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長谷川和彦監督の自作談(悪魔のようなあいつ)

2017-02-24 16:24:15 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
1975年のジュリー主演ドラマ、「悪魔のようなあいつ」についての続報。
偶然、同作の脚本家兼ディレクターだった長谷川和彦が近年のDVD発売にあたって、自作について語っている動画を見つけたので、まずはご覧いただきたい。

長谷川和彦 「悪魔のようなあいつ」

以下、動画を聴いてる時間のない方のために、要約と感想を掲げたい。

この作品に先立つこと、ショーケン&桃井かおりコンビの「青春の蹉跌」(石川達三原作の神代辰巳監督作品。1974年)のシナリオも書いていたというが、私も観たこの映画面白かったとの記憶があるから、手腕のある脚本家だったということになる。私も名前だけは知っていて、有名な監督であることは承知していたが、「青春の蹉跌」のホンも書いていたとは知らなかった。
「悪魔のようなあいつ」は長谷川29歳のときの作品だという(ジュリーはひとつ年下)。初めて手がけるテレビ作品のためためらいがあったようだが、最終的に引き受けることにしたとか。が、プロデユーサーの久世光彦の意向が入り、あまり制作の自由はなかったようなことが明かされる。阿久悠原作・上村一夫漫画の原作と連動して同時進行で始められたらしいが、週刊誌の一話分が量が少なく、ドラマに追いつかず、先行してどんどん書き進めたという。

白戸刑事のネイミングが、「逃亡者」という米ドラマ(The Fugitiveは、アメリカABC系列で、1963年から1967年まで放送され、高視聴率を記録したテレビドラマで、日本でも1964年5月16日から1967年9月2日までTBS系列(近畿地区は当時朝日放送)で放送されて人気を博した。最終話の放送時刻には、ラジオドラマ「君の名は」のように、銭湯が空になったという。日本での最終話の視聴率は、前編が24.5%、後編(最終回)が31.8%、主演はデビッド・ジャンセン。私自身このドラマを夢中になって見ていた)の刑事役のフィリップ・ジェラードのファミリーネームから来ていることも漏らされる。

主役の沢田研二に関しては、ジュリーという創られたイメージと違って意外に硬派であることを明かし、そのため、その部分を色濃く打ち出したかったようだが、久世さんが「ジュリー」のイメージにこだわり、女性的なやわな美青年の色に染まったようだ。
私自身、「悪魔のようなあいつ」というけど、ちっとも悪魔じゃないよなあと、美しすぎるジュリー演ずる加門良がいまひとつ説得力に欠けるように思ったのだが、長谷川の言うように硬派のイメージを強く打ち出していたら、結構納得したかもしれない。
ただ、28歳の売れっ子歌手ジュリーのキャラを強く打ち出したかったのは、久世側としては視聴率確保のためにも危なげない演出だったのだろう。

久世さんが熱烈なジュリーファンであったことは知られているし、甘くニヒルなイメージを強要したことはわからぬでもない。長谷川としてはその甘さを消したかったらしく、脳腫瘍で余命間もないという設定にも反対したとのこと。
良が発作が起きるたびに、英語の字幕で大きく画面上に病名が浮き上がる、私から見ればちと滑稽な手法が使われていたが、死病に冒された薄幸の美青年というのも、いかにもテレビらしい安易な発想だ。
あと、いわゆる家族物(長谷川は歌舞伎の世話物という表現をしている)で売れていた久世だけに(「時間ですよ」<1965年から1990年までTBS系で放送されていた銭湯を舞台にしたホームドラマ。1970年代にシリーズ化、1980年代にもリバイバル>、「寺内貫太郎一家」<1974年にTBS系列の水曜劇場枠で放送され、平均視聴率31.3%を記録>)、茶の間シーンを入れたがったという逸話も面白かった。

