いつまでも若人3

豊かなセカンドライフを求めて

教会の葬儀

2009年05月15日 | Weblog
 初めて教会の葬儀に出席しました。厳粛な雰囲気のなか、綺麗なお花がいっぱいで、暗いイメージがあまりなく、遺族のかたの故人の思い出話もあり、こんな風にお見送りするのもいいかなと思いました。 でもでも、お通夜のミサも終わると、教会が閉門してしまい、故人を残して、家族が帰宅するそうなのです。もちろん教会によって違うと思いますが……。私は慣れないせいか、なんだかとても寂しい気持ちになりました。キリスト教の
考え方では、神のもとに還るので、寂しくないのでしょうね。
 普段から死につい考えいること(たとえば末期ガンになったら手術をしないとか、
延命治療はしないとか)と実際にガンになっても潔く治療を受けないで、ガンを受け入れられるか自信がなくなってきました。まだまだ修業が足りません!
  

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3 コメント

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最期の迎え方 (さわやかな五月)
2009-05-15 14:12:55
この年になると友人知人の葬儀に参列する機会が増えました。いろんな方法があると思います。家族葬も増えたと聞いています。最期の迎え方は元気なうちに廻りの人にしっかり自分なりの意見を伝えておきたいと思っています。所詮葬儀は残った人の満足や気持ち次第のような気がします。世間体だけを気にするようなことはして欲しくないです。家族だけで延命治療もなく静かに見送って欲しいのが今の私の気持ちです。
Unknown (Unknown)
2009-05-15 14:13:27
教会のお葬式のことはあまり知りませんが天国へ召されるので悲しいことではないとか聞いたことがあります。
お葬式はなくなった本人より残された人のためにあるような気がします。遺族が派手にしたけれがそれもよし、静かに見送りたければそれもよしだとおもいます。自分の気持ちが決まっていたら詳しく文書にしておくことですね。気のすむようにするのが一番ですね。
Unknown (老後も楽し)
2009-05-15 14:16:00
自分の死のことはまだ元気なうちは、なかなか現実問題として、考えにくいのですが、友人や親戚の死に遭うと、いつ死に遭っても不思議ではないのです。 そのときは準備もそろそろと身辺整理をはじめるのですが、いつの間にやら日常生活にまぎれてしまいます。 元気なうちは楽しいことをやろうという気になってしまうのは凡人のゆえでしょうか。

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