまり、描くよりももっと他に気をとられる何かが必要なのだ。
逆に言うと、常に描くことではない別のことに集中しながら
絵具を置く感じ(ってそんなことできるのか??笑)
でもその「別のこと」がとても重要で
もしかしたら身体感覚かもしれません。

あるいはまた、空中を感じてそれを絵具にただただ置き換える作業。
絵を絵具で描くのではなくて
感覚を色と形におきかえて視覚化するだけの試み。

たとえば数学者が、この世界を数字に置き換えるのと同じように。
その方が、よっぽどピュアにこの世界が見られるかもしれません。


ぐだぐだすみません。
自分の為の覚書です。



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