佐世保便り

佐世保市民になって2011年7月で丸3年。
石木ダムや原発や平和について、その他もろもろ日々の雑感をお届けしています。

セシウム137は、チェルノブイリの200倍以上

2012-05-16 | 原発・プルサーマル

5月13日、反原発自治体議員・市民連盟の第2回総会があったそうです。

その記念講演をおこなった元スイス大使の村田光平さんが、

4月2日枝野経産大臣に嘆願書を提出されました。

その原稿が転送されてきましたので、ここに転載します。

 

福島第一原発に存在するセシウム137は3.93億キュリーで、

チェルノブイリ事故により放出された総量の200倍以上だそうです。

 

私たち日本人がいかにノーテンキな日々を送っているか・・・

世界の科学者たちはきっと理解に苦しんでいることでしょう。

 

枝野幸男経済産業大臣殿

                                        平成24年4月2日

                                  村田光平(元駐スイス大使) 

 拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

4号機問題は各方面で大きな反響を呼んでおります。

知人から転送頂いた別添の米国の核科学者RobertAvarez博士の見解によれば

福島第一原発に存在するセシウム137は3.93億キュリーで、チェルノブイリ事故に

より放出された総量の200倍以上とのことです。

また、これは大気中で行われた核実験及び世界中の再処理工場がこれまでに放出

した総量の1.45倍〈145%〉以上とのことです。

 福島第一原発の原子炉建屋内の燃料プールと共有プールにある使用済み燃料棒

の数は圧力容器内のものを除き合計すれば11442本になります。

国民の誰もが驚くと思われます。

 日本の、そして世界の命運が激増する余震如何にかかっている状況下で4号機問題

が緊急の最優先課題となっていないことはもはや許されないと確信します。

昨晩福島で震度5弱の地震がありました。ゾッとしました。

この問題の重大性からすれば再稼動問題にせよ、浜岡再開にせよ問題外に映じます。

放置できないと信じます。

政策論など立場の相違を超越して国民の総力で取り組むべき問題です。

 

 どうか貴大臣のご理解とご支援をお願い申し上げます。

 

                                                  敬具

----------------------------------------------------------------------------------

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

おおい町議会 大飯原発再稼動を容認

2012-05-15 | 原発・プルサーマル

昨日5月14日、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働問題で、

福井県おおい町議会は、全員協議会を開き、11対1の賛成多数で再稼働を容認しました。

これを受け、時岡忍町長は「今月中」に判断のめどを出すと表明。

新谷議長は「民意は再稼動」と言ってましたが、本当なのでしょうか?

「原発の安全確保を最優先とする政府の求心力に期待する」とも言ってましたが、

政府の安全宣言はもう誰も信じなくなっているのではないでしょうか?

 

一方、同じ14日、脱原発首長会議の皆さんは、経産省を訪ね脱原発への申し入れを行い、

東海村の村上村長は「再稼動はばかげている」と批判しましたね。

 

 

「再稼働ばかげている」 

脱原発首長会議 経産副大臣に迫る

柳沢経産副大臣(右)に申し入れをする「脱原発をめざす首長会議」の(左から)三上元・湖西市長、村上達也東海村長ら=14日、東京・霞が関の経済産業省で(由木直子撮影)

写真

 四月末に発足した「脱原発をめざす首長会議」の村上達也・茨城県東海村長、三上元(はじめ)・静岡県湖西市長らが十四日、経済産業省で柳沢光美副大臣と会談し、設立会合で可決した決議文を手渡して脱原発に向けた取り組みを求めた。

 首長会議は原発に依存しない地域づくりを主張する全国三十五都道府県の首長・元首長七十二人が参加。決議文では、政府の新エネルギー基本計画で「原発ゼロ」を決定するよう要求。関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)をはじめ原発の再稼働では「拙速に陥らず、自治体・住民の合意形成を求める」とした。

 三上市長は柳沢副大臣に「脱原発派と推進派の割合は今や八対二」と脱原発を求める世論の高まりを指摘。「(原発)ゼロの方向へ、ぜひとも決めてほしい」と迫った。

 村上村長は、再稼働や電気料金値上げを推進する官財界の動きを「国民と遊離すると思う。なし崩し的に再稼働というばかげたことをやれば(日本は)第二、第三の敗戦になる」と批判した。

 柳沢副大臣は「再生可能エネルギーに正面から取り組む方向性は出ている」などと、政府の取り組みに理解を求めた。原発停止による今夏の電力不足への心配も示したが、三上市長らは再稼働せずとも節電で乗り切ることが可能と反論した。

 

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

電力会社を追い出した町

2012-05-14 | 原発・プルサーマル

4月30日、NHKで放映されたこの番組ご覧になりましたか?

