93歳で昨年亡くなった伯母の法事に行ってきた。
伯母は父の兄のお嫁さんで、私が最後に伯母に会ったのは自分の結婚式の時だから、伯母とはもう30年近く会っていなかった。
しかし、昔よく家に遊びに来ていたので、伯母の顔も声も話し方もいまでもはっきりと思い出すことができる。
その伯母の一周忌法要ということで招待状を頂いた。
父が生きていた頃は、父が代表して親戚の冠婚葬祭に出席してくれていたのだが、父がいなくなり、今度は私が代表して出席することになった。
会場へ入り伯母の遺影の前で焼香をした。
伯母にはしばらく会っていなかったが、遺影に写った笑顔は昔とちっとも変わっていなかった。
焼香後、ゆっくりと会場内を見回すと、なんと周囲は見知らぬ方ばかりで、一瞬「会場を間違えたか?」と焦ったが、祭壇に置かれた遺影は伯母なので、そこで間違いはなかった。
周囲は親戚のはずだが知らない顔ばかりという、なんだか浦島太郎になったような心境で、どこに座ったらいいのかと迷っていたら、知った顔のいとこが挨拶に来てくれた。
父方のいとこなのだが、父は6人姉弟の末っ子だったので、いとこたちはみんな私たち姉弟よりも年齢が高い。
そのため、子供の頃にいとこたちと遊んだ記憶は全くない。
挨拶に来てくれたいとこも、昔の面影はあるものの、すっかりお年を取ってしまっていた。
昔はいとこと会っても歳が違いすぎて遊ぶことはおろか、話をすることもなかったのだが、今やっといとこたちと対等に話ができる年齢になった。
今回はいとこのお嫁さんである方と隣同士で席に座り、色々なお話をした。
この女性は、農家をやっていたイトコと結婚して、すぐに義父母と同居を始めて家事や農作業などにいつも忙しそうに働いていた。
子供の頃に家族で遊びに行くと、私の伯父と伯母が「〇〇ちゃん、お茶出して」とか「果物出して」などとお嫁さんに指図するので、「私たちのせいで忙しい想いをさせてかわいそうだなぁ」と思っていた記憶がある。
伯父も伯母もずっと前に亡くなり、旦那であるいとこも亡くなったので、今は息子と二人でのんびり野菜を作っているそうだ。
「農家に嫁いで、すぐに同居して、家事や農作業もやって大変だったでしょう?」と言ったら「ううん、あの頃はみんなそうだったから、それが当たり前だと思ってやっていたの。別に大変だったと思ったことはないよ」と言った。
「でもね、今はそんなこと言ってたら嫁が来ないんだよ。農家って言うだけで、嫁が来ないのに、同居して農作業も手伝わされるなんてこと言ったら、ますます嫁のなり手がいないんだから」と教えてくれた。
そんなわけで、40歳になる息子さんにまだ結婚相手が見つからないとこぼしていた。
ずっと年上のお姉さんで話したこともない方だったが、今回は昔からの知り合いのようにたくさんお話をすることができた。
ところで、見たことのない親戚の方々は一体どちらの方なのかと思ったら、今日の「主人公」である伯母の孫たちとその伴侶&子どもたちだということがわかった。
こちらはみなさん、まだお若くて30代と思われる方々ばかり。
連れている子どもたちもまだ小さくて、会場内を元気いっぱいに走り回っていた。
そして、若い方たちともお話しすることができた。
「この前、友だちの家の近所に同じ苗字の家があったんです。友達から親戚なの?って聞かれたけど、分からなくて・・・でも、やっぱり親戚だったんですね!」
若い奥様からそう言われて、「そうそう!それ、うちの実家」と私が答えた。
実家の苗字つまり私の旧姓だが、めずらしいというのかあまり見かけない苗字なので、彼女は友だちから「親戚?」と聞かれたのだと思う。
そこで母から聞いていたルーツを若いご夫婦に伝授してあげた。
「私のおじいちゃん、つまりあなたたちの曾おじいちゃんが、20歳の時に関東から船で北海道に来たんだって。新しい土地で一旗あげようと思って来たらしいけど、結局あげられなかったみたいだね(笑)」
「苗字だけど、こちらではあまりない名前だけど、おじいちゃんの出身地の村には多くいるそうだよ。源氏の由来らしいけど、その辺はもうよく分からない」
そんなことを教えてあげたら、「へ~そうだったんだ」と目を輝かせて聞いてくれた。
会ったこともなかった親戚や話したこともなかった親戚と話すことができて、本当に楽しい法事だった。
(楽しかったなんて言ったら伯母さんに怒られるかな?)
