小学六年生から中学前期にかけて大ファンだった、GS二番手、テンプターズのアルバム動画を初めて聞いた。
どれも耳覚えのある曲ばかりで、懐かしくなった。まずはご試聴いただきたい。
テンプターズ / コレクション
以下、ザ・テンプターズのウイキから一部引用。
1967年10月にフィリップス・レコードよりシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビューした後「神様お願い」「エメラルドの伝説」「おかあさん」「秘密の合言葉」「純愛」以上5曲のTOP10ヒットを生み、ザ・タイガースとともにグループ・サウンズの最盛期を支えたバンドの一つ。1970年に解散。メンバーは以下のとおり。
松崎由治:ギター、ボーカル
萩原健一:ボーカル、ハーモニカ
田中俊夫:ギター、オルガン
高久昇:ベース
大口広司:ドラムス
実はこのうちすでに二人が亡くなっているのである。
田中さん(1997年白血病で)、大口さん(2009年肝臓癌で)である。
松崎さんは解散後、飲食店経営(大宮で焼き鳥屋)、田中さんも飲食店経営、大口さんは俳優に転向(84年大麻所持で逮捕、第一妻、女優の真行寺君枝とのあいだにミュージシャンの息子あり)とそれぞれの道を歩んでいたが、現在にいたって三人しか残存していないのはさびしい。
テンプターズは黒っぽいロック曲を得意とし、和製ストーンズとの異名をとったが、優等生タイガースに比べると、不良っぽくて男子にも人気だったという。それと、曲のほとんどがリーダーの松崎由治のオリジナルで、当時としては珍しい、音楽性も高いバンドだったんである。「神様お願い」とか、「おかあさん」(ファンの作詞コンテストで歌詞募集、松崎さんが手直しし、自らのヴォーカルで歌った異色曲、ほかのテンプターズ曲のイメージと合わないというんで内輪もめもあったようだが、私個人は好き)、歌詞とかシンプルなんだけど、メロディもキャッチイで、ちょっと求道的な匂いがして(スピリチュアル気味)、今聞くと、松崎さんの泣くような音色のギターテクもすごかったと思うばかりで、短期で作詞作曲の才能を埋もれさせてしまったのがなんとも惜しまれる(解散後は楽曲を提供したりしていたが、72年引退。芸能界と肌が合わなかったのかもしれない)。
モップスの故鈴木ヒロミツも、松崎さんの才能を認めていたし、アルフィーのラジオ番組「終わらない夢」でも、名前が出て同業者に一目置かれていたのだ。
ショーケンはドラマーの大口さんと親しくしていたようで、ともに俳優に転向、松崎さんとは溝もあったらしいが、いろいろ不祥事を起こしてからはショーケンもとみにスピリチュアルになり、後年「神様お願い」をラブソングでなく、求道的な匂いのする歌として今にも泣きそうに訴えるような調子で情感こめて歌っていたのが記憶に焼きついている。
以下、ウイキからテンプターズの成り立ちをどうぞ。
1966年に埼玉県大宮市(現:さいたま市)で結成された同名のアマチュア・バンドが前身。グループ名の由来は、バンドテーマ曲に用いていた、映画『太陽の誘惑』のサウンド・トラックスに因んで付けられた。リーダーは最初期を田中俊夫、その後音楽上の主導権から松崎由治に交代した。
1965年、当時のテンプターズは女性がボーカルを務めていた。ある日、東京朝鮮中高級学校の番長が仕切るパーティに呼ばれ、演奏する予定だったが、当日、その女性が体調を崩した為出演することが出来ず、バンドだけで出演し、歌抜きの演奏をしていた所、会場からブーイングが起こった為、番長がその時パーティのクロークを任されていた最年少の中学生の少年を指名し、ボーカルの代わりをするよう頼んだ。
その中学生の少年が後のショーケンこと萩原健一だった。
今までにきちんとした歌の練習などをした経験がなく、また大勢の人を前にして歌ったことがなかった萩原は、突然のことだった為とまどったが、番長からの指名を断るわけにはいかず、とりあえず引き受け、ビートルズの「マネー」とアニマルズの「悲しき願い」を歌った。会場には萩原の友人が多く、最年少だった萩原がいきなりステージに上がって歌ったものだから、それだけでウケまくり、拍手と歓声をあびた。
