貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

 松 島 

2017-03-14 11:25:42 | 日記
 松 島

 平成27年7月18日 14:30~

 3回目の訪問だが、震災後は初めて。

 日本三景の一つで、古来歌枕としても著名

なところである。

 芭蕉の書簡には、「松島の朧月」とか、

奥の細道の冒頭には、「松嶋の月先ず心に

かかりて」と表していることからも、

松島への思いは強い。

しかし、松島での芭蕉の句はない。

 その訳を、伊賀蕉門・服部土芳の「三冊子」

に見られる「師のいはく、

『絶景にむかふ時は、うばはれて不叶』」

をもとに考えれば、

松島では、「扶桑第一の好風」をまのあたりに

し、感動の余り思うように句が作れなかったと

いうことになるのだろうが、

その一方で、中国の文人的姿勢

「景にあうては唖す(絶景の前では黙して語ら

ず)」に感化され、意識的に句を示さなかった

とする見方もある。

ただし、「おくのほそ道」に記すことはなか

ったが、芭蕉の句に

「島々や千々  に砕きて夏の海」

という松島を詠んだものがあり、

本句は、「蕉翁全伝附録」に、 

「松島は好風扶桑第一の景とかや。古今の人の

風情、この島にのみおもひよせて、心を尽し、

たくみをめぐらす。

をよそ海のよも三里計にて、さまざまの島々、

奇曲天工の 妙を刻なせるがごとく、おのおの

松生茂りて、うるはしさ花やかさ、いはむかた

なし。」の前書付きで所収されている。

松島や ああ...

 「松島や ああ松島や 松島や」の句が広く知

られ、これが芭蕉作といわれることがあるが、

実際は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の

狂歌師・田原坊が作ったもの。

 仙台藩の儒者・桜田欽齊著「松島図誌」に載っ

た田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」

の「さて」が「ああ」に変化し、今に伝えられ

ている。

6年前の震災の生々しさ・・・大谷海岸道の駅