教職免許更新の講座で、「国学者 賀茂真淵」を聞く。
午後の昼下がりの時間帯。
賀茂真淵について研究した人が講師で、多くの資料を元に、プレゼンで説明をされた。
国学とは、江戸中期、戦もなく平和な時代に、「古事記」「万葉集」「日本書紀」を研究する学問。儒教や仏教が日本に入ってくる前の
文化を追究する学問。
郷土出身の賀茂真淵は、神官の家に生まれ、京都の荷田春満に師事し、その後、江戸に入り、将軍家の田安宗武に仕えたという。
40歳を過ぎて、各地を回り、松坂で本居宣長に出会い、国学について伝授したという。
当時の学者たちは、旅をしながら、文献を調べ、実証していったという。
取材活動、フィールドワークとでもいうのだろうか。
そして、学問が、弟子に受け継がれ、学友が生まれ、伝承されていったことも、分かった。
当時は、階層社会なので、庶民が、彼らの文献を目にすることもなければ、教えを受けることもなかっただろう。
しかし、教養人たちは、和歌を詠み、日本語を頼りに、古きよき伝統を守っていこうとしたのだろう。
現代でいうと、やや右寄りというか、ナショナリズムというか、国粋主義というか、大和魂というか、
きな臭い感じがしないでもないが、純粋に、万葉時代を慈しむ、リスペクトする精神が元になっているのかと思う。
現在は、国学者は、日本に2人しかいないと聞く。
午後の昼下がりの時間帯。
賀茂真淵について研究した人が講師で、多くの資料を元に、プレゼンで説明をされた。
国学とは、江戸中期、戦もなく平和な時代に、「古事記」「万葉集」「日本書紀」を研究する学問。儒教や仏教が日本に入ってくる前の
文化を追究する学問。
郷土出身の賀茂真淵は、神官の家に生まれ、京都の荷田春満に師事し、その後、江戸に入り、将軍家の田安宗武に仕えたという。
40歳を過ぎて、各地を回り、松坂で本居宣長に出会い、国学について伝授したという。
当時の学者たちは、旅をしながら、文献を調べ、実証していったという。
取材活動、フィールドワークとでもいうのだろうか。
そして、学問が、弟子に受け継がれ、学友が生まれ、伝承されていったことも、分かった。
当時は、階層社会なので、庶民が、彼らの文献を目にすることもなければ、教えを受けることもなかっただろう。
しかし、教養人たちは、和歌を詠み、日本語を頼りに、古きよき伝統を守っていこうとしたのだろう。
現代でいうと、やや右寄りというか、ナショナリズムというか、国粋主義というか、大和魂というか、
きな臭い感じがしないでもないが、純粋に、万葉時代を慈しむ、リスペクトする精神が元になっているのかと思う。
現在は、国学者は、日本に2人しかいないと聞く。