インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

日印の狭間で(2012年度文芸思潮エッセイ賞佳作作品)

2017-04-05 19:49:30 | E全集(受賞作ほかのノンフィクション、2017~)
日印の狭間で

                                  李耶シャンカール

 インドに暮らして25年になる。振り返ってみれば、あっというまの四半世紀であった。東京での生活に見切りをつけて日本脱出を図ったのが、1987年32歳のとき、かねてより永住の地と焦がれていた東インド・オリッサ州のプリーという小さな町に移り住んだ。ここベンガル湾沿いの風光明媚な聖地にホテルをオープンするつもりで現地人パートナー探しが始まったが、一年後ひょんな成り行きでビジネスパートナーと仰ぐ現地男性と結婚、小さな洋館を借りて「ラブ&ライフ」という名の安宿をオープンした。
 今でこそ、インドも経済繁栄と持ち上げられているが、当時は後進国もいいとこ、順応するのにひとかどでない苦労を強いられた。それまで三度の渡航歴があり、インドのことは少しはわかったつもりでいた私だったが、旅行者としてざっと撫ですぎた体験と、実際に生活するのには大きなギャップがあり、インドでものを書いていきたいと思っていた私にとっては、インフラ整備等の物理的な環境が整っていないことが、苛酷な気候とあいまってしんどかった。停電しょっちゅう、蒸し風呂のような部屋で洪水のような汗を流しながらの原稿書きで体を壊す羽目になってしまったことも一度や二度じゃなかった。
 加えて、慣れない宿経営、オープン当初は日本人妻が経営するプリー初の宿というので、人力車の車夫が気をきかして日本人ばかり引っ張ってくるようになったせいである。そのうち、日本の有名ガイドブックにも推薦文が掲載され、ネームバリューはさらに上がった。しかし、土台女将という柄ではなく、貫禄のない私はいつも旅行者に間違えられてばかり、社交もどちらかといえば苦手のため、接待ともなると、かなり無理をしなければならなかった。何せ客商売のなんたるかもわからぬ、バックパッカー出身のど素人女将ゆえ、戸惑うことが多かったのである。こんなはずじゃなかったと、歯ぎしりすることもしばしばで、私の頭の中の、安楽椅子にのさばって傲然と使用人に指示を下すホテルオーナーの図はあえなく、雲散霧消した。夫にホテル経営歴があったため、何がしかの助力は得られたが、本来の執筆業との落差に、等し並みでない葛藤を強いられたのである。91年に新築移転以降は客層がインターナショナルに広がったため、ようやく、宿経営と執筆の両立が可能になった。

 とはいえ、長年異国に暮らすと、当然のように母国への郷愁が湧き上がってくるもので、距離があるがための美しい幻想と分かっていて、日本恋しさあまり、一ー二年に一度は帰国を繰り返した。後厄ということもあったのだろう、三十台半ばごろはとくに迷いの多い時期で、実験的に長めに日本に滞在しライター業に従事、理想と仰ぐ日印半々生活を実現しようと苦闘したこともあった。あの頃はほんとに帰国病に取り憑かれていたといって過言でないくらい、むしょうに日本に帰りたくて仕方がなかった。日本の物価に比べると十分の一の後進国で外貨価値のないルピーをいくら稼いだところで、将来性がないと絶望的になっていたのだ。ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の対立などの社会不安も、帰りたい病に拍車をかけた。私には、同じインド人なのに、宗教が違うだけで殺しあう国民性がわからなかった。惚れ込んで住み着いたはずのインドへの不信感は黒雲のように膨れ上がっていた。

 このまま夫ともども日本に居ついてしまおうかと思ったこともあったが、結局、私にはインドを見限れなかった。それは、ベンガル海をこよなく愛していたということもある。東西にすがすがしい真一文字の海岸線を刷いて開ける壮大なベンガル湾、陸(おか)を洗う荒波の目に染む白さに、文明社会で降り積もった垢のことごとくがひだの隅々まで洗いすすがれていく爽快感を味わい、移住を決めた私だったのだ。すがすがしい青磁色の大海から昇る荘厳なるベンガルの朱(あけ)の暁が、そしておかに沈むサフラン色の壮麗な日没が、いつも私のホームシックを癒してくれた。孤独や寂しさを覚えると、私は常に海に向かっていた。そのうちに四半世紀が過ぎていたというわけだ。

 日本に戻りたいとの帰巣本能にそそのかされて一時帰国を繰り返しながらも、結局私はまたあの東西に長々と伸びる壮大な海へと戻っていくのだろう。インドにいて母郷を思い、日本に在ってインドを恋う、わが胸のうちに死ぬまでその矛盾を抱えていくことになるのだろう。母国と移住地と二つの国の狭間で引き裂かれる切なさは当の移住者にしか実感としてわからないものだ。わが遺灰の半分はベンガル海に撒いてもらい、残り半分は郷里の墓地に埋めてもらおうと、今からひそかに決めている私である。


*解説
 2012年に初めて、文芸思潮誌主宰のエッセイ賞にトライ、佳作を射止めた作品である。実はタイトルは、編集長に「ベンガル海に」との変更を迫られたのだが、改めて全集にアップするにあたって、オリジナルのタイトルに戻らせていただいた。
 以後五年エッセイ賞(奨励賞一度・佳作四度)に輝き、同誌主宰の小説賞・銀華文学賞(奨励賞一度・佳作五度)と、五年連続ダブル受賞の快挙を成し遂げた。
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