私は見そこなっていましたが、友人に教えてもらってユーチューブで見ることができました。

ドイツのある小さな町が起こしたエネルギー革命?は必見の価値あり!です。

しかも、その革命のリーダーは普通の主婦だったのですから。

 

 

 私たちにもできそう?…希望が湧いてきますね! 

 

いえいえ、すでにそんな町が日本にもあるようですよ。

5月2日の報道ステーションで紹介された「日本で電力会社から独立している地区」、

こちらも必見です。

 

 

 

こんな動きが広がってほしいですね。

市民だけでなく企業も一緒になって、持続可能な暮らしの構築を目指せば、

安全なエネルギーの確保が、より早く実現できるはず・・・

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

子どもたちへ

2012-05-13 | 雑感

「母の日」前日に届きました。

娘よ、素敵なお花をありがとう。

息子よ、美味しいケーキをありがとう。

 

当日不在だったわけは・・・

こんなところに出かけていたのです。

石木川の源流を訪ねて・・・

ほら、岩陰から水が沁み出ているでしょ?

これが源流です。

詳しい様子はこちら→http://blog.goo.ne.jp/hotaru392011/d/20120513

 

久しぶりの山歩き・・・

ちょっとしんどかったけど、まだまだ大丈夫でしたよ。

 

元気でいることが、あなたたちへのお礼のメッセージ。

安心してね。

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

飛騨高山

2012-05-11 | 

昨日に続き、今日(10日)も変わりやすいお天気の一日でした。

飛騨高山も降ったり晴れたり曇ったり・・

予想以上に寒かったので、古い町並み散策はそこそこにして、

「からくりミュージアム」に駆け込みました。

 

 

からくり人形の定番、茶坊主がお茶を運んできて戻るところ。

お茶は、修学旅行生の男の子が美味しそうに飲みほしました。

牛若丸と弁慶の闘いの場面。

どれもよくできていて、うまく動かせるもんだと感心してしまいます。

現代のようなハイテク技術ではなく、昔ながらの糸や棒やゼンマイを使っての仕掛けです。

一番驚いたのがこちら。

この人形がなんと!真っ白な紙に、文字を書いていくのです。

疑り深い私は、客席を離れて、横から見ていましたが、本当にお人形が字を書いていたのです。

その作品がこちら!

これをもらった学生さんは、まだ墨が濡れた状態だったので驚いてました。

 

次に向かったのは、飛騨の里。

そこは、まるで古民家の博物館!

世界遺産の「白川郷」のような合掌造りの民家が、何軒もそのままそっくり保存されていて、

白川郷よりいい点は、どなたも住んでいないから、外も中も自由に見学できます。

重要文化財に指定されている旧若山家の暗い階段を上っていくと、

2階部分の屋根の造りがよくわかりました。かなり急こう配です。

暖かくて、風通しがよくて、雪が自然に滑り落ちてゆく、風土に合った建築技術です。

人は1階で暮らし、この2階部分は養蚕の飼育場だったとか。

 

こちらは旧「八月一日」家。

なんと読むかわかります?

「ほづみ」家です。

旧暦の8月1日は、現在の9月10日頃にあたり、

その頃この地方では、粟や稗などの雑穀が実り、穂を摘んで収穫したことから、

8月1日=穂を摘む日=ほづみ

と読むようになったそうです。

 

こちらは、今の水道と流し台のようなものでしょう。

土の付いた野菜など洗うのに便利そうです。

さて、これは何かわかりますか?