演奏を終えた後、ギターリストの松崎由治が萩原を誘い、萩原は前出の女性に代わりそのままボーカルとしてメンバーに加わることになった。
その後、弟バンドである「ジュニア・テンプターズ」からドラムスの大口が参加し、1967年春頃にデビューメンバーが揃う。
恵比寿の中川三郎ディスコティックや渋谷のリキ・スポーツパレスに出演していた1967年5月にザ・スパイダースの田邊昭知がホリプロ内の片隅を間借りする形で設立したスパイダクション(Spi Duction、現:田辺エージェンシー)にスカウトされ、「ザ・スパイダースの弟分バンド」として売り出しが図られる。6月にヤング720でテレビ初出演、8月には第33回日劇ウエスタンカーニバルに初出場し新人賞を獲得、10月に松崎が作詞・作曲したシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビューする。
1968年3月5日に発売された2枚目のシングル「神様お願い」も松崎が作詞・作曲し、オリコンで2位を獲得した。これによってザ・タイガースに次ぐ人気グループ・サウンズへと登り詰めた。続く6月に発売された「エメラルドの伝説」はオリコン1位を獲得したことでその人気は頂点に達し、同月には「ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム」も発表された。
*中学生だったショーケンが女性ヴォーカリストの穴埋めで、にわか抜擢されたというエピソードは、音楽をテーマにした拙作でも使わせていただいた(ジュリーとショーケンをミックスしたようなミュージシャンが主人公の小説だった)。
ちなみに、ショーケンのあだなの由来は、小さな健という意味であることも(元不良仲間三人のダイケン、チューケン、ショーケンのうちの最後の通称で通っていた)付記しておく。
再結成されずに埋もれてしまったバンドなので、動画が極端に少ないのが残念だが、終わりに一時間ヴァージョンのアルバムも紹介しておく(ショーケンのヴォーカルもいいが、松崎さんのギターの音色が魂にびんびん響いて耳に残る)。
The Tempters - Golden Collection - FULL ALBUM
どれも耳覚えのある曲ばかりで、懐かしくなった。まずはご試聴いただきたい。
テンプターズ / コレクション
以下、ザ・テンプターズのウイキから一部引用。
1967年10月にフィリップス・レコードよりシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビューした後「神様お願い」「エメラルドの伝説」「おかあさん」「秘密の合言葉」「純愛」以上5曲のTOP10ヒットを生み、ザ・タイガースとともにグループ・サウンズの最盛期を支えたバンドの一つ。1970年に解散。メンバーは以下のとおり。
松崎由治:ギター、ボーカル
萩原健一:ボーカル、ハーモニカ
田中俊夫:ギター、オルガン
高久昇:ベース
大口広司:ドラムス
実はこのうちすでに二人が亡くなっているのである。
田中さん(1997年白血病で)、大口さん(2009年肝臓癌で)である。
松崎さんは解散後、飲食店経営(大宮で焼き鳥屋)、田中さんも飲食店経営、大口さんは俳優に転向(84年大麻所持で逮捕、第一妻、女優の真行寺君枝とのあいだにミュージシャンの息子あり)とそれぞれの道を歩んでいたが、現在にいたって三人しか残存していないのはさびしい。
テンプターズは黒っぽいロック曲を得意とし、和製ストーンズとの異名をとったが、優等生タイガースに比べると、不良っぽくて男子にも人気だったという。それと、曲のほとんどがリーダーの松崎由治のオリジナルで、当時としては珍しい、音楽性も高いバンドだったんである。「神様お願い」とか、「おかあさん」(ファンの作詞コンテストで歌詞募集、松崎さんが手直しし、自らのヴォーカルで歌った異色曲、ほかのテンプターズ曲のイメージと合わないというんで内輪もめもあったようだが、私個人は好き)、歌詞とかシンプルなんだけど、メロディもキャッチイで、ちょっと求道的な匂いがして(スピリチュアル気味)、今聞くと、松崎さんの泣くような音色のギターテクもすごかったと思うばかりで、短期で作詞作曲の才能を埋もれさせてしまったのがなんとも惜しまれる(解散後は楽曲を提供したりしていたが、72年引退。芸能界と肌が合わなかったのかもしれない)。
