インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

帰国日誌を終えて・あとがき

2010-02-05 02:01:16 | 
長い長い帰国日誌にお付き合いいただき、ありがとうございました。
やっと、完結することができました。                  

       

今回はたくさん観光をしたので、余すところなくお伝えしたいと欲張って、長っ
たらしいものになってしまった記事もありました。
読み苦しい箇所もあったかと思いますが、ご容赦ください。
それにしても時がたつにつれ、最初の印象は薄れてしまうもので、この種のレ
ポートは生が一番、その場で印象が鮮明なうちにお伝えできれば、ベストだった
のだろうと悔やまれてなりません。とくにカンチャナブリの戦争博物館について
は見たその日に克明にメモをとっておくべきだったと悔やんでいます。デジカメ
すら忘れてしまうどじぶりです。

日本では、毎日親族・友人と旧交を温めるのに忙しく、好きな本もゆっくり紐解
けず、ネットもメールチェックと送信のみが精一杯でとても同時発信している暇
はありませんでした。

気合の入る取材旅行と違ってあくまでエンジョイのための個人旅行とはいえ、見
てるようできちんと見てないいい加減さ、記憶のあいまいさにはわれながらあき
れるばかり、ネットで調べなおすのにずいぶん時間をとられてしまいました。
メモもいい加減で、写真も適当に撮ってるから、ほんと日記に毛の生えた程度の
レポートしかできませんでしたが、今回の帰国旅行は私個人にとっても記念すべ
き思い出深いものとなったので、なるたけ克明に残しておきたいとの気持ちがあ
りました。

いい写真が撮れなかった分、心の目に焼き付けたつもりでいます。
とくに兼六園の夜の紅葉の妖艶美。

気持ちのどこかを日本に置き忘れてきてしまったようで、いまだ郷愁やみがた
き……、海外生活23年になる私にも、確実に心境の変化が訪れているようです。
日本にベースを作る日はそう遠くないかもしれません。
ですが、ここ当分は、従来どおり、インドの日常をぼちぼち書き綴っていこう
と思っております。
懲りずにお付き合いくださいますように。

今後とも、ご愛読のほどくれぐれもよろしくお願い申し上げます。


                           


著者/モハンティ三智江

*写真は金沢兼六園の紅葉
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帰国日誌35最終編・バンコック→カルカッタ

2010-02-05 01:09:30 | 
<12月19-20日>
翌昼12時、トングミー(写真)をチェックアウト、徒歩で行ける車道沿いにある
ミニバス乗り場へと向かった。前日すでにチェック済みだった停留所だ。バン
コックまで一人180バーツだったが、さすがに行きののろかったバスと違って、
スピーディーだった。が、バンコック市内から常宿までが渋滞に巻き込まれ、や
たら長かった。
待ち時間もメーターに加算されるため、残金があまりない私たちはひやひや。
レートのいいバンコックで両替しようと、ホアヒンでは怠ったのである。

          

延々一時間半もかかって着いたのが四時半。バンコックの日中の渋滞は誠悪名高く、
空港から市内に出るのもこの時間帯にぶつかると、ン時間かかってしまう。いら
いらすることこの上ないが、運転手さんは慣れっこのようだ。幸いにも、お金も
間に合った。早速の両替がてら、夫の短パンを物色しようと思ったが、いいのが
見つからず、私のナイティ(夜着・100B)だけ買って、ピザハットでバイキング
ピザ145Bをテイクアウトして、セブンイレブンで買ったビール二本とともに流し
込んだ。
昨夜眠れなかったことの疲れがどっと出て、トランクの荷造りは明朝回しにして、
さっさと寝てしまった。

                