これも、国指定重要民俗文化財と書かれていますが・・・

わからないだろうな〜

想像もつかないと思いますよ。

答は、肥壺。

こえつぼ=下肥の蓄積用具

この容器を水田の縁に半分ほど埋めて、そこに自宅から「肥」を運んできて溜めていたのですね。

このような石造りのものは珍しいのだそうです。

 

工芸館では、一位一刀彫りの実演を見に行きました。

一位(イチイ)の木は年数を経るほどに艶がでてきて、とても美しい。

昔の高官の正一位の人が持つ笏を造るのに使われていた木だから、「一位」と名付けられたとか。

そんな説明を聴きながら、幸せ(福)を呼ぶフクロウの作品を買ってしまいました。

 

そろそろ次の目的地へ向かう時間となり、出口に向かっていた時、

ガイドさんとおぼしきおじいさんから声をかけられました。

おじいさんは心底この飛騨を愛しているようで、飛騨の匠の技術の素晴らしさを熱く語り始めました。

持統天皇の時代から、飛騨の匠は名を轟かせていた、あの平城京も飛騨の職人が造ったのだ、

また、合掌造りの茅葺の家は台風にも地震にもビクともしない、

それは、風が通り抜ける構造なので風で倒れることもないし、

屋台骨は穴にさしこんでいるだけなので、家自身も地面と同じように揺れて抵抗しないから、

などと教えてくれました。

 

が、その飛騨への誇りが、飛騨の貧しさを印象付けた「ああ、野麦峠」への怒りとなり、

あの作品は嘘ばかり書いてある。

主人公の女性の家はそんなに貧しくなかったし、

雪が降る時期まで働いていたはずはない。

などと、ますます熱くなって・・・。

 

しかし、もう時間もなくなったので、お礼を言って別れ、目的地へ急ぐことに・・・

 

目的地とは、実は、その野麦峠でした。

野麦峠は、岐阜県と長野県の県境にあり、

3000mを超す乗鞍岳と御岳の間にある、1672mの峠です。

明治から大正にかけての生糸工業全盛時代、

飛騨の若い娘たちは女工として、岡谷の生糸工場へ働きに出かけていましたが、

そのとき必ずこの野麦峠を超えなければなりませんでした。

その女工たちを描いた作品「あゝ野麦峠」(1968年山本茂実著)の大ヒットで、

野麦峠の名は全国的に知られるようになり、

1979年の映画化で、さらに有名になったようです。

この石碑の近くには、こんな像も立っています。

病に倒れた主人公「みね」は、兄に背負われて工場から家に戻ろうとしますが、

野麦峠まできて、「ああ、飛騨が見える、飛騨が見える」と喜んで、

そこで力尽きて亡くなってしまいます。

そのシーンの像です。

 

映画『あゝ野麦峠』では、そのような悲しい話ばかりがクローズアップされ、

いつしか、原作の山本茂実氏は「嘘つき」とか「諏訪の敵」と見られるようになってしまったそうです。

(実際の作品は、もっと客観的に工場経営者の苦労話なども含め、多面的に描かれていたようです)

また、誇り高い飛騨の人からは、飛騨が極貧の地域のように描かれていることへの反発が生まれたとか。

「飛騨の里」のおじいちゃんガイドさんが怒ってた意味がやっとわかりました。

 

でも、富国強兵策の陰で日本の産業を支えた娘たちの過酷な労働と、

その娘たちが工場とふる里を行き来した難所『野麦峠』の存在を広く知らしめた功績は大きいし、

私も覚えておきたいと思いました。

 

こちらは、元女工さんの証言です。

野麦峠にある資料館に展示されていました。

学校を卒業してすぐ12歳で女工になり、14年間働いた清観(きよみ)さんの話では、

木綿の着物と赤い腰巻と草履姿で、残雪多い山道を超えて行ったと言います。

急な谷では落ちて亡くなる人もいたそうです。

女工哀歌の一節、

「野麦峠は ただでは越さぬ 一つ身のため 親のため」は、

哀しいだけではない、強く健気な娘たちの心を歌っているようです。

 

ところで、「野麦」ってわかりますか?

野の麦ではありませんよ。

実は「クマザサ」のこと。

クマザサが一斉に花を咲かせ実をつけたとき、その様子が麦の様に見えるので、

その実のことを飛騨では野麦と言ったそうです。

これも初めて知りました。

 

今回の旅では、いろんな「へぇ〜」がありました。

信州がとても好きになりました。

信州の魅力は、雄大で美しい自然だけでなく、深い感動がありますね。

山道を分け入るように一歩ずつ。

 

最後に野麦峠の空気を思いっきり吸い込んで、一路佐世保へ・・・。

 

コメント (0) |  トラックバック (0) |