「高橋家文書」めざして、「荒町古書蔵」へ向かいます。
雨は一時やんでいました。
その昔隣同士だったという北国街道沿いに並ぶ、
高橋家旧居(当時萬屋呉服店)と小山家の信州味噌本社を右手にながめながら、歩いていきます。
小学校の隣の神社のなかにその建物はありました。
荒町の商人たちがこの地に関する文書を保存しようと
平成15年につくった古書蔵ってどんなのだろう。
公共機関のところじゃなくて、失礼ながらもそのようなところに貴重なものを保存しておいて
大丈夫なのだろうか、と話を聞いたときに余計な心配をしていました。
しかし、一目見たとき、それは杞憂にすぎないことを知りました。
正倉院の宝物殿をおもわせる高床式の校倉造り。
しっかりとして非常に頑丈そうです。
きっと文書類を保存するのに、一番最適な建物をたてたのだろうとおもいました。
鍵をあけてもらい、中にはいりました。
三方の壁が4段の棚になっており、衣装箱の桐の箱に入れられた文書がズラッと並んでいます。
高橋家文書はその桐の箱で、7、8個あります。
リストでは500点くらいの文書です。
あらかじめ見たい文書の番号を知らせておいたので、その一覧にしたがって
純水館研究会の方たちが一点づつ封筒にはいった文書を出してくださいます。
さあ、いよいよです。
本物の堅曹さんの手紙に会えます。
コピーされたものは見たことがありますが、本物ははじめてです。
出てきました。
今の手紙の封筒より、一回りぐらい小さいでしょうか。幅も細いです。
和紙ですので、軽くフワッという手触りです。
表書きは勢いのある、確かに堅曹さんの字です。
中の手紙をだしてみました。
文末のほうからくるくると小さくたたまれています。
広げてみると、墨色も鮮やかな堅曹さんの筆跡が現れました。
まさに自筆の本物です。
130年以上も前のものとは思えないきれいな手紙です。
虫食いも、もちろん焼けもシミもない。
達筆でとても内容は読めないが、
単語や人名などが「あ、これ○○だ!」などとわかるものもあり、
じっと手紙を見つめてしまいます。
堅曹さんから高橋平四郎あての書簡は合計6通あり、
ゆっくり見ていると時間がなくなりそう。
高橋氏に「カメラでとってもよろしいですか?」とお聞きしたところ、
こころよく了解してくださり、コピーもとりましょう、と言ってくださった。
同伸会社の史料もたくさんお願いしていたので、次から次へ出てきます。
この時のために修理して快調になったデジカメでどんどん撮ります。
そうだ、名刺という文書を頼んだことを思い出し、名刺はありますか?とお聞きしました。
リストでは 「[名刺] 長野銀行取締兼支配人山口久米多ほか63」となっていたのですが、
63枚もあるのなら、もしかしたら・・・とちょっと望みをもって閲覧希望の中にいれました。
和紙の原稿用紙のようなもので作った封筒に入っていました。
そ~っと中のものを取りだすと、パラパラとたくさんの紙片が出てきました。
明治時代の名刺ってはじめて見ます。
今のものより、ずっと小さい。長方形でサイズも規格がなかったのか、いろいろです。
幅2.5cm~4cm、5cmくらい、たては8cm~9cmというところです。
紙質もバラバラ。うすいわら半紙に近いようなものから、厚手の画用紙ぐらいまで。
すべて洋紙です。
「へ~、明治時代の名刺ってこういうのなんだ」って、
この時点から皆ちょっとテンションがあがります。
山のようにでてきた名刺を一枚一枚手にとって見ていきます。
すぐにでてきたのが 「星野長太郎」 「長谷川範七」 「福田乾一」・・・、
製糸業の人たち、同伸会社関係の人たちの名前。
「あ、この人のがある、この人も。」とちょっと興奮ぎみ。
新井領一郎が出てきた。星野長太郎弟、と手書きで書いてある。
彼のはアルファべットで印刷されている。
次々確認しながら、気持ちが高揚していくのがわかった。
きっとある! きっとある!
もう3分の2ぐらいは見たでしょうか。
緊張からか名刺をめくる手に力がはいっていく。
「東京日吉町二十番地 速水堅曹」という一枚がでてきた。
あった~!
もしかしたら、ワァ~とかなんとか言っていたかも。
ひとりで興奮して騒いでいたような。いま思うと、ほんと恥ずかしい。
「あッ、裏にも何か書いてないかしら」と手にとっていた見ていた相棒Tさんに聞くと、
「アルファべットが書いてある!」
「なんて書いてある?」
「は・や・み・ け・ん・ぞ・う・だ!」
「えー!、そうー?!」 見せてもらうと、細い綺麗な筆記体で
Mr.Hayami Kenzo と印刷されていた。
表の日本語の名前は少し青みがかったインクのようで、判子で押したもののよう。
印刷のアルファベットは多分明治9年に海外に行った時につくったものかもしれない。
その時はケンゾウだったから・・・・。
とにかくこんな調子で見ていてはいくら時間があっても足りません。
高橋氏は名刺も全部コピーとりましょう、と言ってくださり、
とにかく見たい文書をまとめて持って、「荒町館」へもどりました。
そこでコピーにとったり、デジカメにおさめたり、文書類を読んだりしました。
結局すべての作業が終わるまで3時間近くもかかり、午後4時を過ぎてしまいました。
最後にそれぞれ挨拶をし、皆で写真をとりました。
高橋氏は「祖父や父が大事に大事にとってきたものが、今こうやって見ていただき、
喜んでいただけて本当にうれしい」とおっしゃいました。
私はその言葉にお礼の申し上げようもないほど恐縮しました。
よくぞとっておいてくださった!という感謝の気持ちでいっぱいです。
信州味噌でお土産を買い、5時半に小諸駅で解散しました。
小雨の降り続く肌寒い一日でしたが、こころはあつく、あつく燃え上がる日となりました。