モップスの故鈴木ヒロミツも、松崎さんの才能を認めていたし、アルフィーのラジオ番組「終わらない夢」でも、名前が出て同業者に一目置かれていたのだ。
ショーケンはドラマーの大口さんと親しくしていたようで、ともに俳優に転向、松崎さんとは溝もあったらしいが、いろいろ不祥事を起こしてからはショーケンもとみにスピリチュアルになり、後年「神様お願い」をラブソングでなく、求道的な匂いのする歌として今にも泣きそうに訴えるような調子で情感こめて歌っていたのが記憶に焼きついている。
以下、ウイキからテンプターズの成り立ちをどうぞ。
1966年に埼玉県大宮市(現:さいたま市)で結成された同名のアマチュア・バンドが前身。グループ名の由来は、バンドテーマ曲に用いていた、映画『太陽の誘惑』のサウンド・トラックスに因んで付けられた。リーダーは最初期を田中俊夫、その後音楽上の主導権から松崎由治に交代した。
1965年、当時のテンプターズは女性がボーカルを務めていた。ある日、東京朝鮮中高級学校の番長が仕切るパーティに呼ばれ、演奏する予定だったが、当日、その女性が体調を崩した為出演することが出来ず、バンドだけで出演し、歌抜きの演奏をしていた所、会場からブーイングが起こった為、番長がその時パーティのクロークを任されていた最年少の中学生の少年を指名し、ボーカルの代わりをするよう頼んだ。
その中学生の少年が後のショーケンこと萩原健一だった。
今までにきちんとした歌の練習などをした経験がなく、また大勢の人を前にして歌ったことがなかった萩原は、突然のことだった為とまどったが、番長からの指名を断るわけにはいかず、とりあえず引き受け、ビートルズの「マネー」とアニマルズの「悲しき願い」を歌った。会場には萩原の友人が多く、最年少だった萩原がいきなりステージに上がって歌ったものだから、それだけでウケまくり、拍手と歓声をあびた。
演奏を終えた後、ギターリストの松崎由治が萩原を誘い、萩原は前出の女性に代わりそのままボーカルとしてメンバーに加わることになった。
その後、弟バンドである「ジュニア・テンプターズ」からドラムスの大口が参加し、1967年春頃にデビューメンバーが揃う。
恵比寿の中川三郎ディスコティックや渋谷のリキ・スポーツパレスに出演していた1967年5月にザ・スパイダースの田邊昭知がホリプロ内の片隅を間借りする形で設立したスパイダクション(Spi Duction、現:田辺エージェンシー)にスカウトされ、「ザ・スパイダースの弟分バンド」として売り出しが図られる。6月にヤング720でテレビ初出演、8月には第33回日劇ウエスタンカーニバルに初出場し新人賞を獲得、10月に松崎が作詞・作曲したシングル「忘れ得ぬ君」でレコードデビューする。
1968年3月5日に発売された2枚目のシングル「神様お願い」も松崎が作詞・作曲し、オリコンで2位を獲得した。これによってザ・タイガースに次ぐ人気グループ・サウンズへと登り詰めた。続く6月に発売された「エメラルドの伝説」はオリコン1位を獲得したことでその人気は頂点に達し、同月には「ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム」も発表された。
*中学生だったショーケンが女性ヴォーカリストの穴埋めで、にわか抜擢されたというエピソードは、音楽をテーマにした拙作でも使わせていただいた(ジュリーとショーケンをミックスしたようなミュージシャンが主人公の小説だった)。
ちなみに、ショーケンのあだなの由来は、小さな健という意味であることも(元不良仲間三人のダイケン、チューケン、ショーケンのうちの最後の通称で通っていた)付記しておく。