で、結局、八村モータースに勤めていた十代の頃の良の前雇い主・八村(荒木一郎)を妻帯とし(妻のふみよ役は安田道代で原作にはなかったようで、長谷川は当たり役と)、母親同居の家庭を創り、そこにちゃぶ台とテレビをもってきたらしい。クライムドラマにはちぐはぐなシーンで、それがどこか中途半端に終わっていた理由だといまさらながら思い当たった。ただ暗くて見ているのがつらくなることもあり、良が足の悪い妹いづみと看護婦の静枝とともに、現雇い主のクラブオーナーである野々村からかっぱらった財布の金で、ショッピング三昧、アパートの円テーブルで、静枝の手作り料理に舌鼓を打つシーンはほのぼのとしていいと思った。こういう明るさも必要と思ったことは確かで、そういう意味では茶の間シーンは鬱屈したドラマの多少ともやわらげになったかもしれない。
とはいえ、白戸刑事が捜査上の必要性から八村家に厚かましく食客として上がり込んで、余暇に母親と将棋を打つシーンはドラマの作風にそぐわないような気もした。この辺は久世さんの意向だったんだなと今になって知ったが。

それからもうひとつ、看護婦役の篠がいつも白い制服と三角帽なのが気になったが(いくら看護婦だって、院外では私服だろうと不審に思ったのだ)、これも長谷川としては久世に意見したらしいが、看護婦である以上はいつも制服といいきり、テレビ側の意向と解釈し、制服一本でいったことが明かされ、今見れば悪くない、なるほどと思うと言うのだが、視聴者の私が見ても、疑問に思ったことで、良のアパートを訪ねるときなど私服でよかったんじゃないかな。ただ、白い制服は清楚なイメージを強めるけど。

鳴り物入りで始まった異色のドラマはお茶の間に受け入れられにくく、視聴率10%前後で低迷、20%台が常の人気プロデューサーだった久世さんも青くなっていたというが、制作側と創作者の意図がかみ合わず、中途半端になっていたこともひとつの原因かも。長谷川に全面的な自由が託されていたら、もう少し面白い作品になったかもしれない。
やはり、悪魔のような加門良でなくて、あくまでジュリーのイメージなんだよなあ。
久世さんが狙ったのはそこで、ジュリー人気にあやかってのことだろうけど。

結局予定より早めに打ち切られてしまうわけで、長谷川としては、三億円事件時効成立まで続けたかったらしいが(毎回ドラマの最後に字幕が出て「時効まで後**日」と浮かび上がる設定)、あわてて最終回へともっていかねばならぬ成り行きになった(最後は75日で終わった)。それにしては、ラストの回はよく撮れていたと思うし、ジュリーもやっと役になりきって悪魔に変身して凄絶に果てたが、シナリオでは横浜の海に出たいロケ願望があったようで、ホンのラストが、良が白バイを操りながら水平線に突っ込み、白ヘルをほうりなげ、にやりと笑う(頭の中の想像シーン)と書かれていたとは、興味深い逸話だった。映画畑の長谷川には最初からロケ願望があったが、久世がロケはきりがないからといやがり、全部スタジオ内で撮るしかなかった無念さも明かされた。

もしシナリオどおり、横浜の海でロケをし、良がシージャックして三億円と共に海外逃亡を企てるという風にしたら、ずっと面白かっただろうし、絵としても生きただろう。
とにかく冗長なので、長くて三時間くらいの映画として撮っていたら、秀作になったと思うばかりだ。
久世さんもすでにない今、時効のエピソードをたくさん明かしてくれ、興味深かった。二割くらいは三億円犯人じゃないかと今でも信じている関係者(捜査されたが、アリバイありで釈放)がいたとは聞き捨てならぬ話だ。

犯罪にはロマン、夢があり、クライム物への傾倒を熱っぽく語る長谷川監督、今明かされる伝説のドラマ秘話、興味深いのでドラマを見た方には、ぜひこちらの自作談話もお見逃しなく。
長谷川和彦 「悪魔のようなあいつ」

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