インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

撫子戦争2(短編小説)

2017-04-21 19:30:15 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
 
         二

 ひと月おいて後の三度目の会合は予定通り、夏美の自宅で催された。夏美は前の空き地に新築した四階建てのホテルとは別に、背後に元からあった旧館をプライベート用に改築して住んでいた。中古とはいうものの、二階建ての洋館は純白のペンキ塗り立てでそれ相応の威容を誇っていたが、本人にしてみればいろいろ不満があるらしく、貴緒と浩子を中へ案内しながら、
「今、郊外に私邸を新築するための土地を探しているんだけど、なかなか思うようなのが見つからなくって」
 と口を尖らせてぼやくのだった。二人から見ると充分立派に思える住まいも、夏美にかかれば不満以外の何物でもないらしく、建物の古いことをしきりにあげつらった後で、
「そのうち新築したら、必ずご招待するわね」
 といつになるかわからないようなことをしゃあしゃあと言ってのけて、貴緒を呆れさせずにはおかなかった。
「ここ、年季が入ってて造りもしっかりしてるのに、もったいなぁい」
 貴緒に目配せしながら、浩子が大仰に放つ。
「いずれ貸家として出すつもりだから、何なら、浩子ちゃん、住まない? 特別お安くするわよ」
 夏美は親切心から申し出たつもりだろうが、それを侮辱と取った浩子はさすがに気分を害したようで、むっと口を噤んでしまった。
 程なく通された一階のリビングはゆうに三十畳はある広さで、古い屋敷だけに重厚な円柱が聳え立って厳めしく由緒ありげな雰囲気を醸していた。室内は冷房がよく効いて快適きわまりなく、ピカピカに磨き上げられた大理石のフロアには、高価そうな革張りのソファセットと格調高いダイニングセットがしつらえられていた。初めて商売敵の城に足を踏み入れた貴緒は、夏美がお茶を淹れに奥に引っ込んだ頃合を見計らって、それとなく偵察の視線を辺りに這わせずにはおれなかった。
 さすがに夏美の方もライバルということを意識してか、ホテルには通さず、肝心の本館は外観からしか窺えなかったが、四階建ての白亜のビルはおのれの古びたペンションが霞むような輝かしい威容を誇っており、かすかな劣等意識に苛まれていたところでもあった。私邸も中古とはいうものの、プライベート用として使うには充分な広さがあり、改めて貴緒は夏美が恵まれているとの少し羨望の念を抱かざるをえなかった。
 が、年代物のシャンデリアが高い天井に燦めく古色蒼然とした室内をぐるりと見回しながら、裏腹にやけにモダンな日本製の家電品が溢れていることに気づいた貴緒は、ちぐはぐな違和感も覚えたことも確かだった。最新型のスピリットタイプの冷房はいうまでもなく(貴緒は自宅のがたがたと耳障りな作動音を発する、インドでは今もってポピュラーなウィンドウタイプと比べ、気後れを覚えずにはおれなかったものだ)、当地ではいまだ普及していない大型液晶TV、コードレス電話、DVDプレーヤー、オーディオセット、どれをとっても日本製のラベルが誇らしげに輝いており、夏美の生活態度を如実に物語っていた。貴緒の目線を敏感に読み取った浩子がこっそり耳打ちした。
「電化製品一式をわざわざ日本から送ったそうよ。関税だけでも大変な額になったんじゃないかしら」
 語尾にシニカルな響きがこめられていた。ボルト数が違うため、日本製品を使用するには変圧器が必要なのだが、その辺も手抜かりなく装備したらしかった。貴緒は前回、浩子が夏美のことを「物に異常なこだわりを持っているというか、見栄っ張りなのよね」と酷評したことを思い出し、なるほどと納得させられた。改めて点検すると、周囲に不必要なものがごたごた溢れているのに気づいた。それらの過剰に溢れた品々は伝統ある部屋の節度を乱し、統一を欠いた雑然とした雰囲気を醸していた。