伯母さんもお話し好きの人だったから、もしかしたら一緒に話に加わっていたのかもしれない。
今から100年以上前、一組の男女が結婚して子供を産み、さらにその子供たちが結婚して家族を持ち、そしてまたその子供たちが子どもを産んで・・・
最初は二人の男女だったのに、たった100年ちょっとの間にどれだけの人間が増えていったのだろうか。
一組の男女の結婚が、いつしか色々な家系とまざりあって、織物を織るようにどんどん広がって行く。
当たり前だけれど、なんだか不思議・・・
今、おじいちゃんとおばあちゃんが、こんなに子孫が増えたことを知ったら、びっくりして腰を抜かしちゃうかもしれない。
それを想うと、おじいちゃんやおばあちゃんのずっとずっと前には、一体どれほどの人たち(先祖)がいるのだろうかと思う。
きっと数も分からないほどすごい人数のはず。
だから、その人たちに感謝をしたいと心から思う。
あなた達がいてくれたお陰で、私がいます・・・
伯母は父の兄のお嫁さんで、私が最後に伯母に会ったのは自分の結婚式の時だから、伯母とはもう30年近く会っていなかった。
しかし、昔よく家に遊びに来ていたので、伯母の顔も声も話し方もいまでもはっきりと思い出すことができる。
その伯母の一周忌法要ということで招待状を頂いた。
父が生きていた頃は、父が代表して親戚の冠婚葬祭に出席してくれていたのだが、父がいなくなり、今度は私が代表して出席することになった。
会場へ入り伯母の遺影の前で焼香をした。
伯母にはしばらく会っていなかったが、遺影に写った笑顔は昔とちっとも変わっていなかった。
焼香後、ゆっくりと会場内を見回すと、なんと周囲は見知らぬ方ばかりで、一瞬「会場を間違えたか?」と焦ったが、祭壇に置かれた遺影は伯母なので、そこで間違いはなかった。
周囲は親戚のはずだが知らない顔ばかりという、なんだか浦島太郎になったような心境で、どこに座ったらいいのかと迷っていたら、知った顔のいとこが挨拶に来てくれた。
父方のいとこなのだが、父は6人姉弟の末っ子だったので、いとこたちはみんな私たち姉弟よりも年齢が高い。
そのため、子供の頃にいとこたちと遊んだ記憶は全くない。
挨拶に来てくれたいとこも、昔の面影はあるものの、すっかりお年を取ってしまっていた。
昔はいとこと会っても歳が違いすぎて遊ぶことはおろか、話をすることもなかったのだが、今やっといとこたちと対等に話ができる年齢になった。
今回はいとこのお嫁さんである方と隣同士で席に座り、色々なお話をした。
この女性は、農家をやっていたイトコと結婚して、すぐに義父母と同居を始めて家事や農作業などにいつも忙しそうに働いていた。
子供の頃に家族で遊びに行くと、私の伯父と伯母が「〇〇ちゃん、お茶出して」とか「果物出して」などとお嫁さんに指図するので、「私たちのせいで忙しい想いをさせてかわいそうだなぁ」と思っていた記憶がある。
伯父も伯母もずっと前に亡くなり、旦那であるいとこも亡くなったので、今は息子と二人でのんびり野菜を作っているそうだ。
「農家に嫁いで、すぐに同居して、家事や農作業もやって大変だったでしょう?」と言ったら「ううん、あの頃はみんなそうだったから、それが当たり前だと思ってやっていたの。別に大変だったと思ったことはないよ」と言った。
「でもね、今はそんなこと言ってたら嫁が来ないんだよ。農家って言うだけで、嫁が来ないのに、同居して農作業も手伝わされるなんてこと言ったら、ますます嫁のなり手がいないんだから」と教えてくれた。
そんなわけで、40歳になる息子さんにまだ結婚相手が見つからないとこぼしていた。
ずっと年上のお姉さんで話したこともない方だったが、今回は昔からの知り合いのようにたくさんお話をすることができた。
ところで、見たことのない親戚の方々は一体どちらの方なのかと思ったら、今日の「主人公」である伯母の孫たちとその伴侶&子どもたちだということがわかった。
こちらはみなさん、まだお若くて30代と思われる方々ばかり。
連れている子どもたちもまだ小さくて、会場内を元気いっぱいに走り回っていた。
そして、若い方たちともお話しすることができた。
「この前、友だちの家の近所に同じ苗字の家があったんです。友達から親戚なの?って聞かれたけど、分からなくて・・・でも、やっぱり親戚だったんですね!」
若い奥様からそう言われて、「そうそう!それ、うちの実家」と私が答えた。
実家の苗字つまり私の旧姓だが、めずらしいというのかあまり見かけない苗字なので、彼女は友だちから「親戚?」と聞かれたのだと思う。
そこで母から聞いていたルーツを若いご夫婦に伝授してあげた。
「私のおじいちゃん、つまりあなたたちの曾おじいちゃんが、20歳の時に関東から船で北海道に来たんだって。新しい土地で一旗あげようと思って来たらしいけど、結局あげられなかったみたいだね(笑)」
「苗字だけど、こちらではあまりない名前だけど、おじいちゃんの出身地の村には多くいるそうだよ。源氏の由来らしいけど、その辺はもうよく分からない」
そんなことを教えてあげたら、「へ~そうだったんだ」と目を輝かせて聞いてくれた。
会ったこともなかった親戚や話したこともなかった親戚と話すことができて、本当に楽しい法事だった。
(楽しかったなんて言ったら伯母さんに怒られるかな?)
伯母さんもお話し好きの人だったから、もしかしたら一緒に話に加わっていたのかもしれない。
今から100年以上前、一組の男女が結婚して子供を産み、さらにその子供たちが結婚して家族を持ち、そしてまたその子供たちが子どもを産んで・・・
最初は二人の男女だったのに、たった100年ちょっとの間にどれだけの人間が増えていったのだろうか。
一組の男女の結婚が、いつしか色々な家系とまざりあって、織物を織るようにどんどん広がって行く。
当たり前だけれど、なんだか不思議・・・
今、おじいちゃんとおばあちゃんが、こんなに子孫が増えたことを知ったら、びっくりして腰を抜かしちゃうかもしれない。
それを想うと、おじいちゃんやおばあちゃんのずっとずっと前には、一体どれほどの人たち(先祖)がいるのだろうかと思う。
きっと数も分からないほどすごい人数のはず。
だから、その人たちに感謝をしたいと心から思う。
あなた達がいてくれたお陰で、私がいます・・・