インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

紅葉名所・九品仏浄真寺(写真)

2016-12-31 15:10:24 | 
12月5日に訪ねた九品仏浄真寺の紅葉真っ盛りを写真アップしたい。
以下、どうぞ。


自由が丘から大井町線で次の駅が九品仏、小さな駅を降りて
歩二、三分で公園入り口、その突き当りに浄真寺の山門が開ける


鮮やかな臙脂に染まるもみじの下で和服姿の新郎新婦が
記念撮影していた


真っ赤に噴き上げたもみじが目にしみた


境内で色づいた木々を愛でながら、散策を楽しむ人々


真紅の葉をしなだれるように伸ばすもみじと、常緑樹の
対照が美しい

 
黄金(こがね)に噴き上げる銀杏の大木下にはびっしり
こんじきの落葉カーペットが敷き詰められていた


古めかしく重厚な本殿。元々は世田谷吉良氏系の奥沢城で、
小田原征伐後廃城となったが、寛文5年(1675年)に当地
の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年(1678年)、
珂碩(かせき)が同地に浄真寺を開山した


中に上がって、拝殿の金色(こんじき)に燦然と輝く
絢爛豪華な大仏を拝んだ


目の覚めるような緋色のもみじが広い境内の随所に現れ、
あでやかさに感嘆の息が洩れる

 
1708年(宝永5年)建立の名楼、梵鐘は文化財に指定されている


本堂の向かいに三つ小さな阿弥堂があり、そのうちのひとつ、
九品仏=九体のうちの三体、印相の異なる阿弥陀仏が祀られた
お堂(末尾の一口メモ参照)


裏庭の奥にうずもれたように建つアショカ(阿育)王のストゥーパー。紀元前三世紀のカリンガ(現オディシャ州)戦争の殺戮を悔いて、仏教に帰依したアショカ王、当州ゆかりで州都ブバネシュワールにはアショカ王の碑文がある。石塔の頭部の法輪はインド国旗のデザインにもなっている。ちなみに、この日本様式の王塔は天保年間に建立されたもの


仏陀の足跡、仏足跡(天保年間)。釈尊入滅後、
仏陀礼拝の形式として、そのみ足に対して接足作礼
により人々は哀心慕情の誠を示した


九品仏の天然記念物の大銀杏


緋やこんじき、葡萄色のもみじ葉
のからまりついた青いつつじの
植え込みの対照が目の保養


竹筒から清水が落ち、石の甕に溜まる
手水場。透明な水面には真紅のもみじ葉
が浮かび、風流

    
真緋、茜、黄金(こがね)、萌え残った翠、カラフルに
色づくもみじが美しい


赤い涎掛けが可愛いお地蔵さん

☆一口メモ/九品仏浄真寺
浄真寺は東京都世田谷区奥沢七丁目にある、浄土宗の寺である。山号は「九品山」。「九品仏」(くほんぶつ)とは、一義的には、後述のとおり同寺に安置されている9体の阿弥陀如来像のことであるが、一般には同寺の通称となっている。転じて、同寺の周辺の地区を指す場合にも用いられる。

「九品仏」の由来
広い境内の本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体合計9体のそれぞれ印相の異なった阿弥陀如来像が安置されている。この9体はそれぞれ、上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生という、浄土教における極楽往生の9つの階層を表しており、これらをあわせて九品(あるいは九品往生)という。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれている。
このような九体阿弥陀は、他に京都の浄瑠璃寺にも見られる。
これは「観無量寿経」に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものである。極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる。
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