 そこへ、夏美が、紅茶とケーキの盆を携えた召使を従えて、静々と現れた。
「このスポンジケーキは私が焼いたのよ、どうぞお召し上がりになって。お口に合うかどうか、わからないけど」
 慇懃な口調で薦めた。
「夏美さんて、お料理上手なんですよ。この間も、おいしいちらし寿司、ご馳走になっちゃった」
 食べ物を前にして、若い浩子の態度がころっと現金に変わった。
「花嫁修業の一環で、母に料理教室に通うことを強いられたせいよ」
 と夏美は謙遜しながらも、浩子が大口開けてケーキにかぶりつき、おいしいを連発するのに鼻高々、優越意識を持ち上げずにはおれないようだった。
 それにしても、裏に回れば陰口を叩く間柄なのに、浩子の豹変ぶりにはさすがの貴緒も唖然とさせられた。実際、浩子は、貴緒の与り知らぬところで夏美とは随分懇ろな交友を温めていたようで、それは、
「浩子ちゃん、熱いお風呂沸いてるわよ」
 との呼びかけに、いそいそと当然のように立ち上がった事実からも察してとれた。
「浩子ちゃんち、水シャワーしかないでしょ。気が向くと、うちにのお風呂に入りに来るのよ」
 夏美は後に残された貴緒に説明するように放ったあげく、いかに旧式のバスルームを日本風に改築し、お湯の出るバスタブ付きにするのに金と労力をかけたかということを得々と洩らし始めた。
「何せ、インドの人って、熱いお風呂に入る習慣がないでしょう、ほんと大変だったわぁ。もしよかったら、貴緒さんも、ぜひうち自慢の日本式風呂試してみて」
 それには及ばぬと、貴緒は丁重に辞退した。浩子が長風呂から戻ってくるまで当分要しそうで、苦手な夏美と対座するのに多少の居心地の悪さを覚えていた貴緒だったが、夏美の方は当人の不在を好機とばかり、若輩の秘密をあけすけに洩らすのだった。
「浩子ちゃんとこ、今生活に困っているみたいで。ご主人があの調子で、微々たる収入、ドラッグに注ぎ込んでしまうもんだから……。ご存じでしょう、ニキールにブラウンシュガーの常習癖があることは。二人で帰国するときのためにとっておいた外貨もほとんど使い果たしてしまったようで、この間から再三再四、お金を所望されているのよ。もう五百ドル近く貸しているんだけど……」
 浩子がそこまで切羽詰まっていたとは、さすがの貴緒も意外だった。浩子はその件に関しては、自分には一度も洩らしたことがなかったし、近々親への報告がてら夫を伴って帰るつもりだと、嬉しそうに告げていたからである。ニキールにドラッグ常習癖があることは、アナンドから聞かされ知っていたが、このことに関しても、浩子自身の口から不平が洩れることはなかったので、とりたてて心配していなかった。インドでは大麻等のドラッグ類は比較的入手しやすく、一応法律で禁じられていたが、裏でこっそり手を出す人が絶えなかったせいもある。実際、日本人旅行者も好奇心で試す手合いが多く、宿内に「ドラッグ厳禁!」といくら貼り紙を掲げても、陰で密かに試すルール破りは跡を絶たなかった。まぁ、大麻程度ならと軽くうっちゃっておいたのであるが、まさか精製されていないヘロインの俗称である、ブラウンシュガーにまで手を出しているとは思ってもみなかった。
「浩子ちゃんとしては、日本でしばらく働くつもりでいるみたいよ。夫婦共稼ぎしてお金を貯めたら、この前も言ったように、いずれはこの地にホテルを建てたい意向のようよ」
 どうやら現地の格安物価に比べると十倍という経済先進国で手っ取り早く、建築資金を稼いでしまおうとの魂胆らしかった。前に逢ったときは、ローカル旅行者向けの小さな宿をと控え目に洩らしていた浩子だったが、実態はそうでもないらしく、夏美のホテルに優るとも劣らないものをとの野心すら抱いているようだった。先達日本人妻二人の成功例を間近に見ていただけに、その模範を踏襲しようという腹積もりらしかった。
「でも、あの旦那さんじゃあねぇ。昼間っからドラッグに耽ってフラフラ、現地のレストラン業にも支障を来しているような始末だから、日本のシビアな社会で果たしてやっていけるかどうか……」
 