再結成されずに埋もれてしまったバンドなので、動画が極端に少ないのが残念だが、終わりに一時間ヴァージョンのアルバムも紹介しておく(ショーケンのヴォーカルもいいが、松崎さんのギターの音色が魂にびんびん響いて耳に残る)。
The Tempters - Golden Collection - FULL ALBUM
諸般の事情があるのでしょうけど、作詞作曲の才能もあられるし、ぜひカムバックしてほしいですね。
とりあえずは、生存が確認できて、ファンとしてはうれしい限りですね。
ほんとに、ショーケンのライヴでゲスト出演してくれたら、驚喜ですね。
私の伝でタイガースの元一メンバーのマネージャーをしている旧友Fに聞いてみたところ、その筋に詳しい音楽評論家に連絡を取ってくれ、松崎さんが健在なことを確認できました。
今現在、埼玉に住んでおられるようです。
テンプターズの元一メンバーが二年前住処を訪ねられたとのことですから、生存してらっしゃることは間違いありません。
ネットの不確実な情報を信じて死亡などと誤った記事を書いてしまい、読者諸氏を混乱に陥らせたこと、ここに謹んで訂正し、深くお詫び申し上げます。
松崎さんと同じ小学校だったという「通りすがり」さん、誤報を深くお詫び申し上げます。でも、健在でよかったですね。
ぜひリバイバルしてもう一花咲かせてほしいです。
このまま埋もれるには惜しい才能です。
近々、この件に関して改めて、記事にしたいと思います。
詳細はその折に。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=74560&id=730415
「松崎氏の死亡を調べ尋ねて、直接的な確答を得られたわけではありませんが、GSに関するネットの掲示板に以下のような書き込みがありました。
それによると、元スパイダーズメンバーでテンプターズと同じプロダクションに所属していた井上堯之氏が、最近自身のライブのステージ上で(06年1月15日)、松崎氏が亡くなったと語ったそうです。
松崎氏はブライアン・ジョーンズ・カットで、自作の曲をせつせつと歌っていたあの姿を思い出します。氏は、芸能界にはなじめなかったのか、テンプターズ解散後は東京キッドブラザーズで仕事をされて在野のひとになられたようです。
ご冥福をお祈りします。(亡くなられたのが真実ならば・・)
以下、抜粋コピーです。
XXXXさん 06/01/16 Mon 18:04:08
sub:松崎由治は亡くなっていたんですね
昨日、井上堯之氏がソロでスパイダースの「ガラスの聖女」を
演るというので、青山円形劇場に聴きに行ってきました。その際、
テンプターズの松崎由治氏の話をされ、「彼は焼き鳥屋をやっていたが
亡くなりました」とのこと。もう大ショックです。詳しい話をご存知の方、
教えてください。 」
ということですが、ガセネタでしょうか。
井上氏がライヴステージ上でそう言ったのなら、人の死に関することゆえ、いい加減なものでなく、事実と思われますが。
あと、ほかにも二、三、うろ覚えですが、音楽関係者が松崎さんが亡くなったというのを聞いた記憶があります。
もし、真偽をご存知でしたら、お教えください。
私の記事が誤りなら、訂正したいと思います。
確証のない又聞き情報に烈火の如く怒るファンもいますのでお気をつけあそばし
本当に惜しい才能でしたね。
私は彼のギターの泣くような音色が大好きです。
「おかあさん」は、名曲でしたね。
ショーケンライヴ、楽しんできてください。
9月のショーケンのライブには行く予定です!
曲がヒットしてすごいねと持ち上げたら、俺は泣きながら曲や詞を書いているんだ、ヒットするのは当たり前とこたえたとか。
ギターのテクニックにも、定評がありましたね。
結局芸能界を引退し飲食店経営に甘んじるんですが、惜しい才能でした。
残念です。
ギターの音色がすばらしかったし、作詞作曲能力もあられた。テンプターズの名盤は、今聞いても胸に染み入る名曲ばかりで、飽きません。
テンプターズのメンバーはショーケンとあと一人除いて、全滅です。
タイガースとスパイダースが唯一全員健在の元GSでしたが、最近かまやつひろしさんが、亡くなられましたね。
ご教示ください。