翌20日のニューインディアエックスプレスのフライトはEチケットによると、
13時45分で、ばたばたあわただしく別れの挨拶をして、午前10時過ぎゲストハウ
スを出て予約済みのタクシーでスワルナブミ国際空港に向かったが、なんとフラ
イトは遅れに遅れて、飛び立ったのは18時近く、延々空港で待たされてさすがに
うんざりした。
免税店では赤白オーストラリア産ワイン(ハーディ社のメルロー)と、スコッ
チウイスキー、555シガーと、余っていたバーツを残らず使い果たしたあげく足り
ない分1ドルを追加、ほぼ予算内に納まった。

                        

二月近くの長い旅程を終えて、やっと出発地カルカッタの汚くてお粗末な空港に
戻ってきたが、通関はわりとスムーズにいったものの、トランクがもう一ケ運ば
れてこず、すわっ。スチュワーデスに確かめると、全部出したと言い張り、埒が
明かない。私たちだけでなく、ほかにも、ローカル客や白人旅行者が降りてこな
い荷物に困惑顔だった。声高に文句を言う客たち、通路をうろうろしている別の
係員に聞くと、待て、また流れてくるからという。
その通り、ほどなく、止まっていたベルトコンベアがまた動き出し、どこかで滞っ
ていたらしい荷物がどどっと流れてきて、ほっと胸をなでおろしたことには、その
中にわがトランクも混じっていた。
それにしても、スチュワーデスのいいころ加減さには唖然。

                              


すでに午後8時近くなっていたため、私たちは大慌てで空港を出て、雲助タクシー
とすったもんだの末に、まともな運ちゃんをラッキーにも見つけて、ハウラー駅に
猛スピードで直進した。
午後10時発の列車切符はすでに購入済みだったのだ。
飛行機が大幅に遅れたのみならず、空港でトランク渋滞に引っかかって、間に合
うかどうかの危うい瀬戸際。
が、この運ちゃんがいい奴で、ものすごい勢いで飛ばしてくれ、目指す駅に着い
たのは9時10分、遠郊の空港から一時間ちょっとの超早業、十分間に合った。

                                        

ウエイティングリストだったので、取れているかどうか心配だったが、駅の掲示
板に貼りだされたリストを確認すると、ほっ、よかった、あったあった、重いト
ランク担ぎのポーター伴って、一時間後にホームに入った列車のエアコン客室に
乗り込んだ。この時期冷房は不要だが、エアコン室しかとれなかったのである。
クリスマス前だから仕方ない。行きもエアコン、特安のガリブ(貧乏)エックス
プレスだったが、ガリブでないため、値段は300ルピー近く跳ね上がる。
その代わり、シーツや毛布、枕類は完備、コンパートメントはカーテンつき。別
にどうということはない、同じエアコンなら、ガリブのほうがずっと安くてお薦
めである。今の時期、セカンドスリーパーでもオーケーだ。
席が51と7と離れていたが、とれただけ運がよかったと思わねば。夫の座席の下に
はトランクニケ、寝ずの番をせねばならない。
あたふたしたが、なんのことはない、正確な発車時刻は10時半で、インドの常で
30分ほど遅れたので悠々だった。

                      

翌朝8時半、インドの急行にしては少し遅れたくらいでわが居住地プリーに到着。
オートリキシャにかさばる荷を詰め込んで、やっと我が家に到着、マネージャー
の甥が笑顔で出迎えてくれた。不在中変わりはなかったようで、ホテルもおかげ
さまでそこそこ繁盛、日本滞在中息子が急遽パソコンノートを新規購入しなけれ
ばならぬ羽目に陥ったときも、彼にホテル収入から賄ってもらって事なきを得た。
お礼を行って中へ。真っ先に私の体調を気遣って糾してくれたやさしい甥でも
あった。
何はともあれ、無事帰れてよかったよかった、紛失物は一つもないし、私も若干
の体の故障はあったもののなんとか当地に帰ってこれた、感謝感謝。
今回は観光地をたくさん周ったため、大変充実した帰国旅行ともなった。

その日はトランク整理に大わらわ、荷を解くだけで一日が終わってしまった。

                                    
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