 その直後、たっぷり一時間余りを費やしてほんのり桜色に頬を上気させた浩子が、濡れ髪にバスタオルを巻きつけた恰好で戻ってきた。
「ああ、いいお湯だったぁ」
 浩子は無邪気に放ちつつ、夏美が気配りを見せてすかさず持ってきたドライヤーを受け取ると、せっせと髪を乾かし始めた。それとなく浩子の顔に視線を這わせると、二年前の無邪気で底抜けに明るかった面影は失せ、生活の疲れが色濃く滲み出ていた。日頃からスパイスの効いた現地食が口に合わぬとこぼしていただけに、慣れないインド暮らしで唯でさえ痩せた躯が枯れ木のように細り、その上、アイロンのかかっていない皺くちゃの民族服、木綿のパンツスーツをまとっているものだから、貧相きわまりなかった。
 片やの夏美がいかにも良家の若奥様然と、シルクのパンツスーツをまとい、ネックレス、腕輪、足輪とインド特有のごてごてした金のアクセサリーで飾り立て、化粧もきちんと施し、隙のない装いをしているのと対照的だった。かくいう貴緒も事外出着に関する限り、日頃から夫に口うるさく言われていたこともあって、小綺麗なシフォンのサリーに身を包んでいた。現地の慣習で服装はステイタスを判断するシンボルともなるため、華美にならずとも、きちんとアイロンのかかった、清潔で比較的新しい衣装を努めてまとうようにしていたのである。
 その辺のところを夫がどのように説明しているものか、浩子ときたらいっこうに無頓着で、さすがに見かねた風情の夏美が、
「浩子ちゃん、私、親戚から贈り物としてもらったはいいけど、どうも気に入らず、一度も袖を通していないパンツスーツがあるのだけど、もしよかったら、持ってかない」
 と申し出たのに、
「わぁ、いいのぉ」
 といっこうに悪びれない様子で、単純に喜んでいる始末だった。
 そこへひょっこり、ロヒットが幼い男児を腕に抱えながら現われた。
「いらっしゃい、いつも家内がお世話になっています。今日はどうぞゆっくりしていってください」
 ちらっと見かけた程度で面と向かって話したことは一度もなかった貴緒は、流暢な日本語で礼儀正しく挨拶する現地人亭主にちょっぴり舌を巻いた。浩子によると、いつも威張りくさってふんぞり返っているとのことだったが、少なくとも日本人然とした丁重な物腰からはそうした傲慢さは窺えなかった。恐らく、時と場合に応じて、臨機応変に使い分けのできる抜け目ない男なのだろうと貴緒は無論、この商売敵に警戒を緩めなかった。何せ、日本に高飛びする万に一つのチャンスをつかみ、高嶺の花の大和撫子を娶り、故郷に錦を飾った男なのである。運の強い、一筋縄ではいかない性格であることは自ずと窺えた。それはきゅっと唇を真一文字に引き結んだ意志の強い顔立ち、控えな物腰の下に見え隠れする自信ありげな態度からも如実に見て取れた。
 浩子はとっくに一面識のある、母親似のどこからどう見ても日本の子どもにしか見えない色白の男児と童心に返ってひとしきりじゃれていたが、せっかくの会合を邪魔してはいけないとばかり、父親が招き寄せたのを潮に現地語で坊やと別れの挨拶、その後はまた三人の間でひとしきり話題に花が咲いた。
「浩子ちゃん、ヒンディ語、少しは上達した?」
 つい先刻浩子の口から現地語が飛びだした機会をつかまえて、夏美がつと投げる。
「いやぁ、それがなかなか……」
 浩子はぺろりと舌を出す。
「私は個人教授についているおかげで、何とか日常会話程度はこなせるようになったのよ」  
 負けず嫌いの夏美は現地語ペラペラの貴緒に遅れを取るまいと奮起、この五年で語学力はかなり上達したようだった。
「まぁ、まだ二年だし、そのうち子どもでも産まれれば、自然と覚えるわよ」
 やや気後れした風情の浩子をとりなすように、貴緒は放つ。その刹那、冷房が切れた。お定まりのパワーカットだった。インドでは、電力供給量が充分に賄えないため、一日の定まった時間帯、二~三時間から長いときで五、六時間電源を切除する計画停電が日常茶飯行なわれていた。前回の浩子宅でも夏美が腰をあげてまもなく電気が跡絶え、唯でさえ暑い部屋で汗だくだくの死ぬような思いをさせられが、さすが設備の整った夏美宅は、強ワットの自家発電機を備えているらしく、電力を食う冷房でも程なく作動し始めた。
「停電にはさすがにうんざりさせられるわ。うちは夏美さんとこみたいにジェネレーターを備えてないから、長引くと断水になっちゃって大変」
 浩子が嘆息混じりに洩らした。上下水道の設備が整ってないインドでは、村ではいまだに地下水を汲み上げる手動ポンプでがポピュラーで、町ではモーターポンプを稼動させて地下水を屋上のタンクにまで汲み上げ、蛇口に下ろすシステムが一般にまかり通っていた。というわけで、停電が長時間に及ぶと、モーターを作動させることがかなわず、必然的に断水になってしまうのである。貴緒自身も、自家発電機の完備していなかった当初は、停電には散々悩まされたものだった。発電機は、インドの物価からすると高級品のため、安易に買うのを薦めるのも躊躇われ押し黙っていたのだが、夏美ときたらその辺の配慮がなく、
「浩子ちゃんも、レストランやってるんだし、小さいの一つ、買ったら?」
 とずけずけと放つのだった。挙げ句にインドの不便さや汚さをあげつらい、快適で便利な文明社会といかに隔たりがあるか、大仰な嘆息混じりにぼやく始末だった。インドを、そしてベナレスをこよなく愛していた貴緒は、会が現地生活の不満やストレスの掃き溜めとなることに居たたまれず、腰を上げた。
 日は既に落ちており、先達の合図を潮に即座にお開きとなった。お抱えの運転手付きの車で送らせると言ってきかない夏美に貴緒はさりげなく辞退したが、若い浩子はすっかりそのつもりで、強引に同乗を誘われ、渋々承諾せざるをえない羽目に陥った。
 店が密集して軒を並べるバザールの入り口まで外資系の高級車で送られた二人は、運転手が後部ドアをすかさず開けて客人を降ろした後直立して見送るのに、こそばゆいような感触を覚えながら、そこから徒歩で十分と離れていない各々の自宅へ急いだ。

につづく)
ジャンル:
小説
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